鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

1976年の山と高原地図 鳥海山 その一

2020年08月31日 | 鳥海山
 まず全体を見てみましょう。主要な所をスキャナーで取り込んだものです。
 ちょっと小さくてわかりずらい、少し拡大してみましょう。
 自然公園法で国立公園、国定公園では許可なくキャンプできません。先日、最近山頂近くでテント泊をしたと自慢げに書いている山に登る資格のない輩が投稿しているのを見ました。我々も時々監視員の腕章を渡され注意に行って撤収させたこともあります。
 しかし、この当時地図には国定公園とありますがいくつかキャンプ場として記載されています。鉾立に国鉄鉾立キャンプ村とあります。その関連か、かつて鉾立山荘に国鉄の何とかと書いた看板があったと思うのです。もちろん現在鉾立もテント禁止です。鳥海湖畔にもテントマークがあります。また河原宿にもテントマークがあります。昭和初期の写真には鳥海湖、河原宿での幕営写真が結構残っています。
 小屋を儲けさせるためにテント禁止となっているわけではないのです。なぜテント禁止かわからない人はそもそもこの山に登る資格が全くないのです。

 他にも面白いところがいっぱいあります。単日では書ききれないので以下続きます。

 それにしても僅か四十年ばかり前の地図、それさえも容易に手に入らない、地図という性格もあるでしょうけれど、自分の生きてきた過去の記録さえ探すのがこんなに大変だとは。懐の許す限りまだまだ鳥海山の記録を集めていきます。何か情報がありましたらお知らせください。またこの地図で疑問、或いは情報がありましたらご連絡ください。

2 コメント

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Unknown (yshimatennjinn)
2020-09-01 10:11:38
70年代後半ころまでは鳥海湖や御苗代あたりでテントを張っていたような気がしますが、いまだ張っている人がいるとは残念なことです。ところで、文殊付近から幸治郎沢の下部への破線ルートも載っていますが、記憶にありますでしょうか。
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Unknown (ayasiiojisann)
2020-09-02 06:34:51
@yshimatennjinn そのルートは記憶にありませんが、かつて雨のしょぼしょぼ降る日、幸治郎沢を降り下を向きながら歩いていたら道を間違い、月山沢の名前のない滝の崩れ落ちる崖の上に出てしまったことがあります。迫力でしたね、あの眺めは。ちょうど破線ルートの下側です。あたかも道のようになっていました、その当時。もちろん行き止まりです。
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