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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

阪神淡路大震災で授かった能力(9)

2012-01-27 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
今日は(これまでの話を読まれた方はすでにご存知かと思いますが)、そのようにして生まれた線描画(宇宙から降りてきたメッセージ!?)を「どうして彩色するようになったか」といういきさつについて書きます。

1996年初夏にユカタン半島の遺跡を巡るツアーで出逢った彼が、まさかそのような彩色の能力があるなんて、当初私は全く知りませんでした。(彼と親しくなったのは実はある「本」がきっかけなのですが、この話についてはまた後日)
それまで彼と絵の話をしたこともなかったからです。

ある時、あるリゾート地で友人がやっているギャラリー&喫茶店で私と知人(本格的に絵を描いている人)との「二人展」をやらないかという誘いがあったのです。「お店の賑わいになるのなら」と気軽な気持ちで引き受けた私は、ほとんどをその知人に頼り、私は線描画を幾つかそのまま額に入れて飾ればいいだけだから~と、単純に考えていたのです。
額もわざわざ買うのでは無く、貸してくれるというので、ほんとに「楽ちん」と思って引き受けたのです。

ところが、展覧会が近づいても知人からは何の連絡も無く、私が出した問い合わせにも返事が来ないのです。
それでお店に迷惑はかけられないと思いその知人には断りを入れて、もう一人別の心当たりのあった人と一緒にやることに、急遽の変更になってしまいました。
(その別の人というのは、私の線描画を見て突如絵を描き始めた若い女性です)

そんな急な変更があったために、まるで私の絵がメインのような感じになってしまい、展示数も増えた上に、線描画は元々小さなサイズ(B5ぐらい?)の「落書き帖」に走り描きされたようなものなので、そのまま額に入れても(彩色無しでは)あまりにも全体の迫力が足り無いという気がしたのです。

それで困ってしまい彼に相談したところ、何と彼が自分がその彩色をしてもいいよと言い出したのです!
おまけに彼は「トレース」も出来、線描画を和紙に「拡大コピー」することも出来ると提案してくれたのです。

青天の霹靂でよく話を聞いてみると、実は彼は昔絵画教室で油絵を習ったことがあると言うではありませんか。

しかも(その頃の彼はある織物会社の企画部に十年近く働いていて)色を見分ける力もあるし、それまで別の会社でTシャツにロゴを描く仕事をしたこともあると言うのです。
これはもうほんとに願ったり叶ったりの嬉しいビッグニュース!でした。

話の途中ですが、このつづきはまた明日。今日はこれから出かけます。



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