「二足のわらじを履く」というような「副」業(兼業)では無く、「複」業(複職)というのは、収入になるような複数の仕事を少しずつやるということである。
つい最近知ったのだが、どうやら今そんな人が増えているらしい。
例えば自分でお店をやりながら、そこでギターの演奏もするプロであったり、休日には畑仕事をしてそこで出来た野菜を売ったり、自分の店でも料理に使ったり、さらにはその店で落語会を企画したり、ついでにそこで本やらCD、DVD等を売ったり、あるいは、自分でも本を書いたり、CDやDVDも自分で企画、制作したり、、等々。
要するに一昔前に流行った「マルチ人間」とも似ているが、そんなふうに(一つの仕事だけで食べるのでは無く)いろんな仕事を組み合わせ、兼ね合わせていくことで、好きなことを楽しみながら自由自在に暮らしていけたら、ほんとうに幸せだろうなと思う。
私はこれまで幾つかの仕事をして来たが、いつも一時期に一つのことのみだったり、せいぜいが二つまでだった気がする。
これまでに経験した仕事の数を(一日だけのアルバイトも含めて)総合してみてもそれほど多くは無い。
たまわーるどのたまさんは30種類以上もの職種や現場を経験されたそうだが、まさに脱帽ものである。
中、高生の頃のアルバイトから始まり、今までにしたことのある私の仕事を思い出すままに(順不動で)振り返ってみると、
「海の家」/選挙の手伝い/靴屋/パン屋兼喫茶店/旅館の住み込み手伝い/新幹線の車内販売/自分で経営したフリースペース/本屋の店員/子供服専門店の店員/公務員(保育士)/夜勤のある児童相談所/私設の養護施設/スーパー店員/雑誌記者/出版社の小走り手伝い/実家が一時食堂をやっていたので、その出前も手伝ったことがあるが、これはもちろん当然の如く小遣いももらっていない。
そうだ、商店街の年末売り出しのガラガラ(抽選器)のバイトもしたことがあったっけ!
そういえば、大学の研究室の本の片付けの手伝いも頼まれて行ったなぁ。
それから、たった一日だけだが、どこかの役所に講師?に呼ばれた友人に付いて行って、なぜか私もおこぼれに預かったことがあったことなども、今なつかしく思い出した。
肝心なことを書き忘れていたが、絵を描くことが仕事になる前には「織物」を仕事にしようとしたのだったが、これは全く収入になるどころか、かなりの出費ばかりだった(笑)。
いろんな仕事をした中でも忘れられない想い出は、若い頃の話だが、例えばあるところでパートで店員の仕事をしながら、「副業」というか、(カッコよく言えば「かけもち記者」のように?)あるタウン誌にコラム(書評エッセイ)やレポートを書かせてもらって、毎月「原稿料」をいただいていたことがあった。
(その連載はおかげさまで好評だったので、約2年ぐらい続いた)
取材のための交通費、その他写真代等の経費とは別途で、定額の「原稿料」としていただいていたので、(それは当時としてはかなり珍しい破格の扱いだったのだが)経済的に貧しかった私にとってはかなり助かることだった。
その折りの編集長(故人)には今でも本当に感謝している。
話がちょっと横道に逸れてしまったが、これからの時代はそんなふうに、一つのことだけで収入を得るのでなく、さまざまなことをして、総合的に食べていければ、一つのことに縛られて働き過ぎてしまうことなく、もし少しずつでも自分の好きなことを仕事にしながらやっていければ、それもまた幸せなことではないだろうか。
よく「好きなことではなかなか食べられない」と言う人がいるが、それはその一つのことだけで食べていこうとするからで、誰でも駆け出しの時代もあり、最初からそれで食べていくのは難しくても、まず初めは無料でもいいので、とにかくいろんなことに手を出し、自分に出来ることや好きなことでどこまで人に役立っていけるのか、をさまざまに試してみているうちに、次第に熟達し、少しずつでもお金を払ってもらえるようになっていくのではないかと思うけれど、どうだろうか?
ある人がこういうことを言っていた。
今すぐには何をするという耕作計画は無くても、出来るだけ広い畑地を確保しておくとよい。
最初に畑地を広く取っていると、いろんなものが植えられ、また種まきしたその中のどれかが実る。
狭かったらあまりたくさんのものは植えられないし、種も多くは播けない、と。
そういう意味では、私の「耕作地」はそれほど広くは無いのが残念ではあるが、それでもこれからまだまだいろんなものを植えていきたいと思っている。
少しずつ時期をずらして種を播き、一年中何かの花が咲いているような、そんな感じになればなお嬉しい♪
このブログもそういう点では、いったいいつ何が芽生えて来るのか?
植えたものも自分で覚えていないぐらい?いろんな種を播いた気がするので、ある日それがどこからかひょっこりと芽を出すのが向後の楽しみだ。
下記の写真は伊豆七島(東伊豆町白田の海岸付近より撮影)
つい最近知ったのだが、どうやら今そんな人が増えているらしい。
例えば自分でお店をやりながら、そこでギターの演奏もするプロであったり、休日には畑仕事をしてそこで出来た野菜を売ったり、自分の店でも料理に使ったり、さらにはその店で落語会を企画したり、ついでにそこで本やらCD、DVD等を売ったり、あるいは、自分でも本を書いたり、CDやDVDも自分で企画、制作したり、、等々。
要するに一昔前に流行った「マルチ人間」とも似ているが、そんなふうに(一つの仕事だけで食べるのでは無く)いろんな仕事を組み合わせ、兼ね合わせていくことで、好きなことを楽しみながら自由自在に暮らしていけたら、ほんとうに幸せだろうなと思う。
私はこれまで幾つかの仕事をして来たが、いつも一時期に一つのことのみだったり、せいぜいが二つまでだった気がする。
これまでに経験した仕事の数を(一日だけのアルバイトも含めて)総合してみてもそれほど多くは無い。
たまわーるどのたまさんは30種類以上もの職種や現場を経験されたそうだが、まさに脱帽ものである。
中、高生の頃のアルバイトから始まり、今までにしたことのある私の仕事を思い出すままに(順不動で)振り返ってみると、
「海の家」/選挙の手伝い/靴屋/パン屋兼喫茶店/旅館の住み込み手伝い/新幹線の車内販売/自分で経営したフリースペース/本屋の店員/子供服専門店の店員/公務員(保育士)/夜勤のある児童相談所/私設の養護施設/スーパー店員/雑誌記者/出版社の小走り手伝い/実家が一時食堂をやっていたので、その出前も手伝ったことがあるが、これはもちろん当然の如く小遣いももらっていない。
そうだ、商店街の年末売り出しのガラガラ(抽選器)のバイトもしたことがあったっけ!
そういえば、大学の研究室の本の片付けの手伝いも頼まれて行ったなぁ。
それから、たった一日だけだが、どこかの役所に講師?に呼ばれた友人に付いて行って、なぜか私もおこぼれに預かったことがあったことなども、今なつかしく思い出した。
肝心なことを書き忘れていたが、絵を描くことが仕事になる前には「織物」を仕事にしようとしたのだったが、これは全く収入になるどころか、かなりの出費ばかりだった(笑)。
いろんな仕事をした中でも忘れられない想い出は、若い頃の話だが、例えばあるところでパートで店員の仕事をしながら、「副業」というか、(カッコよく言えば「かけもち記者」のように?)あるタウン誌にコラム(書評エッセイ)やレポートを書かせてもらって、毎月「原稿料」をいただいていたことがあった。
(その連載はおかげさまで好評だったので、約2年ぐらい続いた)
取材のための交通費、その他写真代等の経費とは別途で、定額の「原稿料」としていただいていたので、(それは当時としてはかなり珍しい破格の扱いだったのだが)経済的に貧しかった私にとってはかなり助かることだった。
その折りの編集長(故人)には今でも本当に感謝している。
話がちょっと横道に逸れてしまったが、これからの時代はそんなふうに、一つのことだけで収入を得るのでなく、さまざまなことをして、総合的に食べていければ、一つのことに縛られて働き過ぎてしまうことなく、もし少しずつでも自分の好きなことを仕事にしながらやっていければ、それもまた幸せなことではないだろうか。
よく「好きなことではなかなか食べられない」と言う人がいるが、それはその一つのことだけで食べていこうとするからで、誰でも駆け出しの時代もあり、最初からそれで食べていくのは難しくても、まず初めは無料でもいいので、とにかくいろんなことに手を出し、自分に出来ることや好きなことでどこまで人に役立っていけるのか、をさまざまに試してみているうちに、次第に熟達し、少しずつでもお金を払ってもらえるようになっていくのではないかと思うけれど、どうだろうか?
ある人がこういうことを言っていた。
今すぐには何をするという耕作計画は無くても、出来るだけ広い畑地を確保しておくとよい。
最初に畑地を広く取っていると、いろんなものが植えられ、また種まきしたその中のどれかが実る。
狭かったらあまりたくさんのものは植えられないし、種も多くは播けない、と。
そういう意味では、私の「耕作地」はそれほど広くは無いのが残念ではあるが、それでもこれからまだまだいろんなものを植えていきたいと思っている。
少しずつ時期をずらして種を播き、一年中何かの花が咲いているような、そんな感じになればなお嬉しい♪
このブログもそういう点では、いったいいつ何が芽生えて来るのか?
植えたものも自分で覚えていないぐらい?いろんな種を播いた気がするので、ある日それがどこからかひょっこりと芽を出すのが向後の楽しみだ。
下記の写真は伊豆七島(東伊豆町白田の海岸付近より撮影)