13日早朝にあった淡路島の震度6の地震。
私のところでも(震度4ですが)かなり長く揺れました。
関西では阪神淡路大震災を思い出した方も多かったようですが、私の脳裏にすぐに思い浮かんだのは東日本大震災の時のことでした。
揺れている最中は震源地がわからなかったので、もしかしたらまたどこかでもの凄い未曾有の大震災が起きているのではないかと、(自分の身の安全以上に)原発のこととか、津波とか、とっても気がかりでした。
あとでたまさんのぶろぐを見たら、何とかなり前にこの地震もすでに予言されておられたのですね!
さすが、サイキッカーのたまさんです。ほんとにびっくりしました。
私にはそういう予知能力は全く無いので、これは「あとづけ」に過ぎませんが、実は当日神戸方面に出かける予定になっていたのです。ある人の講演があり、もうすでに席の予約もしていたのです。
ところがその何日か前に急に別の用が出来、その講演をキャンセルしたために出かけずに済んだのです。
地震の起きたその日はランチも約束していて、午前中はある個展を観て、、と、朝からぎっしりスケジュールを立てていたので、もしも予定通りに早朝に出かけていたら、交通機関の混乱でいろいろ大変だったことと思います。
私の場合、そういうふうにふと感じるままに行動したり、あるいはなぜか予定を変更したりした結果、有り難いことに被害に遭わずに助かることが多い気がします。
いつも守られていることに心から感謝です。
……………………………………………………………………………………………
ところで、その前夜はなぜか眠れず、結局地震の日の明け方4時まで徹夜で本を読んでいました。
岸恵子さんの書かれた小説『わりなき恋』(幻冬舎)です。
12日に村上春樹さんの、あの何とかという長いタイトルの新刊が出て、ちらっと本屋を覗いて立ち読みしたけれど、あまり面白そうに思えなかったので、代わりに岸恵子さんのこの本を買ったのです。
最初の出だし部分では春樹さんの本の方がよかったかなと感じたのですが、読み進むにつれて止まらなくなり、どうしてもその先が知りたくて読み進むうちに徹夜になってしまったのでした。
70歳を迎える前後の、女性の恋物語で、しかも相手は12歳も年下の妻子持ちと来れば、最後にはこれは失恋するに決まっているし、、いくら小説とはいえ、読む前から、「そりゃあ、無理な話だわな」と感じたのですが、いやぁ~もう、かなり予想に反していました。
何が!?って、その展開の「粘り強さ」に驚いたのです。
どうしてこんなに粘れるのだろう、、って。
普通は(というか、このぐらいの年齢になれば)「もういいか」って、あっさりとあきらめてしまうことも多いと思うのですが、その「あきらめなさ」に瞠目したのです。
このヒロインはどこまでも「自分の納得のいくまで」その恋の行方を追求していくのです。
それは決して「深情け」や、「安珍清姫」のように「男性そのもの」を追いかけていくというのとはまた意味が違って、自分自身の腑に落ちるまで、とことん、この「恋」に食い下がっていくのです。
自分で「おとしまえ」を付けるまでというか、どういう結果であれ、「自分自身の手で幕引きする」ことを望んだからでしょうか。
「しつこい清さ」というものがあるのかどうか知りませんが、それはもしかしたら彼女流の「美意識」とも言えるものなのかもしれません。
自分の思うような展開を必死になって探っていくような感じがして、読んでいてイタイ反面、一体どこで終わるのだろう、、とつい惹き込まれてしまいました。
ほんとはもっと長いストーリーになる筈だったそうで、かなり文量を削ったことを後で知りましたが、その体力たるや相当なものだなぁ~と、岸恵子さんのエネルギーというか、バイタリティに感心してしまいました。
もともと岸恵子さんは私にとって憧れの女性で、『ベラルーシの林檎』や『巴里の空はあかね雲』などでも有名ですが、彼女の美しい文章、きれいな日本語が好きです。
今回もそういう心地好い文章を味わいたくて手にしたのですが、最初の出だし部分では、「えっ、これがあの岸恵子さん、ほんとに!?」と思ったぐらい、陳腐というか、平凡過ぎる感じで、正直あまり気が進まず、買おうかどうしようかと迷ったのですが、最後まで読んでみてよかったです。
その出だし部分は本文にもまた繰り返されていて、そっくりそのまま出て来るのですが、こちらの方はさすがにその前後の流れの中にしっくりハマッテいるので、それほど違和感はありませんでした。
その出だし部分でつまづいて読まない(買わない)人も多いかもしれないな~とは思いましたが。
ただし、この本はもし買っても家に置いておく程(どうしても手放せない程)というわけではないので、興味を持たれた方は、例えば図書館で見かけたら一度読んでみられてはどうでしょうか。
それにしても、この本を読んでいると、まるで自分自身が岸恵子さんになったような気持ちで(主人公=岸恵子さんそのものに感じられて)読み終わった後も、しばし余韻が残りました。
……………………………………………………………………………………………
たまたま今日、有名なある男性歌手(65歳)が女性歌手(50歳)と結婚!というニュースが流れていましたが、最近そういう年齢差婚というのがなぜか多いようですね。
ただ、その逆、例えば岸恵子さんが70歳で55歳の男性と結婚!?なんてことになると、(私はもちろんそれはあり得ることだと感じてはいますが)「続くかなあ~?」と思ってしまうのも事実です。
そういう意味では男性は何歳になってもお金さえあれば、あるいはパワーがあって、有名だったりすれば、若い女性との結婚も夢では無いところが、得!?ですよね。
例えば女性は同じぐらい有名で同じぐらいお金もあったとしても、そして美しく魅力的であったとしても、最後まで添い遂げるのはかなり難しい面があるかもしれませんね。
それはそこに「男女の性の違い」!?(ほんとは差別)というものがあるからかもしれません。
そういう生々しい現実を、ナマナマしくなく描き切るというのは、かなりの力が要りますね。
渡辺淳一さんとかの小説は読んだことはありません(あまり好きではありません)が、それよりはずっと美しいというか、女性から見た「恋」や「愛」の真実のあり方が、相当な現実を伴って描かれていて、これはいつかきっと映画化されるに違いないと思いました。
でも、この雰囲気やニュアンスを壊さずに映画化出来る男性監督って、誰かいるでしょうか。
かと言って、女性監督でも難しい気がします。
例えば男女のペアによる監督とか、日本人とフランス人監督とが一緒に組むとか、、。
否、それよりもこれはぜひとも岸恵子さんご本人が、監督&主演されるべきではないかと感じました。
もし実現したら、ほんとに素晴らしい歴史に残る「名画」になりそうですね♪
それにしても『わりなき恋』というタイトルがとてもいいですね!
これは「理」(ことわり)無き恋という意味でもあるのですが、私には「お」わりなき恋、すなわち、「恋の終わり」の見えない恋、どこまで言っても割りきれない恋(まるで「素数」のようにどこまでも続く・・・)という、そういう意味とも重なって感じられました。
単に切ないとか、ロマンティックとか、辛い恋とか言うのでは無く、また田辺聖子さんの小説のようなどこか飄々として脱け切った「大姥桜」みたいなイメージや、恋多き宇野千代さんの「薄墨桜」のような淡く妖艶な感じでも無く、、。
それよりもむしろ、ボーボワールとか、画家のジョージア・オキーフのあり方にも通じる「骨太の感じ」があります。決して「やわ」ではないのです!かといって「たおやか」とか、したたかというのでも無く、、。
「女サムライ」とか、「江戸前」の気っぷのいい姐御、あるいは木の実ナナさんの舞台の雰囲気にも近いかもしれません。
いずれにしても、それはどこまで行っても三次元世界、せいぜい四次元世界止まりのことという気がします。
今の私の目差すところは、例えば草間さんのような「宇宙世界」なので、ETのように指先が触れ合ってそれで交流完了!?というよりも、そのもっとずっと先の、全く触れ合わないでも(テレパシーで)心の通じる合える光溢れる新しい世界!?こそが憧れです♪
それではもうまるで「千の風の世界」みたい?で、少々さみしいでしょうか、どうなんでしょうか。
「わずらわしいこと」が一切何も無い世界って、たぶんあまり面白くは無いのかもしれませんね、、。
ところで、長くなりますが、話はまだまだ続きます。
以上は地震の前の話ですが、今回の地震の後に読んだのは、
コミックエッセイ 『ナガサレール イエタテール』(ニコ・ニコルソン/太田出版)です。
これは、、、
あまりにも長くなりますので、この続きはまた今度 !ということで。
いつもご愛読ありがとうございます♪
続きをお楽しみに ☆
下記の絵はアズミックアートの宇宙画『ストゥープ』です。
無断転載、コピーはご遠慮ください。
私のところでも(震度4ですが)かなり長く揺れました。
関西では阪神淡路大震災を思い出した方も多かったようですが、私の脳裏にすぐに思い浮かんだのは東日本大震災の時のことでした。
揺れている最中は震源地がわからなかったので、もしかしたらまたどこかでもの凄い未曾有の大震災が起きているのではないかと、(自分の身の安全以上に)原発のこととか、津波とか、とっても気がかりでした。
あとでたまさんのぶろぐを見たら、何とかなり前にこの地震もすでに予言されておられたのですね!
さすが、サイキッカーのたまさんです。ほんとにびっくりしました。
私にはそういう予知能力は全く無いので、これは「あとづけ」に過ぎませんが、実は当日神戸方面に出かける予定になっていたのです。ある人の講演があり、もうすでに席の予約もしていたのです。
ところがその何日か前に急に別の用が出来、その講演をキャンセルしたために出かけずに済んだのです。
地震の起きたその日はランチも約束していて、午前中はある個展を観て、、と、朝からぎっしりスケジュールを立てていたので、もしも予定通りに早朝に出かけていたら、交通機関の混乱でいろいろ大変だったことと思います。
私の場合、そういうふうにふと感じるままに行動したり、あるいはなぜか予定を変更したりした結果、有り難いことに被害に遭わずに助かることが多い気がします。
いつも守られていることに心から感謝です。
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ところで、その前夜はなぜか眠れず、結局地震の日の明け方4時まで徹夜で本を読んでいました。
岸恵子さんの書かれた小説『わりなき恋』(幻冬舎)です。
12日に村上春樹さんの、あの何とかという長いタイトルの新刊が出て、ちらっと本屋を覗いて立ち読みしたけれど、あまり面白そうに思えなかったので、代わりに岸恵子さんのこの本を買ったのです。
最初の出だし部分では春樹さんの本の方がよかったかなと感じたのですが、読み進むにつれて止まらなくなり、どうしてもその先が知りたくて読み進むうちに徹夜になってしまったのでした。
70歳を迎える前後の、女性の恋物語で、しかも相手は12歳も年下の妻子持ちと来れば、最後にはこれは失恋するに決まっているし、、いくら小説とはいえ、読む前から、「そりゃあ、無理な話だわな」と感じたのですが、いやぁ~もう、かなり予想に反していました。
何が!?って、その展開の「粘り強さ」に驚いたのです。
どうしてこんなに粘れるのだろう、、って。
普通は(というか、このぐらいの年齢になれば)「もういいか」って、あっさりとあきらめてしまうことも多いと思うのですが、その「あきらめなさ」に瞠目したのです。
このヒロインはどこまでも「自分の納得のいくまで」その恋の行方を追求していくのです。
それは決して「深情け」や、「安珍清姫」のように「男性そのもの」を追いかけていくというのとはまた意味が違って、自分自身の腑に落ちるまで、とことん、この「恋」に食い下がっていくのです。
自分で「おとしまえ」を付けるまでというか、どういう結果であれ、「自分自身の手で幕引きする」ことを望んだからでしょうか。
「しつこい清さ」というものがあるのかどうか知りませんが、それはもしかしたら彼女流の「美意識」とも言えるものなのかもしれません。
自分の思うような展開を必死になって探っていくような感じがして、読んでいてイタイ反面、一体どこで終わるのだろう、、とつい惹き込まれてしまいました。
ほんとはもっと長いストーリーになる筈だったそうで、かなり文量を削ったことを後で知りましたが、その体力たるや相当なものだなぁ~と、岸恵子さんのエネルギーというか、バイタリティに感心してしまいました。
もともと岸恵子さんは私にとって憧れの女性で、『ベラルーシの林檎』や『巴里の空はあかね雲』などでも有名ですが、彼女の美しい文章、きれいな日本語が好きです。
今回もそういう心地好い文章を味わいたくて手にしたのですが、最初の出だし部分では、「えっ、これがあの岸恵子さん、ほんとに!?」と思ったぐらい、陳腐というか、平凡過ぎる感じで、正直あまり気が進まず、買おうかどうしようかと迷ったのですが、最後まで読んでみてよかったです。
その出だし部分は本文にもまた繰り返されていて、そっくりそのまま出て来るのですが、こちらの方はさすがにその前後の流れの中にしっくりハマッテいるので、それほど違和感はありませんでした。
その出だし部分でつまづいて読まない(買わない)人も多いかもしれないな~とは思いましたが。
ただし、この本はもし買っても家に置いておく程(どうしても手放せない程)というわけではないので、興味を持たれた方は、例えば図書館で見かけたら一度読んでみられてはどうでしょうか。
それにしても、この本を読んでいると、まるで自分自身が岸恵子さんになったような気持ちで(主人公=岸恵子さんそのものに感じられて)読み終わった後も、しばし余韻が残りました。
……………………………………………………………………………………………
たまたま今日、有名なある男性歌手(65歳)が女性歌手(50歳)と結婚!というニュースが流れていましたが、最近そういう年齢差婚というのがなぜか多いようですね。
ただ、その逆、例えば岸恵子さんが70歳で55歳の男性と結婚!?なんてことになると、(私はもちろんそれはあり得ることだと感じてはいますが)「続くかなあ~?」と思ってしまうのも事実です。
そういう意味では男性は何歳になってもお金さえあれば、あるいはパワーがあって、有名だったりすれば、若い女性との結婚も夢では無いところが、得!?ですよね。
例えば女性は同じぐらい有名で同じぐらいお金もあったとしても、そして美しく魅力的であったとしても、最後まで添い遂げるのはかなり難しい面があるかもしれませんね。
それはそこに「男女の性の違い」!?(ほんとは差別)というものがあるからかもしれません。
そういう生々しい現実を、ナマナマしくなく描き切るというのは、かなりの力が要りますね。
渡辺淳一さんとかの小説は読んだことはありません(あまり好きではありません)が、それよりはずっと美しいというか、女性から見た「恋」や「愛」の真実のあり方が、相当な現実を伴って描かれていて、これはいつかきっと映画化されるに違いないと思いました。
でも、この雰囲気やニュアンスを壊さずに映画化出来る男性監督って、誰かいるでしょうか。
かと言って、女性監督でも難しい気がします。
例えば男女のペアによる監督とか、日本人とフランス人監督とが一緒に組むとか、、。
否、それよりもこれはぜひとも岸恵子さんご本人が、監督&主演されるべきではないかと感じました。
もし実現したら、ほんとに素晴らしい歴史に残る「名画」になりそうですね♪
それにしても『わりなき恋』というタイトルがとてもいいですね!
これは「理」(ことわり)無き恋という意味でもあるのですが、私には「お」わりなき恋、すなわち、「恋の終わり」の見えない恋、どこまで言っても割りきれない恋(まるで「素数」のようにどこまでも続く・・・)という、そういう意味とも重なって感じられました。
単に切ないとか、ロマンティックとか、辛い恋とか言うのでは無く、また田辺聖子さんの小説のようなどこか飄々として脱け切った「大姥桜」みたいなイメージや、恋多き宇野千代さんの「薄墨桜」のような淡く妖艶な感じでも無く、、。
それよりもむしろ、ボーボワールとか、画家のジョージア・オキーフのあり方にも通じる「骨太の感じ」があります。決して「やわ」ではないのです!かといって「たおやか」とか、したたかというのでも無く、、。
「女サムライ」とか、「江戸前」の気っぷのいい姐御、あるいは木の実ナナさんの舞台の雰囲気にも近いかもしれません。
いずれにしても、それはどこまで行っても三次元世界、せいぜい四次元世界止まりのことという気がします。
今の私の目差すところは、例えば草間さんのような「宇宙世界」なので、ETのように指先が触れ合ってそれで交流完了!?というよりも、そのもっとずっと先の、全く触れ合わないでも(テレパシーで)心の通じる合える光溢れる新しい世界!?こそが憧れです♪
それではもうまるで「千の風の世界」みたい?で、少々さみしいでしょうか、どうなんでしょうか。
「わずらわしいこと」が一切何も無い世界って、たぶんあまり面白くは無いのかもしれませんね、、。
ところで、長くなりますが、話はまだまだ続きます。
以上は地震の前の話ですが、今回の地震の後に読んだのは、
コミックエッセイ 『ナガサレール イエタテール』(ニコ・ニコルソン/太田出版)です。
これは、、、
あまりにも長くなりますので、この続きはまた今度 !ということで。
いつもご愛読ありがとうございます♪
続きをお楽しみに ☆
下記の絵はアズミックアートの宇宙画『ストゥープ』です。
無断転載、コピーはご遠慮ください。