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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

14年ぶりの、、

2013-04-16 | シリーズ「テレパスアート物語」
先日とってもうれしいことがありました。

何と14年ぶり!という方から突然メールが届き、再度「テレパスアート」のお申し込みをいただいたのです!
(14年前というと、名称が「ヒーリングアート」で、彩色もアクリルでは無く水彩だった頃です)

その頃は、絵の説明も、現在のように「ワープロ文を印刷して絵と一緒にお届けする」というシステムでは無く、絵のお届けの後でお客様の方からお電話をかけていただき、口頭で説明するという方式だったかと思います。


新しくなった説明方式やアクリル彩色をどう感じられるかはわかりませんが、いずれにしても14年ぶりにまたお申し込みいただいたことが、とっても嬉しかったです。

しかも、最初の絵の依頼以降、残念なことにこちらの連絡先を紛失してしまったために、再び絵を頼みたくても出来ず、(その頃はまだネットも普及していず、私もパソコンやメールを使っていませんし、HPも立ち上げていませんでしたので)その後も私のことをずっと探してくださっていたとのことです。


ところが最近になってふとメモが出て来たそうで、「ようやく連絡が取れました!」ということで、まるで奇跡のような不思議なお話に驚きつつも、感激で胸がいっぱい♡ になりました。
そして「これまで絵を止めずに描き続けてきて本当によかった♪」と思いました。


今まで幾度か転居したり、またHPも何度か改装のための休止期間があったり、HPアドレスも度々変更したりしたために、お客様にはいろいろご迷惑をおかけして大変申し訳なく思っています。
(もう止めてしまったと思い込まれて、探すのをあきらめておられる方も、もしかしたらおられるのかも?)

それにも関わらず、こんなふうに長年連絡先を探し続けてくださったり、またネット検索などでようやく辿り着いて申し込んでくださるお客様たちがいらっしゃるということに、心から感動しました。
ほんとうに感謝でいっぱい ☆ です。


もしかして今もそんなふうに探し続けてくださっている方がどこかにおられるかもしれませんが、ご縁のある方々☆とは、何があってもきっと「また必ず繋がることが出来る」と信じています♪
ほんとうにありがとうございます!!!


またこのような喜びをブログを通して共に分ち合うことが出来るのも、皆様方のおかげです。
そして昨年末に開いたような「交流会」イベントも、再びどこかで開けたらいいなと願っています♪
「再会」を楽しみに、今後共にどうぞ宜しく☆ お願い致します。


下記の花は「てっせん」(クレマチス)です。





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地震のあとさき

2013-04-15 | 本の紹介
13日早朝にあった淡路島の震度6の地震。
私のところでも(震度4ですが)かなり長く揺れました。

関西では阪神淡路大震災を思い出した方も多かったようですが、私の脳裏にすぐに思い浮かんだのは東日本大震災の時のことでした。
揺れている最中は震源地がわからなかったので、もしかしたらまたどこかでもの凄い未曾有の大震災が起きているのではないかと、(自分の身の安全以上に)原発のこととか、津波とか、とっても気がかりでした。

あとでたまさんのぶろぐを見たら、何とかなり前にこの地震もすでに予言されておられたのですね!
さすが、サイキッカーのたまさんです。ほんとにびっくりしました。

私にはそういう予知能力は全く無いので、これは「あとづけ」に過ぎませんが、実は当日神戸方面に出かける予定になっていたのです。ある人の講演があり、もうすでに席の予約もしていたのです。
ところがその何日か前に急に別の用が出来、その講演をキャンセルしたために出かけずに済んだのです。

地震の起きたその日はランチも約束していて、午前中はある個展を観て、、と、朝からぎっしりスケジュールを立てていたので、もしも予定通りに早朝に出かけていたら、交通機関の混乱でいろいろ大変だったことと思います。

私の場合、そういうふうにふと感じるままに行動したり、あるいはなぜか予定を変更したりした結果、有り難いことに被害に遭わずに助かることが多い気がします。
いつも守られていることに心から感謝です。

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ところで、その前夜はなぜか眠れず、結局地震の日の明け方4時まで徹夜で本を読んでいました。
岸恵子さんの書かれた小説『わりなき恋』(幻冬舎)です。

12日に村上春樹さんの、あの何とかという長いタイトルの新刊が出て、ちらっと本屋を覗いて立ち読みしたけれど、あまり面白そうに思えなかったので、代わりに岸恵子さんのこの本を買ったのです。

最初の出だし部分では春樹さんの本の方がよかったかなと感じたのですが、読み進むにつれて止まらなくなり、どうしてもその先が知りたくて読み進むうちに徹夜になってしまったのでした。

70歳を迎える前後の、女性の恋物語で、しかも相手は12歳も年下の妻子持ちと来れば、最後にはこれは失恋するに決まっているし、、いくら小説とはいえ、読む前から、「そりゃあ、無理な話だわな」と感じたのですが、いやぁ~もう、かなり予想に反していました。

何が!?って、その展開の「粘り強さ」に驚いたのです。
どうしてこんなに粘れるのだろう、、って。
普通は(というか、このぐらいの年齢になれば)「もういいか」って、あっさりとあきらめてしまうことも多いと思うのですが、その「あきらめなさ」に瞠目したのです。

このヒロインはどこまでも「自分の納得のいくまで」その恋の行方を追求していくのです。
それは決して「深情け」や、「安珍清姫」のように「男性そのもの」を追いかけていくというのとはまた意味が違って、自分自身の腑に落ちるまで、とことん、この「恋」に食い下がっていくのです。
自分で「おとしまえ」を付けるまでというか、どういう結果であれ、「自分自身の手で幕引きする」ことを望んだからでしょうか。

「しつこい清さ」というものがあるのかどうか知りませんが、それはもしかしたら彼女流の「美意識」とも言えるものなのかもしれません。
自分の思うような展開を必死になって探っていくような感じがして、読んでいてイタイ反面、一体どこで終わるのだろう、、とつい惹き込まれてしまいました。

ほんとはもっと長いストーリーになる筈だったそうで、かなり文量を削ったことを後で知りましたが、その体力たるや相当なものだなぁ~と、岸恵子さんのエネルギーというか、バイタリティに感心してしまいました。


もともと岸恵子さんは私にとって憧れの女性で、『ベラルーシの林檎』や『巴里の空はあかね雲』などでも有名ですが、彼女の美しい文章、きれいな日本語が好きです。

今回もそういう心地好い文章を味わいたくて手にしたのですが、最初の出だし部分では、「えっ、これがあの岸恵子さん、ほんとに!?」と思ったぐらい、陳腐というか、平凡過ぎる感じで、正直あまり気が進まず、買おうかどうしようかと迷ったのですが、最後まで読んでみてよかったです。

その出だし部分は本文にもまた繰り返されていて、そっくりそのまま出て来るのですが、こちらの方はさすがにその前後の流れの中にしっくりハマッテいるので、それほど違和感はありませんでした。
その出だし部分でつまづいて読まない(買わない)人も多いかもしれないな~とは思いましたが。

ただし、この本はもし買っても家に置いておく程(どうしても手放せない程)というわけではないので、興味を持たれた方は、例えば図書館で見かけたら一度読んでみられてはどうでしょうか。

それにしても、この本を読んでいると、まるで自分自身が岸恵子さんになったような気持ちで(主人公=岸恵子さんそのものに感じられて)読み終わった後も、しばし余韻が残りました。
……………………………………………………………………………………………

たまたま今日、有名なある男性歌手(65歳)が女性歌手(50歳)と結婚!というニュースが流れていましたが、最近そういう年齢差婚というのがなぜか多いようですね。
ただ、その逆、例えば岸恵子さんが70歳で55歳の男性と結婚!?なんてことになると、(私はもちろんそれはあり得ることだと感じてはいますが)「続くかなあ~?」と思ってしまうのも事実です。

そういう意味では男性は何歳になってもお金さえあれば、あるいはパワーがあって、有名だったりすれば、若い女性との結婚も夢では無いところが、得!?ですよね。
例えば女性は同じぐらい有名で同じぐらいお金もあったとしても、そして美しく魅力的であったとしても、最後まで添い遂げるのはかなり難しい面があるかもしれませんね。
それはそこに「男女の性の違い」!?(ほんとは差別)というものがあるからかもしれません。

そういう生々しい現実を、ナマナマしくなく描き切るというのは、かなりの力が要りますね。
渡辺淳一さんとかの小説は読んだことはありません(あまり好きではありません)が、それよりはずっと美しいというか、女性から見た「恋」や「愛」の真実のあり方が、相当な現実を伴って描かれていて、これはいつかきっと映画化されるに違いないと思いました。

でも、この雰囲気やニュアンスを壊さずに映画化出来る男性監督って、誰かいるでしょうか。
かと言って、女性監督でも難しい気がします。
例えば男女のペアによる監督とか、日本人とフランス人監督とが一緒に組むとか、、。

否、それよりもこれはぜひとも岸恵子さんご本人が、監督&主演されるべきではないかと感じました。
もし実現したら、ほんとに素晴らしい歴史に残る「名画」になりそうですね♪


それにしても『わりなき恋』というタイトルがとてもいいですね!
これは「理」(ことわり)無き恋という意味でもあるのですが、私には「お」わりなき恋、すなわち、「恋の終わり」の見えない恋、どこまで言っても割りきれない恋(まるで「素数」のようにどこまでも続く・・・)という、そういう意味とも重なって感じられました。

単に切ないとか、ロマンティックとか、辛い恋とか言うのでは無く、また田辺聖子さんの小説のようなどこか飄々として脱け切った「大姥桜」みたいなイメージや、恋多き宇野千代さんの「薄墨桜」のような淡く妖艶な感じでも無く、、。

それよりもむしろ、ボーボワールとか、画家のジョージア・オキーフのあり方にも通じる「骨太の感じ」があります。決して「やわ」ではないのです!かといって「たおやか」とか、したたかというのでも無く、、。
「女サムライ」とか、「江戸前」の気っぷのいい姐御、あるいは木の実ナナさんの舞台の雰囲気にも近いかもしれません。

いずれにしても、それはどこまで行っても三次元世界、せいぜい四次元世界止まりのことという気がします。
今の私の目差すところは、例えば草間さんのような「宇宙世界」なので、ETのように指先が触れ合ってそれで交流完了!?というよりも、そのもっとずっと先の、全く触れ合わないでも(テレパシーで)心の通じる合える光溢れる新しい世界!?こそが憧れです♪

それではもうまるで「千の風の世界」みたい?で、少々さみしいでしょうか、どうなんでしょうか。
「わずらわしいこと」が一切何も無い世界って、たぶんあまり面白くは無いのかもしれませんね、、。


ところで、長くなりますが、話はまだまだ続きます。


以上は地震の前の話ですが、今回の地震の後に読んだのは、
コミックエッセイ 『ナガサレール イエタテール』(ニコ・ニコルソン/太田出版)です。

これは、、、


あまりにも長くなりますので、この続きはまた今度 !ということで。


いつもご愛読ありがとうございます♪
続きをお楽しみに ☆


下記の絵はアズミックアートの宇宙画『ストゥープ』です。





無断転載、コピーはご遠慮ください。


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花にインタビュー♪(その2)

2013-04-12 | 花のつぶやき
駅近くの階段そばの花壇の「芝桜」が、彩とりどりであまりにもきれいだったので見とれていました。

芝桜さんは何が好きなのかなぁ~と、心の中で尋ねたら

『風が好き。大空が好き』
と、まっすぐな答えが返って来ました。

とっても可愛い声でした。
『広い空と風さえあれば、他には何も要らないわ』

そっかぁ!いいなあ、風と空があればいいなんて、、。

「だけどやっぱり、水やら光やらも要るんじゃないの!?」
なんて、現実的なおばさん(私のこと)は、つい余計なことを考えてしまうのでした。


そう言えば『風の歌を聴け』ってタイトルの本もあったなぁ~。
あの頃は、文章では村上春樹と宮本輝がどっちも同じぐらい巧いと思っていたけれど、最近はどうなんだろう?

文体は好きだけど、村上春樹の描く女性はどうも現実感が薄くて私はダメだなぁ~。
『ノルウェイの森』も読んだけどいまいちノレナカッタなぁ。
河合隼雄さんとの対談集はなかなかよかったから、それ以来ちょっと彼を見直したけれど。
それにしても「村上春樹を読んで意識の変わる人」ってほんとうにいるのだろうか?

なんて考えながら、すぐ近くの本屋を覗いてみたら、発売前から大騒ぎされていたハルキさんの本が店頭にずらっ~~~と並んでいました。
が、不思議なことに全く人だかりはありません!(本屋さんも顔色を失うぐらい?)


私はちらっと最初のページの出だしの部分と一番最後のページの終わりの文章を立ち読みして、全く何も感じなかったので、黙って店を出ました。

そして帰り道で芝桜さんにこう話しかけました。

「ネ、どこ吹く風だよね!」って。


下記はれんげの花です。




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花にインタビュー♪(その1)

2013-04-11 | 花のつぶやき
以前のアズミックアートのHPの中でも最も好評で、今でも読者から時々リクエストをいただくのが、「花にインタビュー♪」という、花に聞いた「つぶやき」と私の描いたその花の絵のコラボ作品です。


それで今日は(絵は描けないけど)久しぶりに花にインタビューしてみよう♡と、周辺を歩き廻りました。
切り花の並ぶ花屋さん、花苗を売っているお店、道端の花壇の花、家々の庭に咲いている花 etc...

ところがどの花も話しかけても全く返事が返って来ません。
長らく話しかけていなかったから、もう私には花の気持ちが感じ取れなくなったのかなぁ~と思いながら、何度も心の中で呼びかけました。

そしたら何と
『咲くのに忙しくて話してらんないの!』という無愛想な声が返って来ました。

そうか、、じゃあ、仕方無いね。ごめん、またね。

と歩き出して、家に帰る道すがら、大きなピンクの椿の木があったので、「もう咲き終わりかけの花なら、もしかしてひまかもしれない」とふと思い、そのピンクの椿の花に話しかけてみました。

『ねぇ、椿さん、何か言いたいことなぁ~い?』
やっぱりすぐには返事が返りません。

散りかけだから、あまり元気が出ないのかも、、なんて勝手に思っていたら、
『う~ん、そうねぇ、う~ん。すぐには返事出来ないわ。しばらく考えさせて、、』
と、少しくぐもった声で言うのです。


そうか、じゃあ、また今度聞かせてね。ありがとう。

と挨拶して歩き出しかけて、ふとその横の今度は真っ赤な椿の花に目が止まりました。
その椿の木の周辺にはもう幾つもの花がぼたぼたと地面に落ちていました。

『椿の花って山茶花みたいにはらはらと散らずに、ぼたっと落ちるからなぁ~』と、思わず私が少々ネガティブな想いで見つめていたら、突然に怒ったような声が。


『あのネ、落ちるのがいいの。落ちたらいいのよ。落ちるから落ち着くのよ』
『落ちなかったら落ち着かないでしょ!』

はあぁ~なるほど。ご明察!!! 


どこかの国の核ミサイルだけは決して落ちて欲しく無いですけどね!?

落ちないで欲しいけど、早く「落ち着いて」欲しいですね。






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メサイアコンプレックス!?

2013-04-10 | 本の紹介
誰かのために何かをしてあげたあとで、何か気分がスッキリしなかったら、「メサイアコンプレックス」の可能性があると、心療内科医の海原純子さんは言います。

人を救い、人を助けることで自分の気持ちを納得させ、「人を助ける自分」でしか自分の価値はない、と感じて自分を捨てて過剰に人の世話をしてつくすことを「メサイアコンプレックス」と言うそうです。

これは私の愛読書でもある『他人に振り回されてへとへとになったとき読む本』(青春出版社)の中に書かれている説明です。

「人の世話をしたり、面倒をみたりすることは、社会的には善行であるために、こうしたメサイアコンプレックスに気づかずにいることが多い」のだそうです。

そして「このように相手を助けることでしか自分の価値はない、と感じている人の心には、自分に対する虚無感、不安感があり、愛されたいという自分の願望をつくしすぎることでまぎらわせていることがあり」、
「こうした場合、つくした相手を過保護状態にして相手の自立を阻む共依存状態に陥るのです。自分自身はとりつかれたように相手につくして相手に振り回されて体をこわしたり、つくされた相手は自立することができず依存しつづけるという悪循環にはまってしまう」と書かれています。


メサイアコンプレックスには下記のようなパターンがあるそうです。

1)同一化
相手と一体化し、相手の苦しみや困難を肩代わりしなければ、と思い込む

2)献身
相手にあわせ、自分をささげ自分の要求をおさえなければと思う

3)救済
相手を助け、できないほど引き受けてしまう

4)先回り
相手から頼まれる前に、相手の利益になることをして相手に好かれようとする


自分でも気づかないうちにそういうことになっていないかどうか?
気になる人は一度チェックしてみられてはどうでしょうか?


「こうしたメサイアコンプレックスに気づく最初のサインは、あなたが助けようとしている相手に怒りを感じるというものです。」
「怒りはあなたがバランスを崩しつつあるというサインであり、あなたが過剰に相手につくしているというサインなのです。」
「このような状態に気づいたら、あなたはメサイアコンプレックスです。」

と書かれた箇所(83ページ)を読んで、飛び上がる程、び~~~っっっっっくり!!!

実は私は最近どうもムカムカ腹が立つことが多く、それもなぜか特に「相棒に対してだけ」ムチャクチャ怒りが湧いて来ていたのです。
どうしてなのか理由がわからず、それで、この本を引っ張り出して読み直してみたところ、まさにぴったしカンカン!でした(大汗)。


しかも私の場合は、上記の4番目の「先回り」をよくしてしまうことに気付きました。
今日もたまたま火災保険のことで保険屋さんに電話したのですが、後で訊いたら相棒もちょうど自分でかけようと思っていたところだったそうです。

私がわざわざ保険屋さんに「彼に連絡をしてくれるように」と頼む必要は無かったのです。
まあ、今日の場合は、私自身の用件もあったので、彼のためだけでは無く、それはついでの依頼ではあったのですが、それにしても(親切心から?)私はつい「余計なことをしてしまう傾向」にあるようです。
本を読んで気づき、深く納得、反省!!!しました。


もちろんそれで相手から感謝されることも多いですが、でもそれによって相手の自立を阻んでしまい、相手を過保護にして、自分に依存させてしまう状況を生み出し、逆に相手から恨みをかってしまうことにもならないとも限りません。

まさか、まさか、自分が知らないうちにそんなふうになってしまっていたとは!?
本当に驚きです。


それは例えば、振り込め詐欺などの被害に遭った人のほとんどが、「まさか自分だけはそんなことには絶対ならない!」と自信を持っていたにも関わらず、否、そういう「思い込み」を持っていたが故に、「何かおかしいな、ヘンだな、もしかして騙されているのかも?」と、どこかでかすかな疑問を感じつつも、自らそれを認めたくなくて、自分の疑いを打ち消して過度に相手を信じ込もうとした結果、より相手のワナにハマってしまうようなものかもしれません。

かつて絵のお客様の中にもそういうふうにして相手に尽くし過ぎ、振り回され、共依存に陥って相手の憎しみを買い、DVの被害に遭って残念ながら亡くなられてしまった女性がおられましたが、本当に私も同じ轍を踏まないようにしっかり気を付けなければと思いました。


この本にはそんなふうに「人に振り回されてしまう」ことへの「解決方法」もちゃんと書かれていますので、どうぞご安心を♪

「メサイアコンプレックスに陥り人に振り回されてしまう人は、自分自身で生きていく自分らしさがみつからず、他者を世話することをアイデンティティーにしてしまうと言えるでしょう。」
「メサイアコンプレックスから脱け出るには、共依存関係に陥らず、自分らしい生き方を見つけるということが大切なのです。」


この本はほんとうに役に立ちます。女性の皆様には特にお薦めしたいです。
以前にもご紹介したかと思いますが、ぜひもう一度ご紹介したくなりました。

この本を買ってからもう何年?十年以上かな、いや、もっと経っているかもしれませんが、タイトルは少々あざといですが、この本だけはいつも手元に残して、かなり古びてきてもリサイクルに出すこともせず、ふと思い立った時に読み返しています。


下記は「ツルニチニチ草」の花です。




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