今年もスモモが色づく季節になりました。
物干しから採れるスモモはそれほど多くはありませんが、放っておくとカラスまで食べにやってくるので競争です。
手の届かないところにいい色をしているのがあると、気がもめる・・・・・・
さて今日のお題はPTA。
PTAと縁が切れてから20年近くになりますが、なぜ今ここで取り上げるかというと、私が携わってきたときからあまりに変化のないPTA組織に唖然としたことと、そんな状態に一石を
投じた話をネットで見かけたからなんです。
最初にPTAに関わったのが、上の子である娘が小学校に入学したときなので、30年以上前のことになります。その時すでにPTA委員や役員にはなり手がなく、毎年4月の終わりにある
PTA総会の頃には、学校から電話がかかってくるのを恐れる人がほとんどでした。
私のところに電話がかかってきたときも、「どうして私なの???」と思いましたよ。投票で上位の人から電話がかかってくるのだけれど、名簿の一番上とか下に名前があると選ばれ
やすいと聞いてうんざりしたものです。50音順をうらんだわ。
それから下の子=息子が卒業するまでの9年間のうちのほとんどを、学級委員、そして役員としてかかわり続けることになったのです。
PTA活動に関して、当時は今よりずっと学校側の意向が強かったように思います。役員になって、どうにかして旧態依然としたPTAを改善出来ないか模索しようとするだけで、ダメだし
されてしまうほど。
一度懇親会の席でそうした要望を軽い気持ちで校長に話したら、烈火の如き反応で座が冷え切りましたっけ・・・・・・
まぁそんなこともあったのだけれど、今思い返すとその小学校のPTA時代は私の人生の中でもかなり充実していた時期なんですよね。
前述のしょうもない校長もいましたが、その後は本当に尊敬できるような校長や主任の先生に出会えたし。
やってみたら案外よかったりするんだよ、って、嫌がる人に伝えたいなとも思います。
最も、そう思えるのも小学校のときのPTAだけ。あと訳が分からないまま、最後には会長になってしまった息子の高校のPTA活動は、やらなきゃいけないからやっていた感が学校側にも
かなり強くあったように感じました。そうなると、やっていても義務感しかない。その頃どんな活動をしていたか、ほとんど記憶にありません。要するに、つまらなかったということ。
私が目にして、とてもいいなと思ったネット上の記事は、東京都調布市の公立の小学校のPTAで、活動の全てをアプリを使って自由参加型にした、というものでした。
ベルマーク集めも希望者だけで自由参加型にしたらポジティブに取り組めたとか、役員の選出方法も変えて、要するにやりたい人がやる、という形に。
そうしたらなんと、役員の半分近くが父親になったんだとか。もちろんフルタイムで働いているわけだけれど、PTAのPは母親に限らないという当たり前のことが考えられてこなかった
ように思えます。
そんなふうに、行き詰っているPTA活動をなんとかしたい!と考え、かつ行動する人って素晴らしいな。
別のネット記事では、東京23区内でも未だに存在する、旧い体質のPTAの話も載っていました。都会中の都会でもそんなところがまだあるんですね。それはPTAばかりではなく、
地域の体質が問題なようで、私が住む地域にもそんな体質が残っている感じがあるから、当事者の皆さんはさぞ大変だろうな・・・と同情しきり。
実は私、役員までやっていたPTAではあったけれど、その当時からPTA不要論の持ち主でした。
本来は子どもたちのためにあるはずの組織のはず、なのに、全然そんなことないんだもの。親も学校も仕方なくやっている感ばかり。
私が役員をやっていて、これはよかったと思うのは、普段の学校生活が垣間見られたこと。授業参観などのときの様子なんて、教師も児童生徒もよそいき顔なんだもの。
それから自分の子どもとは違う学年の子を持つ親との接点が出来たこと。当時一緒に活動していて、その後も付き合いのある人も多いです。
私が役員を引き受けたのは、一度体験してみなければ批判は出来ないな、と思ったから。確かに当事者になったら、組織を変革するより無事平穏に終わらせることが第一になっても
仕方ないところはあるんですよね。
学校に通わせている子どもを持つ人にとっては避けて通れないPTA問題。
目立つことをするのを避けるのが国民性?みたいなところがある日本人なので、問題の解決のために声をあげるのはなかなか難しいかもしれませんが、ちょっと勇気を出して行動
する人が出てくるといいのに・・・と今は部外者になってしまった私は勝手に思っています。