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昨日は、3連休の最終日の「海の日」だった。
猛暑とゲリラ豪雨、線状降水帯などに悩まされた日本列島。
当方が住んでいる街の南側では、早朝に雷と豪雨の通り雨があったらしい。
北側のこちらは、何事もなく単に蒸し暑い終日だった。
夕方、いつものグラウンド・ゴルフ場に出向き、いい汗を流して帰宅。
シャワーが気持ち良かった。
「海の日」であるが、娘や息子の子供時代は近くの海に海水浴で行っていたが、ここ何十年も行っていない。
海はやはり若者が似合うのかも知れない。
今では、暑い時も、寒い時も生涯スポーツのグラウンド・ゴルフがベスト。
ところで、「海の日」にちなんで、去る17日付の産経新聞掲載の「産経抄」を改めてじっくりと読んでみた。
「われは海の子」の真実、裏話が掲載されていた。
小学校時代に唄っていた「われは海の子」。
とても、いい歌であり、特に夏場には気持ちよく歌えるものだった。
また、なにかしら元気が貰える歌でもある。
そのためか、クラスの全員で元気に唄っていたことも想い出す。
山間地の小・中学校だったから、大海原には格別の憧れもあった。
だからこそ、感動を覚えながら親しみを込めて唄っていたのであろう。
海の話となると、日本を囲い込んでいる日本海、太平洋などの大海原。
海洋国家日本、まさに長い歴史の中で日本人は海と関わって生き抜いてきている。
海洋資源の恩恵に浴しながら、日本人の歴史は刻まれたと云っても差し支えない。
近年、中国公船による領海侵入が甚だしい、常套化させることでいずれ我がものにとの意図も見え隠れしている。
油断も隙もない共産党国家である。
能天気な日本であってはならないであろう。
産経抄に書き込まれている「われは海の子」、実は7番まであったらしい。
終戦後、GHQによって文部省唱歌から追放されていたとのこと。
その原因が7番にあったとか。
そのような裏話があったこと。
そして、産経抄のまとめのようにあるべきと大いに賛同し、毅然たる海洋国家日本になるよう望みたい。(咲・夫)
[追 記]~7/17付 産経抄より~
♪われは海の子 白浪の…。「われは海の子」は、明治43(1910)年の尋常小学読本唱歌に掲載されて世に出た。作者不詳とされてきた名曲の作詞者が明らかになったのは、約80年後の平成元年である。
▼決め手となったのは、北欧文学者、宮原晃一郎の一人娘が保存していた手紙だった。宮原は文部省の詩の懸賞募集に、「海の子」と題した作品を応募していた。その入選通知が残っていたのだ。
▼12年7月20日の「海の日」には、宮原の故郷、鹿児島市の海を望む公園に歌碑が建てられた。「年末の第九のように、海の日には日本中でこの歌が歌われるようになればいい」。除幕式では、こんな声が上がっていた。大賛成だが、ただ一つ条件がある。
▼歌碑には、3番までの歌詞が刻まれている。海辺に生まれ、たくましく育つ少年が主人公である。実は歌詞はまだ続く。少年はやがて鍛え抜いた体を持つ青年となり、大海原にこぎ出していく。終戦後、GHQの指導で文部省唱歌から追放されたのは、7番の歌詞が原因だった。
▼♪いで大船を乗り出して われは拾わん海の富 いで軍艦に乗組みて われは護らん海の国。この部分が、軍国主義を想起させるというのだ。昭和33年から再び教科書に載るようになったものの、3番までしか歌われなくなった。久しぶりに全曲を聴いてみた。やはり海洋国家、日本にふさわしい名曲である。
▼日本近辺の海底には、豊富な資源が眠っていることがわかってきている。尖閣諸島周辺での領海侵犯を常態化させている中国の公船は、九州北部海域の領海にまで侵入を始めた。海の富、海の国を守る覚悟をいよいよ固める時である。今日の「海の日」、「われは海の子」を7番まですべて歌う日としたい。
(出典:産経新聞 抜粋)
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