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朝廷を頂に我が国は長い歴史の中で、日本人の日本人としての生きざまが培われてきたと思われる。
精神論的に見れば、修身の教えとか、教育勅語に本来あるべき日本人の姿が示されている。
『かつて日本には、修身という教科が、小学校で教えられておりました。修身では、努力、友情、親孝行、公益、正直など、25項目に及ぶ徳目を日本人にとって馴染みの深い過去や現代の偉人や有名人の言葉やエピソードをふんだんに用いて教えておりました。徳目の一つ一つを知識教育で定義や理屈を教授するのではなく、実在した人々のエピソードから生の体験として、一人一人が感じ取って行くことが出来るような道徳教育をしておりました』
『「勉学・研究」には、野口英世、本居宣長などのエピソード。「親孝行」には、二宮金次郎のエピソード、「資質・倹約」には、徳川光圀などのエピソードというように教えられておりました。これら徳目の一つ一つをご覧頂くとお分かりのように、時代や国、文化に縛られない普遍的な人の有り様を伝える内容がほとんどで、今の時代にも修身を教育の場に取り入れる価値は、十分にあると思われます』
(出典:修身~日本と世界~ 抜粋)
現代であっても、もっとも大切な『家庭のしつけ』も修身の際たる教えである。
明治以前の武士社会であれば、忠義が一番大切なもの、さらに修身の徳目も当然である。
そして、ひいては国家のため、国民の安全のため、国を愛する心など終戦前の日本人の心の底に流れているものであった。
ところが、僅か75年間の間に敗戦時の連合国が押し付けた憲法、軍隊を持たない国家、米国による植民地化の如き国造りなど、えせ民主主義の押し付けによって、日本人はものの見事に牙を抜かれてしまった。
精神的な支えの「修身」と「教育勅語」の廃止で、日本人を改造してしまった。
そのこともあってか、ロシア、中国、韓国、北朝鮮などから子馬鹿にされ通しであり、領土も侵略されても涼しい顔の日本人に成り下がっている。
これまでの日本人とは大きくかけ離れ、典型的な物の考え方を持った新聞記者も横行しているようである。
一昨日の河野防衛大臣の記者会見における一幕。
『関連でお伺いします。安全保障政策の見直しに関して、自民党提言にあったような相手国の領域へのミサイル阻止能力を検討する場合にはですね、周辺国からの理解というのが重要になってくると思われますが、現状では特に中国や韓国といった国からは、防衛政策の見直しについて十分に理解を得られる状況ではないのではないかと思いますが、防衛政策の責任者として現状の認識と、それから今後もし事態が許す際に必要だと思われることがあればお願いいたします』
この奇妙な質問に対して、同大臣はものの見事に切り返した。
わが国の領土を防衛するのになぜ中国や韓国に了解を得なければいけないのか、全く見当違いと云ったような切り返しであった。
牙を抜かれた日本人、ここまで愚かになるものであろうか。
このような輩ばかりになれば、日本国は地球上から消え去るであろう。
実に情けない。
僅か75年間で日本人が、本来あるべき姿の日本人が居なくなり、75年前の連合国の呪縛の強さがこれまでもかと思わされる。(夫)
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