「なぜ男は、切腹を願い出たのか。そこに、秘められた真の目的とは何か・・・」
関ヶ原から30年、芸州広島・福島家の元家臣で今は浪々の身の主人公・津雲半四郎(市川海老蔵)が、名門・井伊家に切腹を願い出た。
太平の世の中になろうとしている江戸時代前期、お家を取り潰され士官の道を求めながら浪人になっている侍も多い。そのような折、食い詰め浪人などが・・・と、ある大名家の前で狂言切腹を申し出た。すると、申し出られた大名家では、「太平の世であっぱれな覚悟」と褒めたたえ仕官させるか、あるいは庭先を汚(けが)されることを嫌って金銭を与えて追い返すようなことが行われていた。
このようなことを願って、津雲半四郎がやって来たのか・・・
半四郎のランランと輝く目の光からすると、どうやら本気で切腹を申し出ているようでもある。そのため諭すように、井伊家家老・斉藤勘解由(役所広司)が数ヶ月前にもそのように訪ねてきた若き浪人の顛末を話す・・・ここから、物語が始まってゆく。
全編を貫いている大名家取り潰しにあった家臣団の苦しい日常生活、そのように苦しい生活をしながらも、半四郎には武士の誇りも垣間見える。
余りにも困窮した生活をする中で、娘と幼児が病になっても医者に診せるお金もなく、そのために娘婿は、武士の誇りを捨てた行動や魂である刀まで売らなければならない苦しい生活を余儀なくさせられる。
主人公・半四郎の仕官先であった芸州広島・福島家、これは関ヶ原の戦いで家康にうまく乗せられて東軍についた福島正則の藩である。関ヶ原の武勲により芸州広島に49万8500石の城を構えるようになっていた。
しかし、家康の死後、福島正則は元豊臣の家臣であったことから、徳川幕府からいろいろと難癖をつけられ、遂には幕府に願い出ずに城を修築した罪で改易となり、信濃国の片隅で4万5,000石(高井野藩)に減封される。移封後、正則は嫡男・忠勝に家督を譲り隠居。このくだりは、大好きな池波小説「忍びの女(上・下)」に詳しく書き込まれている。
今回の映画は、改易になった藩として芸州広島・福島家を用いたものであろう。と、言うのも関ヶ原の戦いで、福島正則と同じ程度の武勲を掲げた井伊直政の井伊家を相手方に担ぎ出したのも原作者の意図するところかも知れない。
一方は元豊臣の家臣、一方は徳川譜代の家臣である。そのため、一方はお取り潰しによる困窮生活の武士。さらに対比する一方は、徳川譜代の家臣であることからこの世の春の井伊家・・・“赤備えで有名な”。
取り潰しにあった藩の家臣が、武家社会の規律と武門の誇りを重んじる大名家を相手にするなど、武家社会の矛盾への挑戦として異色の時代劇である。
見ているとまるで、一世を風靡した反戦映画のような感じでもある・・・。
映画全体に流れるテーマには、悲哀と共に重苦しい空気が流れている。さらに切腹のシーンも真剣ではなく竹光のために残酷で重いものであった。
それでも市川海老蔵さん、瑛太さん、役所広司さんなどの熱の入った演技には魅了されるものがあった。歌舞伎で鍛えた海老蔵さんの眼力(めぢから)も野太く通る声にも迫力があって・・・中々よかった。
詳細にストーリーなども書きたいが・・・・書かない方がいいだろう。久々に物悲しい映画であったが、不思議と涙の出てこない映画である。
なぜだろうかと思った。
迫真の演技、迫力ある画面構成、重苦しい空気と悲しみのこもるシーンであるが、やはり、日本人の魂に響かないからだろう・・・。
何と言っても日本人の魂を揺さぶるのは、「最後の忠臣蔵」が一番かと思っているもので・・・最近、観た中では。(咲・夫)
(出典:一命 製作委員会 抜粋)
[追 記]~ストーリー~
滝口康彦が1958年に発表し、62年には仲代達矢主演の「切腹」として映画化もされた時代小説「異聞浪人記」を三池崇史監督が3Dで再映画化。江戸時代初頭、大名の御家取り潰しが相次ぎ、困窮した浪人たちの間では、裕福な大名屋敷に押しかけて切腹を申し出ると面倒を避けたい屋敷側から金銭を与えられることを利用した「狂言切腹」が流行していた。
そんなある日、名門・井伊家の門前に切腹を願い出る1人の侍・津雲半四郎が現れ、井伊家の家老・斉藤勘解由を前に驚くべき真実を語り始める。
主演は歌舞伎俳優・市川海老蔵と瑛太。共演に満島ひかり、役所広司ら。
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関ヶ原から30年、芸州広島・福島家の元家臣で今は浪々の身の主人公・津雲半四郎(市川海老蔵)が、名門・井伊家に切腹を願い出た。
太平の世の中になろうとしている江戸時代前期、お家を取り潰され士官の道を求めながら浪人になっている侍も多い。そのような折、食い詰め浪人などが・・・と、ある大名家の前で狂言切腹を申し出た。すると、申し出られた大名家では、「太平の世であっぱれな覚悟」と褒めたたえ仕官させるか、あるいは庭先を汚(けが)されることを嫌って金銭を与えて追い返すようなことが行われていた。
このようなことを願って、津雲半四郎がやって来たのか・・・
半四郎のランランと輝く目の光からすると、どうやら本気で切腹を申し出ているようでもある。そのため諭すように、井伊家家老・斉藤勘解由(役所広司)が数ヶ月前にもそのように訪ねてきた若き浪人の顛末を話す・・・ここから、物語が始まってゆく。
全編を貫いている大名家取り潰しにあった家臣団の苦しい日常生活、そのように苦しい生活をしながらも、半四郎には武士の誇りも垣間見える。
余りにも困窮した生活をする中で、娘と幼児が病になっても医者に診せるお金もなく、そのために娘婿は、武士の誇りを捨てた行動や魂である刀まで売らなければならない苦しい生活を余儀なくさせられる。
主人公・半四郎の仕官先であった芸州広島・福島家、これは関ヶ原の戦いで家康にうまく乗せられて東軍についた福島正則の藩である。関ヶ原の武勲により芸州広島に49万8500石の城を構えるようになっていた。
しかし、家康の死後、福島正則は元豊臣の家臣であったことから、徳川幕府からいろいろと難癖をつけられ、遂には幕府に願い出ずに城を修築した罪で改易となり、信濃国の片隅で4万5,000石(高井野藩)に減封される。移封後、正則は嫡男・忠勝に家督を譲り隠居。このくだりは、大好きな池波小説「忍びの女(上・下)」に詳しく書き込まれている。
今回の映画は、改易になった藩として芸州広島・福島家を用いたものであろう。と、言うのも関ヶ原の戦いで、福島正則と同じ程度の武勲を掲げた井伊直政の井伊家を相手方に担ぎ出したのも原作者の意図するところかも知れない。
一方は元豊臣の家臣、一方は徳川譜代の家臣である。そのため、一方はお取り潰しによる困窮生活の武士。さらに対比する一方は、徳川譜代の家臣であることからこの世の春の井伊家・・・“赤備えで有名な”。
取り潰しにあった藩の家臣が、武家社会の規律と武門の誇りを重んじる大名家を相手にするなど、武家社会の矛盾への挑戦として異色の時代劇である。
見ているとまるで、一世を風靡した反戦映画のような感じでもある・・・。
映画全体に流れるテーマには、悲哀と共に重苦しい空気が流れている。さらに切腹のシーンも真剣ではなく竹光のために残酷で重いものであった。
それでも市川海老蔵さん、瑛太さん、役所広司さんなどの熱の入った演技には魅了されるものがあった。歌舞伎で鍛えた海老蔵さんの眼力(めぢから)も野太く通る声にも迫力があって・・・中々よかった。
詳細にストーリーなども書きたいが・・・・書かない方がいいだろう。久々に物悲しい映画であったが、不思議と涙の出てこない映画である。
なぜだろうかと思った。
迫真の演技、迫力ある画面構成、重苦しい空気と悲しみのこもるシーンであるが、やはり、日本人の魂に響かないからだろう・・・。
何と言っても日本人の魂を揺さぶるのは、「最後の忠臣蔵」が一番かと思っているもので・・・最近、観た中では。(咲・夫)
(出典:一命 製作委員会 抜粋)
[追 記]~ストーリー~
滝口康彦が1958年に発表し、62年には仲代達矢主演の「切腹」として映画化もされた時代小説「異聞浪人記」を三池崇史監督が3Dで再映画化。江戸時代初頭、大名の御家取り潰しが相次ぎ、困窮した浪人たちの間では、裕福な大名屋敷に押しかけて切腹を申し出ると面倒を避けたい屋敷側から金銭を与えられることを利用した「狂言切腹」が流行していた。
そんなある日、名門・井伊家の門前に切腹を願い出る1人の侍・津雲半四郎が現れ、井伊家の家老・斉藤勘解由を前に驚くべき真実を語り始める。
主演は歌舞伎俳優・市川海老蔵と瑛太。共演に満島ひかり、役所広司ら。
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