秋競馬も先週から始まりましたが、テンポイントに次いで好きであったナリタブライアンのことを思いだしました。
1993年8月15日に函館新馬戦、重馬場の芝1,200mにデビューするも、2着と後塵を拝したが、次の新馬戦で南井克巳騎手を背に勝ちあがりました。その年の12月には、朝日杯三歳ステークスG1を勝利して、最優秀三歳牡馬に選ばれています。
兄のビワハヤヒデのファンであったことから、すっかり弟であるブライアンの虜になったものです。
翌年の四歳時は共同通信杯から始動するなど、皐月賞では圧倒的な一番人気で完勝し、競馬の祭典東京優駿、そして秋の菊花賞を勝ち上がり三冠馬の称号を得ました。そして、年末の有馬記念では、兄ビワハヤヒデとの兄弟対決が期待されましたが、兄の故障で実現できませんでした。しかし、古馬相手でもまったく問題なく、この圧倒的な強さで年度代表馬に選ばれました。
五歳時以降は、股関節を痛めるなどでレース回避、あるいは、出走後も苦しいレースが続き、私もブライアンの復活を何度も願っていました。
六歳時初戦の阪神大賞典では、マヤノトップガンとの史上に残るマッチレースとなり、首差でゴールに飛び込みました。2番、1番人気のマッチレース、勿論ブライアンをテレビ観戦で応援しその勝利馬としての誇らしさを忘れることはできません。
この名勝負の勝利の余韻とともに春の天皇賞に出走するも2着でした。最後のレースは、距離1,200m高松宮杯に出走しましたが、私には全く理解できませんでした。その後故障が判明し想像もしない引退となりました。
しかし、期待された種牡馬生活も2年目の1998年夏に腸捻転で死亡とのニュースは、多くのブライアンファンを悲しませました。
昨年の夏にやっと、ナリタブライアン記念館を訪問し、ディープインパクトは、飛ぶように走るが、沈むように走っていたブライアンの雄姿を思い起こしました。
ブライアンは、自分の影に驚いてレースに集中できないことから、あのホワイトのシャドーロールを着けることで、集中して走れるようになり、シャドーロールが有名になりました。
裏庭に関わった方々のメッセージと共に建立されているお墓があるので、「長い間お疲れさま」と手を合わせました。
この記念館では、引退時の記念の腕時計(ブライアンの顔が刻印され、手作りで、純金7ミクロン、22金3ミクロンの10ミクロン厚メッキ・・・ガラスはサファイアとか、本物のクロコダイルのベルト、銀座和光の大阪店(心斎橋筋)で製作された)を思いもかけず手に入れることができ、その際に非売品である小指位のボトル入りのブライアンのタテガミをいただき、さらに感激し、生涯の宝物として大切にしています。
ナリタブライアン略歴
1991/5/3生 1998/9/27没
牡 黒鹿毛
父:ブライアンズタイム 母:パシフィカス (by Northern Dancer)
生産者:新冠・早田牧場新冠支場(JPN)
馬主:山路秀則氏
調教師:大久保正陽(栗東)
中央所属時成績
三歳時7戦4勝朝日杯三歳ステークス
四歳時7戦6勝皐月賞・東京優駿・菊花賞・有馬記念
五歳時4戦1勝
六歳時4戦1勝
中央通算21戦12勝 全通算21戦12勝
注)現在は満年齢
出典:厩戸光明伝のHP
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1993年8月15日に函館新馬戦、重馬場の芝1,200mにデビューするも、2着と後塵を拝したが、次の新馬戦で南井克巳騎手を背に勝ちあがりました。その年の12月には、朝日杯三歳ステークスG1を勝利して、最優秀三歳牡馬に選ばれています。
兄のビワハヤヒデのファンであったことから、すっかり弟であるブライアンの虜になったものです。
翌年の四歳時は共同通信杯から始動するなど、皐月賞では圧倒的な一番人気で完勝し、競馬の祭典東京優駿、そして秋の菊花賞を勝ち上がり三冠馬の称号を得ました。そして、年末の有馬記念では、兄ビワハヤヒデとの兄弟対決が期待されましたが、兄の故障で実現できませんでした。しかし、古馬相手でもまったく問題なく、この圧倒的な強さで年度代表馬に選ばれました。
五歳時以降は、股関節を痛めるなどでレース回避、あるいは、出走後も苦しいレースが続き、私もブライアンの復活を何度も願っていました。
六歳時初戦の阪神大賞典では、マヤノトップガンとの史上に残るマッチレースとなり、首差でゴールに飛び込みました。2番、1番人気のマッチレース、勿論ブライアンをテレビ観戦で応援しその勝利馬としての誇らしさを忘れることはできません。
この名勝負の勝利の余韻とともに春の天皇賞に出走するも2着でした。最後のレースは、距離1,200m高松宮杯に出走しましたが、私には全く理解できませんでした。その後故障が判明し想像もしない引退となりました。
しかし、期待された種牡馬生活も2年目の1998年夏に腸捻転で死亡とのニュースは、多くのブライアンファンを悲しませました。
昨年の夏にやっと、ナリタブライアン記念館を訪問し、ディープインパクトは、飛ぶように走るが、沈むように走っていたブライアンの雄姿を思い起こしました。
ブライアンは、自分の影に驚いてレースに集中できないことから、あのホワイトのシャドーロールを着けることで、集中して走れるようになり、シャドーロールが有名になりました。
裏庭に関わった方々のメッセージと共に建立されているお墓があるので、「長い間お疲れさま」と手を合わせました。
この記念館では、引退時の記念の腕時計(ブライアンの顔が刻印され、手作りで、純金7ミクロン、22金3ミクロンの10ミクロン厚メッキ・・・ガラスはサファイアとか、本物のクロコダイルのベルト、銀座和光の大阪店(心斎橋筋)で製作された)を思いもかけず手に入れることができ、その際に非売品である小指位のボトル入りのブライアンのタテガミをいただき、さらに感激し、生涯の宝物として大切にしています。
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ナリタブライアン略歴
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1991/5/3生 1998/9/27没
牡 黒鹿毛
父:ブライアンズタイム 母:パシフィカス (by Northern Dancer)
生産者:新冠・早田牧場新冠支場(JPN)
馬主:山路秀則氏
調教師:大久保正陽(栗東)
中央所属時成績
三歳時7戦4勝朝日杯三歳ステークス
四歳時7戦6勝皐月賞・東京優駿・菊花賞・有馬記念
五歳時4戦1勝
六歳時4戦1勝
中央通算21戦12勝 全通算21戦12勝
注)現在は満年齢
出典:厩戸光明伝のHP