紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

読みたい。けど読めない。その2

2006-04-29 21:46:16 | 読書
 読みたい。けど読めない・・・、というマンガがある。(やっと「その2」にたどり着けました!)

 『BSマンガ夜話』で業田良家さんの『自虐の詩』の回を観たのは、偶然だったのか意図していたのかは、もう覚えていない。2004年3月の上旬の頃だった。この番組のレギュラー出演者とは、たぶん違う好みや感じ方を持っているため、ことに少女マンガの回に関しては「う~ん・・・?」とか思ってしまう。だからめったに観ない。が、たまたま観た「みどりのマキバオー」(競馬まんが&競馬馬版ビルディングス・ロマン?まんが。つの丸・作)の回とかは、結構面白かったりもした。
 
 『自虐の詩』の回は、呉智英氏ほか各氏ヒートアップされ、思わずひき込まれてしまった。以前読んだ中野翠さんのエッセイでも、怒濤のように「4コマまんが」が感動の大河となる様を語られていた。番組のあった翌日、となり町、近江八幡市のユニークな品揃えの小さな本屋「イシオカ書店」に飛び込んだ。

 「店長!『自虐の詩』、ある?」
 これだけで何のまんがか解ってもらえる。
「あることはあるけど・・・」と癌からくる腰痛のため、ゆっくり、でも確実に棚に向かいながらも、なんとなく歯切れが悪い。衷走[文庫の緑のカバーの『自虐の詩』を棚から抜きながら「あることはあるけど、紙魚子さんのイメージではないと思う」。

 どう考えても客商売をしている人の発言とは思えないが、奥村店長はそういう人だった。客の喜ぶ(だろう)ものを売るのは、「お買い得やし、買ったら~?」とか冗談めかして(心安い客だけには)押し売りさんにもなる。 だから逆に客が買った本を読んで落胆するのが予想される事態は、純度100%の「本屋のおやじ」としてがまんできないのだ。

 2~3年という短い期間で、ほぼ私の読書傾向を把握されていたはずだ。店長の目に狂いがないことを知っているだけに、この言葉は、けっこうショックで動揺した。
 若い頃なら反発するようなことも、40を越えると「とりあえず飲み込んで反芻して考え続ける」ことも「いま理解できないことも直感で判断できる」ようにもなる。

 それでもあえて「持っとくだけでも、持っとくし、買っておくね」。
 とにかくイシオカ書店で出来る限り本を買うことは、とっくに私(と私の家族)の使命になっていたし。

 そのほぼ10日後、癌が悪化した店長は入院され、1ヶ月後にはお店が閉められた。その5ヶ月後、彼は天国に召された。

 『自虐の詩』(上・下)は1ページも、ひとつのまんがも読まれることなく、いまも購入時に挿まれた納品書がそのままになっている。
 これはたぶん、読めないだろうなあ、ずっと。

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