私にとって一番思い出深い、懐かしい文集は、小学校卒業時のものだろう。ガリ版で作った、ものすごく時間をかけた文集。6年間学校で唯一のひとクラス学年(他の学年はすべてふたクラス)だったので、たぶんよけいに。
でも実際は記憶に残っていたのは、実は高校卒業時のものだった。と、いうことに、「卒業文集をネタにした記事を書こう!」と調べ物を始めて、やっと気づき、実は呆然としたのだ。
「あれって、小学校のときのじゃなかったんだ!?」
「あれ」とは、おぞましい事件にまつわるイラストの続出である。各自、自分の作文のスペースを少しもらうのだが、スペースを字で埋めるのが面唐ノなった人たちは、自作イラストで余白を埋めた。その事件が起きた年を調べると、どうも高校生の頃の事件だったので、小学校の卒業文集に載るのは不可能だということが判明したのだ。
その事件の猟奇さ加減と、いかにも小学生男子が食いつきそうな内容に、私はすっかり「あれは小学校の卒業文集で、おちゃらけた男子たちが、こぞってビジュアル化した」と、勝手に思い込んでいたのだ。小学生男子への私の偏見の賜物である。すまぬ、小学生男子たちよ!
あの事件。それは俗に『手首ラーメン事件』と呼ばれるもので、卒業文集のページをぱらぱらとめくれば、ラーメン丼の麺のはざまから切断された手首が見えている不気味なイラストの数々が頻出するのである。ちなみに「手首」は「指紋から身元が割れると困るので、ラーメンだしに混ぜて、その後粉砕した」とラーメンの屋台をしている子分?を持つ犯人が供述しているため、実際にラーメン+手首という図は存在しない。
そんな不気味なイラストが、繰るページにしばしば登場する卒業文集って・・・とても生徒は女子しかいない高校の卒業文集とは思えない。
いや、もしかすると女子校の女子高校生というのは、3年かけて中身が小学生男子化するのかもしれない。それは、かなりありうる話なのではと思われる。なんだか身に覚えもありそう。
学校生活の中で色恋沙汰や異性問題から、トラブルや、ややこしいことや、面唐ュさい事が起きないのは、一部の(どんな!?)女子にとって意外にも大変快適だったりもするのだ。
でも実際は記憶に残っていたのは、実は高校卒業時のものだった。と、いうことに、「卒業文集をネタにした記事を書こう!」と調べ物を始めて、やっと気づき、実は呆然としたのだ。
「あれって、小学校のときのじゃなかったんだ!?」
「あれ」とは、おぞましい事件にまつわるイラストの続出である。各自、自分の作文のスペースを少しもらうのだが、スペースを字で埋めるのが面唐ノなった人たちは、自作イラストで余白を埋めた。その事件が起きた年を調べると、どうも高校生の頃の事件だったので、小学校の卒業文集に載るのは不可能だということが判明したのだ。
その事件の猟奇さ加減と、いかにも小学生男子が食いつきそうな内容に、私はすっかり「あれは小学校の卒業文集で、おちゃらけた男子たちが、こぞってビジュアル化した」と、勝手に思い込んでいたのだ。小学生男子への私の偏見の賜物である。すまぬ、小学生男子たちよ!
あの事件。それは俗に『手首ラーメン事件』と呼ばれるもので、卒業文集のページをぱらぱらとめくれば、ラーメン丼の麺のはざまから切断された手首が見えている不気味なイラストの数々が頻出するのである。ちなみに「手首」は「指紋から身元が割れると困るので、ラーメンだしに混ぜて、その後粉砕した」とラーメンの屋台をしている子分?を持つ犯人が供述しているため、実際にラーメン+手首という図は存在しない。
そんな不気味なイラストが、繰るページにしばしば登場する卒業文集って・・・とても生徒は女子しかいない高校の卒業文集とは思えない。
いや、もしかすると女子校の女子高校生というのは、3年かけて中身が小学生男子化するのかもしれない。それは、かなりありうる話なのではと思われる。なんだか身に覚えもありそう。
学校生活の中で色恋沙汰や異性問題から、トラブルや、ややこしいことや、面唐ュさい事が起きないのは、一部の(どんな!?)女子にとって意外にも大変快適だったりもするのだ。
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