きのうの「蕃茄庵日録」を読んで、ふと高校時代の友だちのことを思い出した。70年代後半に当たる、私の高校3年生の頃の話である。
高校3年生の頃、クラスは受験を控え殺伐として・・・はいなかった。箸がころげても笑う年頃の女子が集う、上に短大が付いた女子校だったこともあり、一部の生徒を除き、多数はそこに進学するので、唯一の受験科目である現代国語のみ勉学に励んでいた。
受験科目から外れる理数の授業中、机の下で隣の子とふたりで、『うしろの百太郎』なんかのマンガをゾクゾクしつつ読んで、「次のページめくっていい?」と小声でささやきながら「エクトプラズム」とか「幽体離脱」の知識を得ていたのである。私は他大学受験組の「一部の生徒」だったのに、なにをしていたやら。
こんなだから、あんまり殺伐とはしていなかったし、女同士の陰湿な争いや足の引っ張り合いなども不思議になかった。けっこうみんな仲が良かったのだ。小グループで友だちになっていたが、グループ同士合併したり、帰宅場所や趣味の場では、また違ったテリトリーを作ったりして、有機的で自由な人間関係を楽しんでいた。
女子はもしかすると共学の方が(恋愛の競争社会になるためか?)、陰湿さを発揮するのかもしれないのである。
そんなクラスで席替えがあり、私のうしろの席にみんなから「Ben」と呼ばれていた熱血時代劇ファンの女の子が来た。
京都には時代劇撮影所のメッカ、太秦映画村があるが、ときたま「映画村祭り」などのイベントがあるときに、彼女は時代劇のスターに会いに行って、サインをもらったりしていたのだ。私と彼女は高橋英樹の話題などで盛り上がったりして、すぐ仲良くなった。ふたりで時代劇ごっこ?のようなものもしたような記憶すらある。(ふたたび、何をしていることやら)
私は単なるテレビ好きで、ドラマもバラエティもお笑いも教育番組もワイドショーも、とにかく節操なく片っ端から見ていたので、当然時代劇もテリトリーにはいっていた。だから彼女のテレビ時代劇の話にはついて行けたのだ。
また彼女は影の篤志家でもあり、『紫頭巾』を名乗ってラジオ番組で呼び鰍ッられた募金に寄付したりもしていた。その辺にも、時代劇の影響の大きさが伺える。
当時、シートが入る透明下敷きに、自分の好きなアイドルの写真(雑誌などから切り取ったものなど)を入れるのが流行っていた。Benは『水戸黄門』の主題歌を清書して透明下敷きに入れ、その歌詞に励まされながら中間や期末の勉強していたのだ。「ほんまに、エエ歌詞や!」と絶賛して心酔していた。彼女にとっては『水戸黄門』の主題歌は、人生応援歌なのであったのだ。
ところで時代劇とは全く関係ないが、彼女はなぜ女の子なのにBenなどと呼ばれていたのか? なぜなら、とても爽やかに、かつ、すっきりストレートにスカトロな話をする子だったからである。だから彼女の親友の静子ちゃんは「シッコ」と呼ばれるはめになったのである。
高校3年生の頃、クラスは受験を控え殺伐として・・・はいなかった。箸がころげても笑う年頃の女子が集う、上に短大が付いた女子校だったこともあり、一部の生徒を除き、多数はそこに進学するので、唯一の受験科目である現代国語のみ勉学に励んでいた。
受験科目から外れる理数の授業中、机の下で隣の子とふたりで、『うしろの百太郎』なんかのマンガをゾクゾクしつつ読んで、「次のページめくっていい?」と小声でささやきながら「エクトプラズム」とか「幽体離脱」の知識を得ていたのである。私は他大学受験組の「一部の生徒」だったのに、なにをしていたやら。
こんなだから、あんまり殺伐とはしていなかったし、女同士の陰湿な争いや足の引っ張り合いなども不思議になかった。けっこうみんな仲が良かったのだ。小グループで友だちになっていたが、グループ同士合併したり、帰宅場所や趣味の場では、また違ったテリトリーを作ったりして、有機的で自由な人間関係を楽しんでいた。
女子はもしかすると共学の方が(恋愛の競争社会になるためか?)、陰湿さを発揮するのかもしれないのである。
そんなクラスで席替えがあり、私のうしろの席にみんなから「Ben」と呼ばれていた熱血時代劇ファンの女の子が来た。
京都には時代劇撮影所のメッカ、太秦映画村があるが、ときたま「映画村祭り」などのイベントがあるときに、彼女は時代劇のスターに会いに行って、サインをもらったりしていたのだ。私と彼女は高橋英樹の話題などで盛り上がったりして、すぐ仲良くなった。ふたりで時代劇ごっこ?のようなものもしたような記憶すらある。(ふたたび、何をしていることやら)
私は単なるテレビ好きで、ドラマもバラエティもお笑いも教育番組もワイドショーも、とにかく節操なく片っ端から見ていたので、当然時代劇もテリトリーにはいっていた。だから彼女のテレビ時代劇の話にはついて行けたのだ。
また彼女は影の篤志家でもあり、『紫頭巾』を名乗ってラジオ番組で呼び鰍ッられた募金に寄付したりもしていた。その辺にも、時代劇の影響の大きさが伺える。
当時、シートが入る透明下敷きに、自分の好きなアイドルの写真(雑誌などから切り取ったものなど)を入れるのが流行っていた。Benは『水戸黄門』の主題歌を清書して透明下敷きに入れ、その歌詞に励まされながら中間や期末の勉強していたのだ。「ほんまに、エエ歌詞や!」と絶賛して心酔していた。彼女にとっては『水戸黄門』の主題歌は、人生応援歌なのであったのだ。
ところで時代劇とは全く関係ないが、彼女はなぜ女の子なのにBenなどと呼ばれていたのか? なぜなら、とても爽やかに、かつ、すっきりストレートにスカトロな話をする子だったからである。だから彼女の親友の静子ちゃんは「シッコ」と呼ばれるはめになったのである。
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