Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

「光陽展」広島展によせて・・・

2006-06-04 23:59:46 | 怒素人的美術蘊蓄録
(添付画像:第54回光陽展ブックレット)

 久しぶりに、昨日は広島県立美術館に出向いた。

 ブックマーク並びにコメントでおなじみの悠々さんは「光陽会」(会本部ホームページはこちらから入れます)の会員。表題の展覧会に、「奥入瀬の激流」と題し作品を出展され広島会場にも作品展示ある旨ご案内いただき、恐れ多くも先日、ご招待状をお贈り頂く。

 蒸し暑かった昨日は、梅雨の合間の如くに良く晴れ渡り「外出日和」なり。

 「今日の好き日に、いざ赴かん光陽展!」
  
 午後から広島県立美術館に赴き、悠悠さん作品を拝見した。光陽会の委員、会員、会友、一般あわせて120点に及ぶ堂々たる全作品は、地下会場「県民ギャラリー」にて展示。
 「悠々さん作品」は、会場中央部に堂々と展示されていた。この半年、何度かメール添付画像にて製作過程の作品を拝見していた。が、完成した作品を観て、あらためて感動した。迫力のある立派な出来栄えであった。やはり絵画は、ホンモノを見なければその味は理解できない事、あらためて痛感した。
 
 思っていた以上に立派な会場にて、展示見学の為一回りするのに、とても(予定していた?)3~40分の時間では、とてもとても不十分。結果、1時間20分間以上、展示会場を徘徊し続けた我輩の脚は、思いのほか疲れる。絵画作品鑑賞後、通常この時間帯にて所用を終えたらば、そのまま行きつけの店(小料理屋)に直行するは常識である。通常予定パターンにて夜の巷を徘徊するいとまもなく、美術館閉館(週末は午後7時)以前に会場から退くこと午後6時。真面目に(郊外の)自宅へ直帰した。
市立美術館と広島美術館(私立)には割合よく足を運ぶものの、県立美術館に入館したのは5年振りである。パチンコ、映画館、美術館は、何故かおかしなもので、遠のけば遠ざかり、一度足を運んだら癖になり、それがきっかけとなり、また出向きたくなる。
 館内の情報によると、来週は同じ会場で旧友の所属する会の展覧会、開催予定ある事判明。また県立美術館に足を運ぼうと思っている。
 
 いつもの長文、本日はこのあたりにて切り上げる。
 さっそく明日は、悠々さん作品画像を公開致したく、くわえて「鑑賞雑感」を述べてみたい。

         <・続く・・> 

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拝啓櫻井よしこ様(日本人の英語は?)「何があっても大丈夫」、感想文に寄せて

2006-06-03 12:05:45 | 趣味の話&本と雑学メモ
<添付画像>:The "Stocks and Stripes flag", the united stockholders of America. A protest flag signifying the alleged corporate influence over the U.S.("Globalization" from Wikipedia)

 拙ブログにて投稿した連載読書感想文「何があっても大丈夫」、読者から多くの有意義なコメントを頂き、不肖エセ男爵と致しましては幸せこの上なく、お寄せいただいたコメンテーターの皆様に感謝!
 上述感想文の続編掲載シリーズ化してしまった今日、お寄せいただいた感想コメントを読み返せば読み返すほど、お寄せいただいたコメントの中、読者の皆様の真剣前向きな「お考え」を繰り返し拝読、、、。お寄せ頂いた皆様全てのコメントから感ずる事、学ぶ事、多々あり。想えばおもうほどに、我が痩身にして全身、幸せ感覚に満ち溢れ、ブログ管理者冥利に尽きる事この上なく、誠に光栄の至りであります。
 かくして、読書感想文「この一冊」に関する最終投稿は理路不整然にして結論無きまま、なぜか「英語学習のあり方」に辿り着いたものの、計らずして読者の皆様からは「目から鱗の落ちる」如きすばらしく力強いコメントを数多く頂きました。
そして、
いよいよ昨晩、最終コメントを頂いた『CFOさん宛コメント』に対するお答えコメントの投稿、終えたところであります。投稿文字数はすでに3000文字を超え、長いコメント文章になったもの。
一夜明け、
我が投稿コメントを読み返せば、CFOさんから頂いたオリジナルコメントのすばらしさにあらためて感動。
 このままコメント欄に仕舞い込んで置く事、如何にも「もったいなく」、本日(CFOさんのご了解無きまま)本記事として公開し、あらためて皆様にご紹介申し上げたくご案内に至る次第であります。

 現在の我国日本における、企業英語現場の実態に対応すべき「お姿、姿勢」、加えて語学習得に関しての「力強いご意思」をご表示頂いた事、感謝いたしますと共に、語学学習に感心をお持ちなる「拙ブログ」読者の皆様には大いなるご参考にして頂きたく、以下全文、是非ご通読下さいますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

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<コメント欄投稿記事>


A)『英語は外国語?いや、自分達の言語です。 (CFO)』
(先日掲載済み)最終編感想文『何があっても大丈夫』のコメントより引用>

2006-06-01 00:00:38

男爵さん、
英語の需要という点において大人の場合「できて当たり前」、全く同じ認識です。専門スキルが同レベルの場合、英語ができるのとできないのとで年収が20%~50%、金額にして200万円~500万円も違いますし、リストラに際しては英語のできない社員から解雇される会社もごく当たり前です。あくまでコミュニケーションツールに過ぎない英語で給与に差が出るのは本来であればおかしな話ですが、これは社会でそれほど多くの需要があるのにもかかわらず供給がそれに追いついていないと解釈できましょう。ゆえに、大人・子供を問わず国民全体の英語力急上昇が緊急課題であると考えます。
男爵さんは第2外国語の重要性までを認識されておりますが、これは私に警笛を鳴らしていただいたと言っても過言ではありません。現状は英語だけで精一杯、専門分野は何とかこなせるものの日常英語は四苦八苦、後者ができないことによるハンディを身にしみて体験しており、汎用性の高い日常英語力を緊急に増強中です。しかしながら、第2外国語を視野に入れるべく、ここで音を上げていてはいけないのでしょうね。第2外国語は中国語・韓国語などのアジア言語がよろしいのでしょうか?
tonoさんの言葉を借りますと、英語はれっきとした世界標準語(グローバル標準語)、これに対して日本語はローカル標準語(即ち方言でしょうか?)であると認識しております。ゆえに、日本人にとって英語は外国語などではなく、自分達のもう一つの標準語であると考えます。また、適用範囲という点では、日本語はドメスティックな日本というエリアのみ、翻って英語は全世界で通用しますので、ある意味こちらの方がプライオリティーが高いとも言えます。それほど英語は日本人にとって重要な言語であると考えます。ゆえに、小学校での英語必修化、英語教育の早期化を議論するに際しては、日本語とどちらが重要か、どちらを先に学習すべきかという問題は甲乙をつけられないと考えます。どちらも自分達の共通語なのですから、小学校、幼稚園、いや生後可及的速やかに両方を学習すべきであると言っても過言ではないと考えます。英語を人様の言語ではなく自分達の言語であるという認識を持つことが出発点であると考えます。
(以上、CFOさんからのコメント転載)

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<以下、不肖エセ男爵による「返信コメント」>

B)『CFOさん・・ (エセ男爵)』

2006-06-03 02:05:09

初めてのコメントを頂き、たいへんありがとうございます。にもかかわらず、CFOさんへのご返事遅くなり、たいへん恐縮です。
日本における英語の需要と供給、簡潔且つ完結した論評、お見事です。

あらためて勉強になりますこと、御礼申し上げます。

たいへんありがとうございます。

未だ拙き未熟者エセ男爵にして、すでに何も申し上げるべき事柄はありません。が、しかし、このままご返事をコメント欄に記さねば、如何にも失礼にあたるのではないか!
等と、おおいに悩み、考えあぐねた上、
あらためてキーボードを叩き始めました。
さて、どこからどのようにお答えしたら宜しいか?
などなど、支離滅裂になること覚悟にてのご返事、あらためてお許し下さい。

>英語の需要という点において大人の場合「できて当たり前」、全く同じ認識です。・・・

・認識を同じくしていただき、たいへんありがとうございます。

>専門スキルが同レベルの場合、英語ができるのとできないのとで年収が20%~50%、金額にして200万円~500万円も違いますし、・・・・
(・中略・)
・・・・あくまでコミュニケーションツールに過ぎない英語で給与に差が出るのは本来であればおかしな話ですが、これは社会でそれほど多くの需要があるのにもかかわらず供給がそれに追いついていないと解釈できましょう・・・・

・私自身、いわゆる「企業現場」から遠ざかって久しい今日、現場実態にして、ここまでの「需要」有りという現実、よく理解できました。ならびに「語学需要に対する」認識から発生する「報酬格差」が生じている現実、あらためて認識いたしました。正直申し上げ、たいへん驚いています。


さて、
第二外国語の問題について、

これは人それぞれの現場によって、おおきな相違が生じてくると思っています。しかし、21世紀の「日本人の素養」という捉え方からすると、今の英語程度まで第二外国語のレベルを向上しないとまずいのでは?と、実感しています。
くわえて、
英語日常会話の重要性云々について、私はあまり重点を置いて考えないようにしています。
人により、差こそあれ、英語会話こそ、一番安易で簡単であるという認識です。
企業内あるいは実務現場での専門分野英語から派生する業務処理は最重要事項であり、日常会話レベルコミュニケーションは、あくまでも付随的であると位置付けています。もちろん、これとて仕事のフィールドの相違によって、大きくウエイトの違いが生じてくる。とも思われます。最重要事項は文章の解読、次に文章の作成能力であると信じてやみません。

押しなべて、ツールとしての語学(英語)は、
1)自分から(能動的に)話す事、即ち自らが発する会話を組み立てる事こそが、一番易しい「英語道具」の使用運用方法です。
2)次に難しいのが、専門分野の如何を問わず、文章が「読める」かどうか?(05’11月18日投稿、読書感想文「渡部昇一先生著・英文法を撫でる」ご参照下さい・・)
3)次に、「他人の喋る言葉」が、聞き取れるかどうか?相手様の話が聞き取れれば、如何様にでも自らの会話は成立可能です。相手のくだけた会話に対して、こちらは文語調の応答でも、完全に通じますし、決して失礼ではありません。
4)一番最高位に位置するのは、書けるかどうか?
以上、4点セットで成り立っていると思ってやみません。
ですから、(例え話をすれば)
私は電車に乗っているとき、女子高校生の話している日本語は聞き取れますが、会話の内容は分かりません。また、彼女達の会話内容を理解しようとも思いません。さらには、彼女達の話し言葉(未知の単語+文法運用など)は、時に、聞き取れない事もあります。別例を挙げれば、米軍の召集兵(特に黒人の兵隊)の言葉は、ほとんど聞き取れません。そして、上記の言葉など聞き取れなくても一向に気になりません。
さらに、
初めてお会いした人との会話を進める場合、ほとんど聞き取れないので何度も聞き返します。失礼を承知で、、、。ならば相手の方は私に対して気を使って下さり、「私がわかるような話し方」にして頂くこと可能。これでようやく話が聞こえてきます。相互の調整可能なるのは「会話の世界」ですから、会話は簡易にして楽なのです。恥ずかしながら、久しぶりに米大陸を旅行すると、到着して約1週間程度は、現地の人たちの会話は聞き取れませんが、10日間くらい経つと、なんとなく会話が聞き取れ始め、理解可能になります。要するにこちらの耳が慣れてきます。しかしイザ、相手に対して「私が話す」場合、ほとんど全員の人に対し、私の会話内容は分かるようです。「これで問題はない」と、腹を括っています。

時は、「グローバル時代」です。(ウイキペディア百科事典によるによる「グローバリズム語彙」の定義?は、こちらからご参照いただけます・・
まして、IT時代(今や、ICT時代か?)、その共通語は、どうも「英語」のようです。
これが現実です。
現実からは、けっして目を離せません。
ならば逃避せず、英語は「学んだ方が得」する事、これも現実のようです。
しかし、「グローバルの語彙」を間違って解釈したり、勘違いしている人もあります。
経済学の解釈と、社会学者(この学問フィード、理解しかねるのですが)とは異なるようです。社会学者の多くは、グローバリゼーションなるもの「強者・勝者アメリカ合衆国とその配下の横暴」と、誤解しているようで、勝者の言葉即ち英語世界と米国の経済的軍事的な圧力に屈したくなく、アメリカ的大国に属したくない。という、マイノリティーへの弱者救済のために、グローバリゼーションを否定している「愚者」も多く存在するようです。非現実的且つ非理論的なので、このあたりの議論はしないことにします。
私自身が(勝手に)解釈しているのは、経済学経営学で云う「グローバリゼーション」です。
その意に従って解釈すると、このグローバリゼーションは何も20世紀の末に始まったものではなく、遠く紀元前から始まり、今日に至ったという解釈(経済学的解釈)です。古代文明が開化した時代からギリシャローマ時代を経て、(当時の)オリエントという特定地域の情報はヨーロッパ全土に広がり、インドに広がり、ユーラシア大陸を経て東西交流からシナ大陸へ、さらに飛鳥奈良の時代に日本にも伝わってきた。これをして「グローバリゼーション」と云う。等と、経済史学説上(ヒックス教授「経済史の理論」参照引用:拙ブログにて記事掲載済み)、定義付けています。
そして、
すでに聖徳太子の時代には、完全にチャイニーズ(言語)を日本に輸入?、仏教等の諸文化もすべからく「漢字」を駆使して伝来したもの。
江戸期(270年程度か?)の鎖国時代前後(尚、鎖国中は清国及びオランダ等と交易の中)、日本人は外国語に慣れ親しみ「外国語を駆使」しつつ、(外国文化科学などを)日本古来本来の自国文化に消化吸収しながら明治維新をむかえ、一気に国際化(グローバリゼーション)開花したものと解釈しています。
いま、21世紀を向かえ、経済的には世界の国境がなくなった現状、過去にもまして情報が飛び交う現状、外国語習得の重要性を直視せずして、日本人の得意な本来的個性は発揮できないとも思えます。
今尚、外国語習得不得意な日本人の難点は、
日本語の文法的構造と、英語のそれとは隔たりが大きい。
しかし、明治の文明開化を経験した日本人(リ-ダークラスの日本人も含め)と比較すれば、今の日本人はあまりにも恵まれているのではないかとも思われます。
しかし現在、思いのほか外国語駆使に難渋する日本人の多き現実を省みるに、片寄った情報により、どうも世界が見えているようで見えていないのが我国の現状か、とも思えてなりません。片寄った情報はすべからく「片寄った教育」と「片寄ったマスコミ情報」。加えて、平和ボケした我国の一般大衆、究めつけは片寄った政治家と政府に基因するか。と、考えます。

そして、英語教育について、
まず、
そんなに不可分過不足を感じなかった戦後の英語教育を、今の英語教育とごった混ぜにはできないと思います。
なぜか?
この四半世紀の間、学校教育現場の根本が変わった、という事実があります。日教組のせいにするか?それは枝葉末端です。むしろ、文部科学省全体の責任でしょう。
英語教育だけを取り上げず、初等教育全体を見直す必要があると思います。
よみ、かき、そろばん、加えて正しき歴史認識、これこそ大切です。
教育基本法の云々が叫ばれる中、法律を正しく制定し、日本国のあり方を日本人全員で考え直す時はとっくに来ています。
国の存亡に関わるたいへんな出来事です。
そして、日本人の大人の中、比較すれば外国語にさほど関わらなくても生活できる範疇にある国民とそうでない国民がいます。いつの時代でも、この相違は存在したはず、、、。
しかし、
話は根本の根本に戻り、ジャーナリスト櫻井女史に戻すと、
日本のジャーナリズム世界には、今最も外国語の必要な時代に突入しているにもかかわらず、ジャーナリストの道具としての外国語に不足している人材があまりにも目立つ。あるいは、報道統制しているのではないか?と、勘違いするほどに、ジャーナリズム世界には断片的かつ狭視的偏見的報道の目立つ昨今、櫻井さんのジャーナリスト基盤は、女史自身の語学力と情報収集能力にあり、且つ、健全な日本人的感性に基因する判断力である。と、思います。

第二外国語の選択、
その人それぞれの仕事のフィールドで選択する、それで宜しいのではないかと思います。

そして、初等教育における英語教育実施の是非について、
私論は、「必要!」
と、断言します。
しかし、その前に「万全なる準備」が必要です。これには多々しなければならぬことあります。このコメント欄での論議は控えます。

ついつい熱が入り、長くなりました。

たいへん失礼しました。

また、これを機会に「不肖エセ男爵ブログ」とのご交友、今後とも宜しくお願いします。


 < 完 >

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小説『フォワイエ・ポウ』6章(第35回掲載)

2006-06-02 10:05:15 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
(添付画像):"Ann Lewis from Yahoo Info."

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* 長編小説『フォワイエ・ポウ』の過去掲載分、「全34回」、、(ご参照希望の方、こちらから入れます!)

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長編連載小説「フォワイエ・ポウ」6章
      
                    著:ジョージ青木

1(客のマナーと店の方針)-(4)

「カウンター?ボックス?どちらにおかけになりますか?」
いつものかたち通りの挨拶をしながらも、直ちに客の好みの席を選ばせるように誘導し、案内する。
「私たちも、カウンターにする?カウンターがいいよね?」
やや年上のリーダー格の女性は、連れの女性の了解を取るまでもなく、カウンター席に座り始める。
さっそく本田は、2人に飲み物の注文を聞いた。
リーダー格の女性は、バーボン。当然といえば当然だが、バーボンは銘柄指定で、ジャックダニエルを注文。もう1人は、ジントニックを注文した。
「わたしたち今日初めてお伺いします。私は、真理子。こちらは、知子。漢字は、しんりの「まり」、知るの「ともこ」・・・」
本田も直ちに、自己紹介する。
「本田です。まりこさん、ともこさん、宜しくお願いします」
本田に対して、真理子ひとりがしゃべっている。
「こちらこそ、宜しくお願いします。もっと早く来たいと思っていました。ウイークデーは仕事です。それで今日、初めて来ました。日曜日にお店開いているの、知らなかった」
「はい、お盆とお正月を外せば、年中空けていますからどうぞお越しください」
「先週の日曜日、お店のぞいたのですが、団体さんで満席だったから、のぞいただけで直ぐに帰っちゃった・・・」
「あ~ ごめんなさい。先週の日曜日は、たまたま予約がありまして、結婚式の披露宴の二次会がありまして・・・」
「そうなんだ、だからあんなに賑やかだったんだ・・・」
「そう、貸切状態でしてね、予約の20数人のお客様だけでした。な~に、こんな事は2月間で1回あるかどうか、めったに無い事でして、、、。いつも日曜日は、がら空きですよ。ですから、ご遠慮なくいらして下さい」
「毎週日曜日にカラオケの練習に来ますから、よろしくお願いします」
「カラオケの練習!」
本田好みのセリフである。
「何と、この店に来ていただく理由は『カラオケの練習』、この趣旨、いいですね。是非、是非、日曜日に思いっきりカラオケの練習やってください!」
女性客2名の来店と合わせ、入れ替わりに竹ちゃんが帰ろうとした。しかし本田が彼を引き止めた。
マスターの本田と女性客との会話が一通り落ち着いた段階で、真理子は竹ちゃんにも話しかけた。本田はすかさず竹ちゃんこと竹本を女性客達に紹介する。
遠慮がちな竹本に対し、真理子から声をかけた。
「竹本さん、おねがいします。店のドアの外まで、玉置浩二の歌きこえていましたよ。すてきな声ですね、ちょっとハスキーな声で」
「うわ~、はずかしいな」
彼は、確実に照れている。
真理子は、さらにたたみかけて来た。
「どうぞもう1曲、玉置さんの歌を聞かせてくださいよ」
「そう、もう1曲分、竹ちゃんのカラオケの予約が残ってますよ!」
一旦カラオケのコインボックスに百円玉を二枚入れてしまうと、誰かがカラオケを歌わなければならない。
「さあ、竹ちゃん! 歌った歌った。ここで引っ込んではいけないよ」
遠慮する竹本に対し、本田は巧みに気合をかけ、見事に彼をその気にさせる。
恥かしがりながらも、竹本は歌った。
今夜、彼の歌った歌の中でも、最も出来の良い歌になった。竹ちゃんは乗りに乗っていた。彼自身の流儀を発揮して彼独特の真心を込め、哀調のある玉置の歌を歌いきった。結果は、すばらしい出来栄えであった。それは熱唱というより、絶唱であった。
竹本の歌を聞きながら、
(ウム、竹ちゃんは大きくなった。成長した!今までの彼とは何かが違っている・・・)
と、本田は思った。
歌の巧い下手のうんちくを言うような本田ではなかった。初めて竹本と出会った当初の彼と、今夜の彼と単なる比較の問題である。竹本自身の僅かな成長ぶりに、本田は心から拍手を送った。
(細かい事はどうだっていい。竹ちゃん、この調子でがんばれよ、前に進んでくれ・・・)
竹ちゃんの熱演に続き、女性客の2人からもカラオケの歌が続出した。
真理子は、さすがに歌が上手だった。「フォワイエ・ポウを、カラオケの練習場にしたい」といった彼女は、プロ歌手以上の歌唱力を発揮した。
約20曲のカラオケが連続し、日曜日だというのに深夜過ぎても、連中は歌い終わらなかった。

さらに2~30分が過ぎた。
「あ~今夜は楽しかった。マスターごめんなさい。でも、ちょっと歌いすぎた・・・」
「そんな事ない、だいじょうぶですよ。どうぞごゆっくりしてください」
「いいえ、今夜はこのあたりで、そろそろおひらきにします」
「・・・」
「マスター、ありがとうございました。私たちのお会計、お願いします」
真理子から声が出た。
手元の時計に視線を移せば、すでに店仕舞いしてもおかしくない時間になっている。
適度に酒を呑み進めながら思いっきりカラオケを歌い、時間を見計らって切り上げる。
飲み屋遊びを切り上げる呼吸も間合いも、いかにも場数を踏んで磨き上げられたもの。カウンターの中に立つ本田にとって、客である真理子の洗練された間合いは、お洒落と表現するにふさわしい粋なマナーであった。

<・続く・・>


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<添付画像>:「アン・ルイス」
アメリカ人と日本人のハーフとして生まれ、英語をFirst Languageとして、日本の中のアメリカという環境で育った。日本でいうところの小中学校の頃、いわゆるオールディーズポップスだけでなく、1960~'70年代にかけてのクリームやツェッペリン等をリアルタイムで聴いて育つ。その、自らが体験したROCKを、日本語で、日本のメロディーで表現するために、自らの音楽を「Kayo-Rock」と呼称し、現在のJ-POPのルーツとなった。 オールディーズポップスから学んだ、ポップでメロディアスなボーカル。 ハードロックから得たダイナミックでビート感あふれるハードなギターサウンド。 そして、女を歌う詩。これがアン・ルイスの音楽です。 最近では、ファッション、インテリア、アクセサリー、ペット・グッズと幅広い分野でデザイン&プロデュースで活躍中。 その才能をブイブイ言わせて発揮しています。 1956/6/5 神戸生まれ。
1971/2/25 シングル「白い週末」でデビュー。
おもな代表曲:グッド・バイ・マイ・ラブ、LINDA、恋のブギウギトレイン、 六本木心中、あゝ無情、WOMANなど(資料引用):"Ann Lewis from Yahoo Info."

長編小説「フォワイエ・ポウ」(第34回連載)

2006-06-01 10:38:45 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
<添付画像>:(Yahoo 日本タレント名鑑より「長渕剛」)

* ますます円熟味とオトコの色気をかもし出す「a Nice-Guy Mr. T. Nagabuchi and also "The DANDY GUY"!」。不肖・エセ男爵ブログの「シリーズ・世界のダンディー」に投稿したいくらいである。尚、長渕君とは違ったジャンルのダンディズムを誇る玉置浩二氏の資料、取り急ぎ探したものの、この大きさの拡大画像に適する資料が見当たらず、画像掲載不可にて誠に残念です。最近なぜか、たぶん、動画+音楽素材(CD & DVD etc.)が巷に溢れているゆえ、往年の「有名人ブロマイド文化」は衰退。イザ、良き写真画像を見つけるとなると、何故か皆無に等しい。
静止画像=『魅力の一瞬・瞬間』を切り取った静止画像も、捨てたものではない。むしろイメージを焼き付けるには、静止画像は動画よりもベターである。嗚呼、悲しく、寂しく、味気のない殺伐たる世の中になったものだ・・・)

以上、エセ男爵的「無駄口」なり。


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* 長編小説『フォワイエ・ポウ』の過去掲載分、「全33回」、、(ご参照希望の方、こちらから入れます!)

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長編連載小説「フォワイエ・ポウ」6章
      
                    著:ジョージ青木

マナーと店の方針(3)

4月と9月、年に2回、転勤の時期ともなれば、サラリーマン連中の歓送迎会の2次会専門の店になる。はたまた結婚披露パーティーの2次会会場に指定される。
客の4割は大学生であった。H大学の宮本と清水の来店が切っ掛けとなり、大学生の溜まり場所なった。必ず毎月1度は団体で押し寄せる。しかも3次会と称して繰り出してくるのだから、来店は遅かった。早くて10時半。ほとんどの場合、夜中の12時過ぎてから20名以上、狭い店になだれ込む。自然発生的にカラオケ大会が始まり、1人が2曲歌って4~50曲になる。1曲を歌い終わるに3分平均として、全員が歌い終わるまで150分かかるから、一回りして全員のカラオケ終了は午前3時前後となる。しかし、ほとんどの場合、それで終わらない。たびたび朝の6時過ぎまで頑張ることもあった。学生には、いや、彼らには時間の観念がない。さすがの本田も、これには業を煮やした。通常使用しない有線放送を繋ぎ、NHKのラジオ体操の音楽をかけ、店から離れようとしない、一向に帰ろうとしない学生に「オヒラキの催促」を促した事もあった。さすがに「エヌ・エイチ・ケイ朝のラジオ体操」の曲を聴くと、なぜか小学校時代の気分に帰ってしまって酒を飲んでいることに違和感を抱く学生もいた。そんな学生客は全員、本田に対しては従順であった。しかし、本田は決して彼らに対していやな不機嫌な顔を見せたり、彼らに対して命令口調になるような言動はとらなかった。しかし顧客である学生の方から、本田マスターの立ち居振る舞いを察していた。

こうしてフォワイエ・ポウにカラオケを導入した後、たしかに顧客が増えた。

あいかわらず日曜日も店を開けた。
ほとんど毎週、日曜日は竹ちゃんが顔を出す。
大手自動車メーカーの製造現場に勤務する彼は、あいかわらず夜勤専門の勤務シフトだった。彼の現場は、近ごろになってようやく週休2日制になったとのこと。日曜日の竹ちゃんは、あいかわらず市内の繁華街の夜の巷に出没し、ささやかな自由と彼独自の青春を堪能していた。フォワイエ・ポウには必ず顔を出していた。
「日曜の夜は、俺にとってかけがえのない時間です。俺は、油まみれの工員ですが、そんな俺が、現場の整備工場からこうして完全に脱出できる時間は、日曜の夜なのです・・・」
「俺にとって、この場所は別世界なのです」
「・・・」
「フォワイエ・ポウという異次元の空間で、マスターにおいしい洋酒を勧めていただく。おいしいお酒に出会える。そして思いっきりカラオケが歌えるなんて、今の俺には最高の幸せです」
まさか、竹ちゃんの口から出てくる言葉とは思えない熟語に、本田はいささか驚いた。
「何だって?『異次元の空間』とは?竹ちゃん、よく言ってくれた。どうもありがとう。当然、良い。好ましい空間、という意味だよな?この意味は・・・」
「マスター、その通りです。よい意味なのです」
「異次元の空間とは良くぞ言ってくれた! 竹ちゃんよ、どこでその言葉、覚えたの?」
「あ、なにか、小説を読んでいるとき使ってあった言葉だったかな・・・」
「いや、たいしたものだよ。竹ちゃん。近ごろ本読んでいるのだ。いいな~ 本を読む。いいことだね、勉強しているんだな・・・」
「あ、いや、恥ずかしいです」
ここを異次元の空間として評価してくれる竹本に対し、わずかに本田は快感を覚え、カウンターに腰掛けている竹本を目の前にして、また本田流の独り言をつぶやいていた。
「竹本青年が、少しずつ大きくなっている。頼もしくなっているから、うれしい出来事だなあ~・・・」

ウォータームーン

東映

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見違えるほどに明るくなった竹ちゃんは、カラオケ大好き人間であった。しかし、他の客がいる前でのカラオケは、彼は控えていた。
「だから、日曜日がいいのです。日曜日はお客さんが少ないから、俺がカラオケを歌える。歌っても恥ずかしくないから」
「何言ってるの、竹ちゃん。君の歌なら、ウイークデーのお客さんの多いときに是非歌って欲しい。カラオケ上手だよ、竹ちゃん」
「そうですか?」
「ウム、特に『たまきこうじ』の歌は、フォワイエ・ポウでは最高ランクに位置する。竹チャンが一番! あなたの右に出る人は、いません。是非一度ご披露願いたいな~」
お世辞ではなかった。本田は、お世辞を言える人間ではない。
「でも、恥ずかしくて人前では歌えないです・・・」
本田がリクエストすれば竹ちゃんは大喜びし、何曲も連続して歌った。長渕の「カンパイ」を歌えば『侘び寂び(ワビサビ)』正しく、「トンボ」の場合は完全に自分流にアレンジして、2~3種類の違った雰囲気で歌いこなす芸当をやってみせた。酔えば酔うほど竹ちゃんの歌はプロ並みに旨くなり、味が出た。
しかし長渕の歌は、前座であった。
多からず少なからず、一定量のアルコールが、竹ちゃんの脳細胞全域に行き渡ってくる。竹ちゃんの身体の細胞全体に、アルコール濃度が「とある限界」に達すると、そこでようやく竹ちゃんの「十八番」が出る。
「玉置浩二の歌はほとんど全部、自分の好みです!」
と、言いながら、
カラオケの本に載っている曲は、ほとんど全曲こなせた。玉置の大フアンであり、彼のパーソナリティーあるいはキャラクターに、とことん憧れていた。

ベスト

ユニバーサル・シグマ

このアイテムの詳細を見る

そんな竹ちゃん流カラオケ独演会が一通り終了した頃、勢いよく店のドアが開き、元気に女性が入ってくる。
「こんばんは・・・」
見たこともない若い女性客2名、しかし、常連客以上の立ち居振る舞いである。ズカズカと店に入ってくるではないか!
「いらっしゃい!」
本田は、彼女達の元気のよさに合わせて声を出した。本田はいつもより大きな声を
出して迎え入れた。(・続く・・)

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<追記>: 本日、全体の文字集を読みやすい数量にするため、小説の流れとしては「流れを止めたくない所」で切ってしまった。是非続けて読み進めて頂きたく、したがって明日連続連載いたしますので宜しくご了承願います。(明日6月2日金曜日、掲載予定です・・)