福岡ソフトバンクホークスを科学する。

1989年平和台時代から鷹キチの情報発信。
ダイエー→ソフトバンクに変わりました。
厳しい応援の目は変わりません。

ダイエーホークスの誕生

2005年01月09日 | スポーツ

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まずこの写真を見ていただきたい。中内オーナーは球団買収完全否定。”買わない、媒体を告訴するよ”とまで言いきった。が、ついに南海買収。当時バレー、陸上の力を注ぎ、一躍、時の人。アメリカで、ダイエーの社長として無名が、この買収で有名人になった。

政治家、経済界を巻き込んで、ここ福岡へ移転。別枠写真の部でご覧のように、南海ファンの声を無視して、移転。
神戸のホテルで出陣式を行ない、翌日飛行機を約900万円でチャーターして、空路九州へやって来た。
いつも球団買収などには、政治家などの黄な臭いがする。西鉄がそうであり、他球団もそうであった。また今季終了後には、西武もその対象になろう。


福岡市中心部、平和台球場前のパインビルにその事務所を置いた。素人集団がほとんどであったが、さすがダイエー流、
年間席は、営業部隊が居ないにもかかわらず、売れた。お得意さまは沢山あった。併し、子供対策はさすが、キャップ、グッズ、試合後の抽選会など、すごい活動であった。100万人も8月に達成。(別枠写真大入り袋参照)
ただ、弱かった。でも選手との距離は近く、選手の行き来や、食堂では接近して会えた。今とは大違いである。
チャーター飛行機の中で、中内オーナーが強く語った。”九州のファンがオーナーである”

このことは、大きく取り上げられなかったが、今考えれば、神戸に於ける、オーナー訓示と同様、重要なことを含んでいたということである。

その後の、誕生経緯は、翌日セントラーザホテルでの披露式、ひきつずき、市の大ホールでの市民への発表会が開催された。中内オーナーが大きな鼻をぴくぴくして、意気揚々とした顔をしたときだった。
舞台で、かわいい子供が叫んだ”僕たちの、私たちのダイエーホークス!!”
でもここから苦節16年の歴史は始まった。今日をだれも予測していなかった。
                       次回掲載は平和台時代の監督采配とファンの苦悩です。