福岡ソフトバンクホークスを科学する。

1989年平和台時代から鷹キチの情報発信。
ダイエー→ソフトバンクに変わりました。
厳しい応援の目は変わりません。

福岡ソフトバンクホークスの基礎(001)

2005年01月22日 | スポーツ
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1989年選手名鑑及び第一回ファンクラブ入会許可書である。(アルバム参照)
この名鑑はわずか十数ページ。翌年からは90ページ台の内容だったが、初回は薄い内容だった。球場のあちこちに捨てられた物で、いまや珍品である。
監督、選手等の写真だけ、実にシンプル。写真も、ぼやーとしているカラー。
方や、入会許可のはがき、会員番号が記載されて、球団から戻ってきた。
めずらしいものだ。自分が自慢している?
1989年は、小淵幹事長が”平成”を発表した初年度。”内、たいらかにして、外なる?”とか言って、国民は馴染んだ。
いや、球団はここから、内も外も、平らでなく、でこぼこの坂を登ったり、下がったり。
杉浦、田淵体制は、新球団創設とともに、かっての西鉄ファンの層を代えて、新ファンの創造に向かった。
いわゆる応援というより、声援ファンが増加した。物見遊山、ストレス解消。
あのころから、例えば応援?した山本和ファンはどこに?この選手が引退後、福岡ドームで、彼の往年のビデオを販売していたが、ほとんど売れていなかった。よそ見して、とうり過ぎていった。つらい現場を、何度も目撃。
歴史と言いながら、ファンも次から次へと、選手を代えてしまう?いや、と否定するファンは少なかろう。
私は異常者で、選手を個別に応援しない主義。いつかは、別れる時がくる、これがいやだからだ。球団全体を応援する。
だから選手のサインものはコレクトしない。南海ファンが、ヤフーオクションでいまでも10ページ程度で旧グッズを取引している。我が鷹ホークスは30ページ程度、これから興味は、新ソフトバンクへ移行する(現在1ページ)。
ダイエーホークスの歴史は、新聞、ホームページで詳細は記録されているが、ここでは、少しずつ目に見えなかった記事を放送?いたします。
今回も自慢の一品掲載。約30000人で発足した、初回のファンクラブ、ウィンドブレーカー(緑、赤)などめずらしいグッズがもらえた?いや買ったのだ。しかも球団は、この制度で少しの利益を出した。いまや70000人以上の会員。
大きな声で言おう。今年は遅い。今年の新ファンクラブ対応。グッズも未定で、サイン用球と色紙だけかも?
宮崎キャンプへ行こうと、各旅行代理店が、動き出した。さて、宮崎は、昨年以上に大混乱であろう。
ゆっくり、拝見、新球団のファン対応。
いつも言うが、東北楽天が一歩も2歩も進んで居る。すごい企画が目白押し。100、000円会員制度。工事中の球場ナマライブなどなど。
ソニーのブランドが崩壊しつつある、わがオーデオも液晶が絶えず故障?
ソフトバンクがソフトバンクラプトホークスに、楽天が転落イーグルスにならぬよう、ファンの意見を聞いてくれねば。
誰かが言った、30年も継続する企業になるには、”ファン、消費者の意見を大事に”
ファンがいたから、ファンあっての、なんて言葉は、過去、腐るほど聞いてきた。実行するのみ!孫さーん!