福岡ソフトバンクホークスを科学する。

1989年平和台時代から鷹キチの情報発信。
ダイエー→ソフトバンクに変わりました。
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福岡ソフトバンクホークスの基礎(010)

2005年02月20日 | スポーツ
IMG_0028IMG_0026ダイエーホークス時代の好試合ベスト5をあげれば?
ファンの皆さま、各種各様のアングルから、好試合をあげて、思い出記憶試合として、色々ちがうんでしょうが。
今日から、私なりの、ダイエー時代のベスト5から、自分勝手にいって見ましょう。
ジャーン!堂々の第5位は?

5位〓2000年ミレニアム決戦、シリーズ巨人戦〓

セリーグの覇者、長嶋巨人との戦い、つまりON対決とか,決戦ON!とか言われて,開催前から沸いた.
時あたかも、西暦2000年。この節目に戦うとは。生きてて良かった?
結果、王監督が、終始長嶋巨人に、目を剥いて、戦いを挑んだとは、感じていなかった。むしろ、この戦いを楽しもうとしていた。
そして敗れた。病で、倒れるであろう、今の長嶋監督の今日を、予測していた如く。(考えすぎ?)
2連勝の後、ここ福岡ドームでの、あの場面。
秋山選手の、果敢な2塁への盗塁、セーフと思ったが、アウト。これで流れが全く変わってしまった。
王監督は、ぴたりと動かず、本来なら、重要な局面、しかも秋山選手は、塁審に食い下がっていた場面。
これで巨人に敗れると感じた。1999年に次いで、勝ってほしかったが・・・・・・。
2000年にふさわしい、戦いであった。相手が長嶋サンだから、故あって巨人をでた王サンが、因縁をもって、戦うであろう
との、大方の予想をくつがえした戦いであった。千葉、三原、川上、水原諸氏の1世代をO、N、山本、星野などが引き継い
で、さらに若手に引き継ごうという、2000年という、区切りの歴史創造試合だったかもしれない。

後日、出張の際、東京野球博物館におじゃましたが、特設館の正面に、あのON対決の、大型ポスターが、掲示してあった。
残念ながら、この2000年対決で、ON時代の終焉、戦後プロ野球の第2世代の閉幕と感じた。
新スターの不足、各分野の指導者不足、近代野球のあり方、ファン増加対策、試合スピード進行など、機構などが、主導権をもって、対策、研究会などの発足を為なければ、今のように、自然に、成り行き監督、コーチ、選手では、ファンから飽きられるであろう。
機構、選手会も定期的に協議する、懸案j事項は山積している。野球大学の創設を個人的には、希望しているが。
この際、ちょうど良い、九州スポーツアイランド構想を、だれかぶちあげないかなー。
我が鷹の総帥の孫サンが、一人で、なぜアメリカに行かなければならないのか?コミッショナ-も、連盟の会長も、記者も誰も、疑問を呈しない。そして彼らは、動こうとしない。不思議な世界だ。

写真は、ON対決の翌年は、オールスターを采配するしきたりにより、こういう募集ボックス、及び2000年、福岡ドームシリーズチケットである。もちろんプラチナチケットであった。例によって、変則試合であった。(ドームが確保されていず3,4日目休み)
次回は、ベスト4を、放送する予定です。