福岡ソフトバンクホークスを科学する。

1989年平和台時代から鷹キチの情報発信。
ダイエー→ソフトバンクに変わりました。
厳しい応援の目は変わりません。

福岡ソフトバンクホークスの基礎(015))

2005年03月13日 | スポーツ
IMG_0138IMG_0152IMG_0109

写真は左から、1999年発行のホークスタウンプレス紙開幕号から優勝号。中央は、V1の選手達フュギュア(ラインナップは非売品)。
右は9月25日、ドーム優勝祝賀会使用のシャンパン、ビール瓶。ここまでは祝勝水は無く、名古屋の日本一会場から使用された。(後日掲)

さていよいよ、私の鷹試合ベスト5の中、1番は?
1999,9,25運命の日。パシフィックリーグ制覇の試合です。チーム一丸とはこの事。
長年の苦しみを一挙に流した、観衆総立ち、全国のファン感涙。当時東京にいた、息子はテレビの前で、一人で泣いて、万歳したとか、逸話が我が家の歴史に残っている。
なぜかしら、私は、比較的冷静を保って、国会議員のような、尊厳と、身だしなみ?で立って万歳した。
ドームは地鳴り、鳩はびっくり、まるで、わが家の、病気の愛犬が、
全国博覧会で、なんと優勝したみたいで、頭が回転して、思わずおしっこを・・・・・?(大げさ)

1989年から苦戦の、戦いばかり。1999年は、只、選手諸君は、根本サンの遺影を飾り、鼓舞し、黒リボンをつけてまとまった戦い。選手も泣いた。
オリックスが当時、頑張ろう神戸と、記章して、戦って優勝したように。
その後、藤井選手の訃報もあり、暗い話もあった。

途中、脱税、スパイ事件など山在り、谷在り?の球団であったが。

この夜は、40人の、みんなで、我がビルの前で、公開祝杯を上げて、交通渋滞?を巻き起こした。(大げさ)
知らない人まで、ちん入して、祝杯を、あげて帰った方が沢山いた。あの人誰???
今考えたら、懐かしい思い出。
近所の方には、これですっかり鷹きちと判明したが、翌日から、堂々と、道のマン中を、歩ける。
鷹が勝ったのです。

九州の鷹ファンが、川に飛び込んだり、公園を壊したりとか、色々記事が掲載された。
こうなると選手諸君が急に、偉くなってしまった気?がして、来季から大変だと思った。
案の定,そうなるのだが・・・・・・。

後日、中内オーナーから、お祝いの返礼のお手紙をいただいた。
当時の鷹総帥の喜びが、あふれて、歴史にのこして、おきたい、資料として保管することにした。
以上が私のベスト5でした。皆様はいかが?

さて次回からは、うずうずしていた、今季からの選手達の戦いを、ドーン?と分析、批評を出来るだけ、
甘く、ときには、厳しく放送いたします(表現は逆か)。
最近目が悪くなりました。頭も固く成りました。(子供に言わすと昔からだが)
このプログのおかげで、少し若くなったみたいです???