福岡ソフトバンクホークスを科学する。

1989年平和台時代から鷹キチの情報発信。
ダイエー→ソフトバンクに変わりました。
厳しい応援の目は変わりません。

福岡ソフトバンクホークスの基礎(009)

2005年02月16日 | スポーツ
IMG_0101IMG_0015IMG_0013さていよいよ1993年、ドームオープンの年。写真は、ナント、ドームオープン記念の落成式、無料招待券(車)と、式次第メニューとドーム第一戦での対近鉄戦の大入り袋です。いずれも珍品です。
今でも覚えています。根本監督とお会いした時、なんと、全選手と握手してお祝いしたこと。小川選手、森脇選手、ホワイト選手と時間を取ってくれて話したこと。?選手?選手と話したが、礼儀も知らず、私は、その後、怒って話もせず帰ったこと。案の定その??選手は今は無き選手。常識の無い選手は、どこでも寿命が短い。
手に1番豆を作って痛いたしかったのは、当時捕手だった吉永選手。握手した時わかりました。練習の程度はすぐ握手で解ります。年間報酬も豆の数できめたら?
選手と接近できて、怖い監督が、実はやさしいことが、解りました。皆握手した後、選手いわく”あの人だーれ?”そんな顔して、皆いました。面白かった。
私のこと、皆知りませんでした。だって一ファンですから。なぜか私の胸の案内名刺、スタッフが誤って、芸能人的名前に印字してしまったのです。その名は言えません。見たら、だれでも有名人と思うからです。今でも記念に保管しています。

ホワイト選手が人、ナツっこく、話相手が居なくて、私と流暢な?英語でしばらく話をしました。が彼は、翌年帰国しました。
成績は前述したように、80敗。どうにもならない成績。
福岡ドームでは、21勝40敗。西武と日本ハムには、それぞれ3勝しか出来ませんでした。なんと、たった3勝ですよ!!!!
さらにロッテには、16年間負け越しとは、とほほほ?
屈辱の時代はまだ、まだ続きます。

いやな予感がしていました。ダイエー本体が、順調?に経営して、店舗増設していれば、野球は弱いが、逆に、本体が、斜めになれば、球団は強くなる、なんて。まさか、これが真実になるとは。

【福岡ドーム4コマ漫画開催001】
根本監督:あー負けた、気持ちいイネー!
山本和選手:監督!イケマシェンよー。そんな弱きでは。
根本監督:君だけだよ。ありがとう。此の時間まで特訓とは?
山本和選手:いえ、わしゅれものです。ドッタ!

こんな感じで時々演出します。
それにしても、1993年のコーチ陣でも、ひときわ目立つ権藤コーチ。かれの独特の指導であっても、この投手陣の負け。
吉田、井上、若田部、加藤、村田、木村、タネル、下柳投手くらいが名を残した選手だが、あーあー。

後半戦はやっと、勝負らしく西武、近鉄のみに、10勝を上げたのが、唯一の楽しみであった。
そして6位をキープ。フロントは粛清。根本サンが、全て権限をもって、運営体制ができるかと感じた。
次年、世紀のあの大交換。そして、1994年、69勝60敗のやっと、鷹野球らしさを、九州人にみせつけることになる。
だが、球団も、ここまで継続して、応援してきたファンへは、まだお礼をしたとは思っていない。
球場が、美しく、立派に成ったことが、ファンとの距離を、さらに遠ざけてきたことを、忘れてはならない。
もちろんファンの態度も立派だったとは言えないが。ファンとの触れ合い、鷹祭りとか開催がストップしている。

”ファンのおかげで・・・”とオウムの如く言ってきているが、12球団、1番のファンを、なんと今季100万人つくるためには、尋常なアプローチでは、進められない。真剣に世界からもファンを獲得してみたら。
台湾にも沢山鷹ファンがいることを、最近知った。これもIT産業とやらのせいだ。
わがHPプログにも,国際級の方?からもアクセスがある。驚きだ。また色々なかたが、リンクを張って頂いている。
私的?には、喜びである。情報在庫は、まだ5年分?位ある。そんな事言って大丈夫??かな。

ファンクラブ100万人も夢ではない。担当新会社の、営業部、メデイア部に、活を入れましょう。
英語版、フランス語?のホームページも在ってもよいことになる。
新しい企画の、チケットオークション(チケオク)は、悪評だが、今回から、なんとグッズ(サインなど)をつけてのオークション。
しかも外野なんて良い席が、オークション。なにか、おまけ?をつけて、グリコ商法だ。
只、サインを細かく分析すれば、オークション用サインで、いつもと異なるデザインである。選手諸君は、いやいやながら書いている、そんな書き方にも見える。発想が、とにかく悪い。担当は戦術を変えた。
売れないチケットでないのに、オークション用に確保している戦術だ。売れない、悪い席なら解るが。
指定席を購入しているひとには、選手ものは手に入らない。
担当が、まだ野球、ファンのことをしらずして、企画したのであろう。
さらに、大きな声で言いたい。オークションで、購入した人が、また、チケットとサインを別々に、オークションで、また売りだして、差益を確保することもはじまるであろう。熟考した企画とは、思えない。

手間ひま欠けずに、販売しようとすれば、営業がいらないはずだ。さあー。人と機械が競争だ。
野球の未来の神様はどう考えているのか。

過去の弱い時代を忘れずに、世界をみてほしいものだ。
次回は、ドーム開催の思い出試合はアレだ!を放送予定です。








福岡ドームの怪??

2005年02月15日 | スポーツ
IMG_0105IMG_0076①本当にホームランが出にくいのか?
 1993年堂々オープン。ホームチームながら、4月17日にやっと近鉄戦。1戦目は前述したようにの野茂に破れた。
 グリーンモンスターの如く、外野フェンスは5m84cmの高さが、選手を圧倒してしまった。
 初ホームランは、あの褐色の直弾でブライアント選手。ダイエー第1号は、あの山本和選手。
 ただ、福岡ドーム開催の、セ、パりーグの8試合で9ホーマーが乱れ飛んだのをみれば、果たして我が山本選手だけの1本 だけでは、寂しい限りであった。
 飛ぶ、飛ばないだけでは片付けられない外国人パワーであった。

②人口芝の毛の長さ。
 前季から、毛足が1ミリ長くなったため、選手のクッションになっていいかもとか、外国に流出する選手を防ぐかもとか異論が でている。
 テレビでも確認できるから、よーく見ていただきたい。東京ドームは、打者が打った球が、ワンバウンドした、直後ほわーん 
 と、ゴミ?が舞い上がる。ここ福岡ドームでは、新毛足でも、ほわーんが上がらない。この違い?
 あのほわーんは、一体ゴミなのか?どうか?
 おそらく、掃除できないゴミであろう。それは、密集度が高いからであろう。毛足が同一でも、専門語では、”打ち込み度”
 つまり、1インチ四方の何本毛足があるかである。それによっては、クッションが違う。私の触る限り、東京ドームが、選手に  とって品質が良いことになる。結果、人口芝でも各種在ることになり、選手の足腰に差異があるかも。

③球場別に見て、ここ福岡ドームのスタッフは最高で熱心である。ちょっとこれは話が怪?
 他球場では、営業の欠片も見えないところが多い。300万人入場がどうだ、と言う評論家がいるが、他の球場と比べて見て 欲しい。特に球場内外の営業の動きを。調べてから、評論すべきだ。その点、日経新聞で連載の、浜田氏の記事は、他と異 なり、自分の足で感じた事を、論述して気持ちがいい。本当に300万人以上入っているように、体験できる唯一の球場であ 
 る。ここ福岡だけだけだ。皆、働き過ぎと私は言っている。
 猛吹雪ツアーとか、雪おろしツアーとか、最近面白いツアーがあるが、300万人目体験ツアー(48,000人満席ツアー)も面 白そうだ。
 あなたは299万9876人目ですとか。(もちろん証明書を発行。)300万人目の方は始球式が出来るとか。
      
④トイレはなぜ女性が混むか?
 私は入った事がないが、設計が、男性だから、解らないのだ。女性には、微妙なエチケットがあるからである。多い場合は、 通路に50人くらい並ぶ。かわいそうである。至急対策を望む。
 解決策は、一旦外へ出て外のWCを利用する。男子用のボックスを、半分臨時利用できるようにする。
 素晴らしい有料トイレを作る(オール大理石)。結果名物になる。飲食を進めて各種販売しているのだから、最終末処理
行動?まで責任を持たねば。

⑤ドーム禁煙なのに、煙はコンコースまでいっぱい?
 ここ福岡ドームだけだ。コンコースまではみ出して、場合には、席まで流れる。札幌など他球場は、病院並みに、豪華隔離  (ガラスボックス)して、ドリンク、テレビも在って、快適そうだ。
 開業時、竹中工務店に言ったが、ミスのようだ。せめて、喫煙コーナー、を天井をガラスで、囲ってしまう(垂れ壁)提案をした が、いまだ?

⑥なぜ、コンコースは床が波打っているか?
 私も含めて、最初から、良くつまずく。つまずいた老人を良く見る。

⑦あの有名な、N社のバズーカ形のエアコン。座席位置により、真夏は、温度が異なるのか?改善してね。
 鷹が攻撃するときのみ、ライト側へ強く風をふき出してください。なぜなら、鷹に有利で、良く飛ぶからです。内緒!
 逆に敵攻撃の時は、レフト側を強くすれば、ホームランもレフトフライです。内緒!

⑧鳩はつがい(夫婦)で住んでいるのか?
 あの鳩は、伝書鳩が、住み処を失ってしまいました。種類は、灰ゴマ種の、つがいです。昔、打った球に当たった鳩がいまし たが。えさは、のこり物。でも水が、大好きですから、ドーム内では困っています。屋根のふちにたまった雨だけです。
 試合中でも、ここあそこに良く見ますね。巣を作っていますが、いまだに発見していません。
 年齢は、かれこれ8サイ位で、そろそろ限界で、私は心配しています。花火はもう慣れましたが・・・・。

⑨熱心なのは良いが、球場に入ったら、すぐ”カードいかが?”、トイレに行ったら”カードいかが?”弁当買いに行ったらまた
 ”カードいかが”最低3回から5回は、誘惑?される。もー作っています。その都度答える。こちらは、カード会社の、おばさ   ん?の顔を知っているのに!
 いい方法はないか、あーそーだ。チケット入れに、そのカードを入れて、入場しよう。いや失ったら困るし・・・・。
 気分転換に球場に行っているのに、なにか、また、いやになる。

⑩男子トイレに行けば、ちょうど処理中に顔の斜め前に、PR紙が貼ってあり、大変気になる。つまり便器と便器の中間に貼っ てあるから、処理中、斜めを向くことになる。これはいかがなものか?疑われるかも?今年から便器の真ん前に貼って欲し  い。すると、すっきり、出やすい。ジャンジャン。

 などなど、面白ドーム、考えたらありそー。
 まじめな話ばかりですから、ちょっと休憩しました。
 次回は、福岡ソフトバンクホークスの基礎(009)予定です。
本日から、やっとファンクラブスタート。ちょっと200円値上げ。楽しみです。12球団随一を目指して。写真はその概要です。



福岡ソフトバンクホークスの基礎(008)

2005年02月13日 | スポーツ
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このキャップ、ロゴが白と赤。初期のプロモデルである。赤がホーム、白が他球場である。スタジャンも赤と緑であった。
これは、2種とも、とにかく格好良かった。
緑とは、ダイエーがせめてもの、旧南海への配慮であったろう。、もともと野球帽子は大阪に工場が多くて、その中デモ,中央帽子製造が、大半であった。帽子はミズノ製の名であったが。ユニフォームは、メッシュと布帛タイプの2種だが、メッシュが選手に好まれて、大半が布帛ものを着用しなかった。

始球式は、森口博子、ロゴポップの異様な対決。初戦は村田投手が、野茂投手に負けた。平和台最終戦とは逆になった。
両試合とも、相手は野茂投手、皮肉なものだ。
93年、試合は45勝80敗で1位からナント28ゲーム差で、終えた。なにもない。平和台時代を引きずり、グリーンモンスターに相手にされず、完敗。球場に行かず、テレビ、ラジオで応援するファンも急増した。
しかしチケットだけは、良く売れた。最初のドーム人気のおかげであった。

試合の無い日でも、観光スポットで、沢山の観光バスがやってきた。球場の屋根が開くなんて?夢の球場であった。
投げても負ける若田部投手、村田投手も、ばててきて、あーあーの溜息ばかりであった。

あーそろそろ打たれる頃、あーやっぱり。どたどたと帰る。我が妻などは、球場を出るとき、靴を踏まれて、行方不明?
あとすざりして、探すなんてことは出来ない、あきらめて前、前へ。片足裸足で帰った。私の肩を貸しながら。

その試合勝っていたら、靴なんて・・・・。負けたもんだから、機嫌は悪い、食事は作らぬ。
おかげで、外食が儲かったなんて・・・。負けたら食事を作らぬ家庭が増えて、離婚が増加なんて・・・。珍社会現象?
野球が、地元にあるために、生活スタイルまで変わってしまって、行事日程は、野球開催日を、1番に入れる。

負けた翌日は新聞も読まず、山ずみ。放送だけの場合は、アナウンサーやペットまであたったりして、家中がちゃがちゃ。
采配の他に、はたまた、ユニフォームが悪い、キャップが悪い。なんでも、やつあたり。
我が家のペット(ドーム君、ロンちゃん)も、ありがた迷惑。試合展開を予測して、早めに非難してキョロキョロ。。
このように、ドームオープンは、野球をもっと身じかにさせた、効果があった。野球なんて見たことないのに、おかげで長生きできた、とか、外で、ピクニック気分で弁当食べて、そして入場、というシーンも拝見した。

このキャップ、後日ひさしだけ、赤?に変わる。色変わってチームが変わった。1999年のことである。1993年から、バッターボックスに入るときのヘルメットだけは、従来どうり、ひさしは赤であったが。
この色の変化の中にも、色々時代背景があったのです。

色で変わった例でサイたるものは、広島である、当時外国人の監督が、今の赤に変えて、急に強くなった。
弱くなったら、色を変えて見たら。

開業当時、きらきらしていたドームの屋根。マルコポーロがみたら、黄金の国と呼ばず、プラチナの国と呼んだであろう。
それほどキラキラしていたが・・・・。いまや、真茶色にチタンがさびて?いる。16年も経過したら、あちこち痛んできた。

世界に先駆けて、屋根開放の施設ができた。しかし、世界のファンへ開放する施設には、ほどとおい。
まだまだ、宣伝が行き届いていないからだ。私を含めて、東洋人の悪いところだ。
アジア以外への発信はへたくそだ。
世界に発信して、青い目や赤い目?のかたが、沢山やって来て欲しい。そのためには、現スタッフの目を茶色から、野球のつば(赤)のように、色を変えて、営業してくれねば。そのためにも孫サン、アメリカに?

ところで、毎年このころ、キャンプ地から、心強いニュースが、どんどん飛び込んで来る。
毎年だから、記者諸君の売らんかな情報と思うが。その情報どうりとすれば、なんと、12球団、皆1位になる。
記者諸君がネタ切れになるころかな。




福岡ソフトバンクホークスの基礎(007)

2005年02月11日 | スポーツ
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ご覧ください。このふたり。知る人ぞ知る。知らない人は知らない。あの、モモすぽ新聞の石橋編集長と南女史。
監督や選手から、また中内オーナーから、面白くない、いや事実とちがうとか、そばからいいたか放題であった貴重な新聞である。
この新聞の製作、取材にあたった、優秀な二人。ダイエー鷹の歴史には、欠かせないスタッフである。今でもドームで活躍中で、その活躍を、良く拝見する。ファンサイドで、製作にあったった、約3年間、毎週発行が原則であった。A3で4枚分。
しかも表紙はカラー。(モモすぽ)は既に、廃刊になったが、寂しいが、いつも試合終了後、イスの下や、風にながされてあそここに、ゴミとして散らばっていた。悔しい思い出、ひらって帰った。
純粋に取材して、選手から怒られて、いまや博物館では、貴重なものである。
ウイークリーホークス(WH)、このモモすぽ、さらに、ホークスタウン紙、計3紙が継続的に発行されていた。
ももスポのみが、ここドームからの取材、発行であった。大判のWHは、ダイエー本社からの発行であった。

ファンクラブ紙と異なり、選手に最も接近していた、新聞であったが、都合により廃刊になった。(96年~98年)
今は、月刊ホークス、が引き継いだような形であるが、これは、専従班がいるだけに、年々内容が濃くなってきた。
取材班も熱心だから、いや野球、鷹がすきだかららであろう。

各球団とも、こういうファン対策の媒体をもっている。当時、鷹が、1番充実しているようにみえた。
各ゲートごとにある、試合日程表や各PR紙,地方からの宣伝隊など、いつも賑やかである。
各球場に行けば、必ず何周かして、雰囲気や、職員の動きを見て回るのが、大好きである。トイレ、店舗、職員の動きなど。
球場ごとに異なって、面白い。
なんと、対オリックス戦公式試合で、台湾の天母球場では、商品の包装の仕方は、成っていないので、職員に私が、教えてきた。(後日詳細)
こんなところで、国際交流をして、喜ばれた??

ファンサービスの一貫か?オーロラビジョンにあらわれる、画面もたのしいが。でも試合中、選手がでているCMはいやだ。松中父さんが裸で入浴シーン?城島パパが、階段で歌うシーン。ガックリして、試合イメージをコワしてしまう。完敗の試合ならば、いいかも?
場面を考えてCMを流す、配慮もいる。ビジョンを使用するなら、選手の成績とくに、盗塁数は必ず流して欲しい。只今実績は3盗塁、とかながされると、選手も恥ずかしいから、努力しないかなあ?
ついでに、修学旅行生は、見学中と流れる。??小学校とか流れれば、ひょっととして、我が田舎からの?と思ってしまう。だが、出身県などが、無表示だから間違っててたら、恥ずかしいし。ひょっとあの先生や、あそこの子供が?とか思ってしまう。
工夫が足らないのでは。

とにかく、ドームが出来て、試合内容も変わったが、ファンの楽しみ方など構造も変わった。係わるスタッフも、観衆の目で工夫してもらいたいものだ。

今日はコーチについて放送いたします。
試合は、ひろい外野を意識した、守備、攻撃(2,3塁打)の判定の重要性。
特に大きな声でいいたいのは、1塁3塁のコーチの仕事である、判断と声が大事である。
小久保のケガに代表されるように、試合展開、判断、指示が、全然以前とは変わったということである。コーチの優秀さが問われる球場である。我が鷹では、まだコーチ陣には、私は、不足を大いに感じている。

判断が遅い、試合状況に、こころから自分を置いていない。良く見てください彼らを。選手と一緒に、まず身構えていない。ここが問題。
手を裏に組んだりして、私はコーチである、と言う姿である。立ったままでは、迫力を感じない。12球団おなじである。
コーチ教育を受けていない、というより、そういう教育制度もないのである。審判制度同様おくれている。
近代的球場では、特に、ファンの目が肥えて、そういう点まで、観察していることを、忘れないで欲しい。
コーチが、一歩間違えば、選手は、けが、チームは逆転負けです。

王監督1年目、あのコーチ陣が言い争ってけんかが沢山あった。戦術で争うことは結構だが、違うことらしい。2年目コーチ陣は、変わった。なにがあったか。賢明?な彼らは、だんまり。おつきあいがありますからねー。

要は、選手だけでは勝てない、コーチ、スタッフがあってのこと。昨年活躍した選手が、ピッタと次年不調。これにはいろいろ理由があります。あー人間の組織なのですね。野球の世界も。

1993年ドーム球場我が鷹、沈黙や爆発の戦い。負けも負けたり80敗。本塁打も、急激に激減した。139本⇒75本。
ここドームでは、わずか18本塁打のみ。これでは、?????打線とか命名どこでは無かった。
監督以下このマンモス球場に、ホームでありながら、慣れていなくて、グリーンモンスターともいわせた。
人工芝の具合も悪くて、一時期、天然芝開発(福岡ドームオリジナル)と称して、張り替えも研究された時期もあった。

優勝するには、そういう事を乗り越えて、初めて出来ること。根本サンは、この球団の分析をして、選手意識を変えるために、よくぞあの世紀の英断を実行したことになる。その上、心の中には、次期は、王監督の後継が決まっていたに違いない。

根本監督時代は、あまり選手に指示が無かったように見える。これは、キャンプのときからであった。記者などの質問も、この点に集中していた。おまかせ野球?であった。負けたら君達の給与は減るよ、それでいいねー?
1993年、8連敗(1)、5連敗(1)、4連敗(4)、そして引き分けをはさんで8連敗(1)、3連敗(6)これで計55敗。
あの田淵時代の屈辱よりも、ましだが、思いだしたくない時代。

この時期、前述の両君は、日夜、苦戦して、色々な記述をなし、ぐるりから叩かれて、発行してきた。
涙ぐましい歴史があった。球団の裏舞台では、ファンが知らない、奮闘の結果、ここまでの人気球団になった所以が、隠されている。

以上球団を、支えてきたドーム裏舞台、奮闘のスタッフご紹介もしたくなって。

次回は、1993,1994、根本野球を詳しく分析?します。あの名場面も、あんなことも。











福岡ソフトバンクホークス、キャンプレポート(003)

2005年02月10日 | スポーツ
IMG_0053選手の課題をバッサリ切ります。
◆投手陣
①斉藤和投手・・・タイミングが昨年、悪く、どこか身体が悪いのでは?身体と言っても胃腸ではなく、試合の無い日のトレーニングに疑問?いわば下半身が、もっとドッカとしていないと。
②和田投手・・・・・あまりにテレビに出過ぎて、今季心配な投手。左手が、下に沈む時、打者から、握りが、昨年後半は丸見えでした。今季はどー変わったか?あまり期待できない。
③寺原投手・・・・・期待1番なのだが、かっての、豪快さは年々なくなり、マルクまとまりすぎ。高校生のころの、豪快、粗さ、そして肝心の”ため”が全くない。今年も、フォームを見る限り、まだ解っていない。コーチも悪い。
④神内投手・・・・・期待が出来そう。身体全体で、ダイナミック。一押し。
⑤新垣投手・・・・・はや今季はエースかも。足の細さは、きになるが、安定性は、またいちだんとアップ。
⑥倉野、岡本投手などは、昨年程度活躍してくれたら?
⑦グーリン投手は、ボークくせが治っていない。
3本柱は、新垣、斉藤、倉野〔杉内)が表、和田、寺原(神内)、外人が裏。私の予想です。
◆捕手陣
①城島選手のみでは足らないが、彼の捕球の右手だけ注意してほしい。右手が早く前に出過ぎる。解っているのに止められない。基本である。ふとももに、動かない紐をつけるなんて、はずかしい。プロですから。
リード面では、内角攻めを、増やすこと。投手との連携が上手く行く投手とそうでない(いわば好き嫌い)のが解らないように、ふりをする勉強を。彼はそー言う精神面と、右手だけ注意。
カバー捕手は、なんとか田口、的場捕手で、1人前に育ってください。若手に育成が急務。今の鷹の弱点でもある。
◆攻撃陣
今は論評できません。解らない。選手の底上げを。
期待選手、北野、稲嶺、高橋、明石、井手、加藤など目白押しだ。だから外人は若手の芽をつぶすことに・・・・?
さーオープン戦もまじか、交流戦もあり、話題は沢山。
写真は、2005年キャンプガイド。