教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

将棋はそんなにいいもんじゃない

2016-03-04 00:16:04 | オタネタ全般
子どもに将棋を!「4つの力」で日本が変わる
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160229-00046175-jbpressz-bus_all

> 論理的思考力を養う
>
> 3手先を読む習慣を付ける
>
> 大局観を持つ






将棋が教育上良いものだと力説する記事があったのだが・・・

いやちょっと待った!!!

将棋がそんなに良いものとはとても思えん。

ライターはアマ初段という。
わたしは大学時代に将棋部所属でアマ初段あるかどうかくらいだろうと有段者の先輩たちに言われていた。
なので全盛期でライターよりやや劣るくらいと思われる。
そのわたしが反論したい。



> 論理的思考力を養う

これは違う。
こういうたぐいのボードゲームというのは基本的に脳内のパターンマッチングの演算能力の優劣が支配的だ。
将棋の訓練をすれば、将棋「だけ」に特化したパターンマッチングのコプロセッサが脳内に生成される。
だから盤面を一瞥しただけで数秒で1000通りくらいはすぐに読める。
(端の香車を1つ前に進めるみたいな無意味なものもふくめる場合の数的な意味での1000通り)

しかし。
そのコプロセッサは将棋「だけ」に有用なものだ。

将棋とはルールが全く異なるガワだけ似たような別のボードゲームを用意したとしても、その別のボードゲームの熟練者を相手にマトモに戦えるわけがない。
これは脳内コプロセッサが将棋に特化しすぎているからであり、将棋に特化しているからこそ脳内コプロセッサは将棋で勝てるようになるという寸法である。

もちろん、将棋指しはそのつど盤面を前に論理的な思考にせいをだしているわけではない。



> 3手先を読む習慣を付ける

すべての場合の数において3手先を読めればアマ初段くらいと言われている。
だからこの文面を出したのだろう。

さっき記したように将棋指しというのはコプロセッサの処理能力を競うものである。
いちいちリクツをこねくりまわして3手先を読むという習慣づけをしたために勝てるようになったわけではない。

その証拠に、3手先どころか民法でいう事理弁識能力に欠けるとされる痴呆症の老人でさえ有段者の実力を発揮するものがいる。

これは脳ミソ本体が機能不全でもコプロセッサは健在だから指せるということの証拠である。

MRIか何かで脳の部分的な稼働率を調べてみれば、将棋のルールをはじめて覚えて人が次の1手を考える場面と、有段者以上の場合とでは、まるで違う結果が得られるのではないかと、わたしは思っている。



> 大局観を持つ

「こっちのほうが駒損だが指しやすい」
という意思決定ができることを
「大局観がある」
という。

「駒損」とは、こちらの強い駒とむこうの弱い駒を交換することを意味する。
「指しやすい」とは、相手に対して比較優位な次の1手を発見しやすい状態にあることを意味する。

で、コンピュータ将棋を作る場合には、「駒損」はカンタンにアルゴリズム化できるが、「指しやすい」をアルゴリズム化することは難しい。
そこが開発者の持ち味の活かされる唯一のところとなる。

人間だって、「駒損」はカンタンに口で説明できるが、「指しやすい」の説明はすごくあやふやな感覚論でしか説明できないことが多い。
しかしこれも、脳内パターンマッチで比較優位な次の1手を発見しやすかった過去に遭遇した戦況に近いかどうかにより判断するものだ。

人生における諸問題に対しての大局観が将棋で養われるとはとても思えん。
こういうのは将棋専用の脳内コプロセッサでは答えを出さんからな。






ここまでさんざんディスっておいて何だが、わたしだって将棋が教育上よい点があると思っている。

それは2つある。



1つ目。

将棋は対戦相手と全く話をしなくても少しは仲良くなれる。
これは近ごろ言われているコミュ障な人たちにとっては大変良いものだ。
わたしだってコミュ力は低いほうだし。

2つ目。

将棋の強さは、運の要素、腕力や運動神経、財力、コミュ力、それらに何の関係もない。
頭の良しあしのみが将棋の勝ち負けを決定する。
あたりまえなのだが、実はこれは子供にとってはすごく重要なことである。

子供のころを振り返ってみよう。

ラッキーで何か手に入れたヤツがうらやましいと思ったことは幾度もあったろう。
ケンカが強いヤツに殴られてくやしいと思ったり、部活のエースにひがみを持ったことがある人もあろう。
わたしのようにTVゲーム諸悪の根源主義者の両親に育てられた子供はTVゲームを買える財力のある友達が心底うらやましくてしかたがなかった。
クラスで人気者になるヤツの必須要件はコミュ力である。

そこで子供はどう思うか?

ラッキーであれが手に入らないかな。
相手を2倍殴りかえせるだけの腕力がほしい。
ボクだってサッカーができれば・・・。
なんでうちの親はこんな退屈で偏狭な教育論を振りかざしてボクの希望を無視しつづけるるんだろか・・・。

そんな憧れをもって育つ。
これが健全か不健全かについては議論の余地はあるが。

しかし将棋はそうではない。

将棋は頭のいいヤツが勝つ!
(この場合の頭の良さはテストの点数や暗記力じゃなくて将棋特化した脳内コプロセッサの性能の話)

いまの子供に頭の良さへのあこがれを見出してやれるようなモノが何かあるのだろうか?

すごく難しいのではなかろうか。

「高学歴の女はいけすかないからキライ」
なんていうルサンチマン丸出しのガッカリな男をときどき見かけるが、
ヘタするとそんなふうに育ってしまいやしないだろうか。

それはいただけない。



わたしは祖父から将棋を教わった。

高校時代に将棋のものすごく強いヤツらが2名ほどクラスメイトで王者として君臨しており、そいつらにしこたま鍛えられた。

そんなわたしは、小学校のころはロケットを作りたいと言っていて、中学校ではコンピューターのハードをやりたいと言い、そして今の研究開発職にいたる。

それは、スポーツができることよりもアタマがいいことのほうがカッコイイのだと幼少のころから信じて疑わなかったからかもしれない。