教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

南樺太旅行記2019 (サハリン/ユジノサハリンスク/コルサコフ/青の湖/エフスタフィア岬)

2019-09-19 00:03:37 | 経済/経済/社会
だんだん恒例になりつつあるロシア旅行。

第1回目と第2回目は某cafe企画のロシア旅行で、我輩は単についていくだけのお気軽旅行だったわけだが。
しかし、今回はその某cafe企画は無し。
自分で手配してロシア旅行してきたのだった。

ロシアは英語があんまり通じない。
ホテルのフロントでも英語が通じないことがよくあるとか。
しかし何の問題もない。
だいたい我輩にも英語が通じないんだから。

さて、その旅路はいかに……?








今回の旅先は樺太。
北海道の北にある島。
ユジノサハリンスクまで成田と札幌から直行便が出ていて2時間ちょいで着く、日本から最も近いヨーロッパ。
極めて旅行しやすい。

今回、樺太に行ってくると言ったところ、
「俺もオーロラ見たい!」
という謎発言をする人物が。

俺「オーロラ見たいんならアラスカがいいんじゃね?」
奴「樺太なら近場だから便利じゃん」
俺「( ゚д゚)? いやだから直行便があるアラスカがいいんじゃね?」
奴「だから樺太のほうが近場だから便利じゃん」
俺「樺太ってイギリスくらいの緯度だぞ」
奴「そんなバカな」
俺「ロシアで見ようと思ったら、英語が日本より通じないロシア国内でトランジットしないと見えるところに行けないから、やめといたほうがよくね?」
奴「(゚д゚)」

というフシギな会話もあったものだ。





案内板。

preparing boading……? ボードするのを何かしている……?
英語だとようわからん。

ロシア語は直訳すれば日本語そのまんま。
搭乗のほうへ準備、だ。
英語って難しいね。





ユジノサハリンスクに到着!
前回と前々回同様、ロシアはそのまま降りてバスで移動がふつうのようだ。

このあと入国審査があるのだが。
機内で入国審査の書類を受け取っておらず、みんな持っているのに自分だけもっていないことに気がつき、うろたえはじめる日本人現る。

俺(露)「この人この紙を持ってないよ!」
って空港の係の人に通訳した。
なんと我輩程度のロシア語が人の役にたつことがあるとは。





空港の構内。
あんまり広くはない。
いや、この規模の空港で成田の直行便を用意してくれていることを感謝するべきか。

行きだけはあと2人いたようで日本語ガイドつき。
1人だけだとロシア語のみの運転手だけの扱いになる。

ガイドさんとここで待ち合わせ。
写真のおっさんじゃないよ。





空港の外見。
送迎ガイドさんによると、もっとデカい建物を隣に建築中らしい。
また、正面口ではなく左の小さい入り口に入って出国するのだと教えてもらう。

夜中に出歩いてもいいかと聞いたところ、
「ウズベキスタンあたりから正規の就労ビザを持たずに入ってきている人たちがいるので、夜中に出歩くと危ない。
私も一人だったら夜は出歩かない。
もし話しかけられても何も答えないこと。
何か答えてしまうと、あっこの人は地元の人じゃないんだってわかってしまうから」
と教えてもらった。

24時間営業のスーパーなり何なりに晩飯を買いに行こうかと思ったのだが、やめ。
まあ、フライト中に軽食を食ったしな。





ホテルの部屋。
ガガーリンホテルとかいうところ。
ひじょうにふつう。

ロシア旅行の第1回目と第2回目は、古めかしく風格があって、旧ソ連の政府高官が泊まってたんだろうな……と思いをはせるような感じだったのだけどね。

ガイドさんによると、各階に水が飲めるサーバーが用意されているとのことだったが。
どこを探しても見つからず。

ガイドさんに聞いたところ、ホテルの人に通訳してもらいわかったところによれば、どうやら
「ユジノサハリンスクの水はとてもきれいだからそのまま飲んでも大丈夫です」
とのことらしい。
実際、我輩は飲んだが、べつに体調不良にはなっていない。



あと、ホテルから電子キーと同時にもらった紙によると、朝食は何時から何時までなどなど、そういう情報がロシア語/英語併記になっているのだが。

曜日がロシア語でしか書いてねえ!!!

これもロシア的なテキトーさのなせる業か。
我輩的にはロシア的なテキトーさを堪能できてハラショー。

曜日くらいならふつうに読める我輩だけ全く困らずだが、ふつうの人どうすんやろね、これ。

1日目、これで終了。








2日目。

樺太で、ユジノサハリンスクから日帰りで行けて、かつ日本人がふつう行かないようなケッタイな観光地はないものか、とロシア語の観光サイトで探していたところだ。
偶然にもおもしろいところを発見。

で、旅行会社に
「〇〇と〇〇に行ってみたいのでタクシーの手配しといてください」
とお願いしたところ。

「特別な車でないと行けません。ロシア語が堪能でない人には日本語ガイドなしは安全を保証できないので提案できません」
ということで。
オーダーメイドでけっこう高額だったがオプションツアーを組んでもらった。

行き先はこれから説明しよう。
なにはともあれユジノサハリンスクから南へと出発。
郊外はこんな感じ。





アイヌの居住地が発掘されたところ、らしい。





樺太には、かつての大日本帝国が残していった遺跡が多数ある。
コルサコフ駅前、通りがかりに撮影したこれもその1つらしい。

Корсаковだからカルサーカフくらいが現地語の発音に近いけど、まあ。





コルサコフ郊外にある原油と天然ガスの輸出拠点。

かつて、第2回目にウラジオストックにいったとき、ナホトカまでの道はボコボコだった。
しかしユジノサハリンスクでは、街中および都市間の幹線道路では全く穴がない。
しかもユジノサハリンスクはけっこうあちこち工事中。

樺太は景気がいいのか?
この原油と天然ガスの輸出拠点が樺太の富の源泉か?





さらに南。
ノヴィコヴォ村。

Новиковоだからノーヴィカヴァくらいが現地語の発音に近いけど、まあ。

先の輸出拠点より南は舗装道路ではなくなる。
まだ穴はない。
しかし、ノヴィコヴォ村から奥へ入ったとたん、たしかにこれはタクシーでは断られるわ……というボコボコに穴ばかりの山道へ突入。





青の湖へ到着!!!

おっそろしく鮮やかに青い。

こんな奥地まで現代の日本人がいったい何人来れただろう?

現地語のロシア人むけの観光ガイドはこれね。

Би-томо, Туристическая компания | Мыс Евстафия и Голубые озера
https://bitomo.ru/sakhalin/excursions/eustapfia-cape





近くの別の湖とその周辺の風景。

ガイドさんによると、これら湖は石炭の露天掘りの跡で人工的なものらしい。
ふつうサハリン南部は北海道の道北とおなじような自然だというのだが、このあたりの風景だけ独特のものなのだとか。
なぜ木があんまり生えていないかというと、伐採によるものと、岩が多いのとがあるのだとか。





目的地その2。
ひたすら穴だらけの道をさらに進み、我々は最終目的地エルタフィア岬へと到達した。

ふきっさらしの風が強いのもあって、オーバーコートが必要だった。持ってきてよかった。
我輩、24時間前まではふつうにTシャツで過ごしてたんですが。





ちなみにこんなところ。
ガイドさんによると、樺太にはこういう島が本体と微妙にくっついた感じのところがいくつかあるらしい。





岬に登って対岸を見るとこんな感じ。
ついたのはちょうど昼ごろだったのだが、昼すぎにはSUVが渋滞していた。
1人だけヒュンダイの乗用車で来ているチャレンジャーがいたのだが、こいつ帰れるんだろうかと思った次第。





往復10時間半くらいかかった。

晩飯はホテルの最寄りのスーパーで買う。

なぜスーパーかというとだな。
ロシアではアイスクリームがすばらしくうまいので、これは毎日食わねばと思ったわけよ。
そして毎日2本づつ食って帰った。

2日目、終了。








3日目。

ここからは完全単独行動。

ロシアでは、日本より英語が通じないと言われている。
実際、YESもNOも通じない。
もし仮にYESと言っても
「(゚Д゚)ハァ?」
って顔するか、
「Даなの? 何なの?」
って返されるかである。

我輩のロシア語が通じなければ生きて帰ることすら叶わぬかもしれぬのだ。

OKはふつうのロシア人でも使ってるようだけど。

この日は駅から電車に乗って他の街へ観光へ。
……と思ったところ、いきなり駅で挫折しそうになる。

ロシア語はちょっとわかるくらいなので、切符を買うときに文章で言われるとようわからぬので大変苦戦。
そして電車に乗るときでも、プラットホームへの入り口は鍵がかかっており、出発直前になってもがかかったまま、警備のアニキに聞いたところ、駅の外に出てぐるっと回ってプラットホームへ行くといっているように聞こえる。
実際、いったん駅から出たら、なんかそれっぽい地下道がある。

出発直前にギリギリ乗れた。
やれやれ。

なお、このユジノサハリンスク駅の写真は天気のいい別の日のヤツだけど、まあいいとして。





電車のなか。
運行しはじめたばかりで新しいのでテラきれいである。

わいにむかって
「すいません」
とか言いやがる野郎に遭遇。

キサマなぜ樺太で日本語が通じると思ったwww





樺太ではごく最近まで日本が引いた狭軌のままずーっと使っていた。
しかしロシア式の広軌に引き直した。
そこで臨時ダイヤが予想のつかないタイミングで不定期に時々変わるという少々困った感じで運用されていたのだが。

やっぱり困ったことになった。
当初はユジノサハリンスクから北にあるドリンスクへ行く計画を立てていた。
しかしどうやら8月末でダイヤが変わり、1日1~2往復しか走っていない電車がとても乗れない時刻にしか走らないようになってしまった。

しかたがないので、電車に乗れることを優先に、反対方向のコルサコフへ。
この写真はコルサコフにて降りたところで。







コルサコフで有名な観光名所、と思われる、旧北海道拓殖銀行大泊支店は、昨日見た感じだと工事中で完全に覆ってあり観光不能と判断。
とりあえず王子製紙工場跡廃虚へ。

これ、ネット検索すると、自由に出入りできる、みたいに書いてはあるものの。
実際には犬がぞろぞろ出てきやがる。
入り口だけにしたほうがいいよ、これ。





中央通りっぽいところ。
ここでテキトーにカフェに入って昼飯と思ったのだが。

俺(露)「サラダのブリヌイくれ」
奴(露)「今日はブリヌイ作ってないよ」
俺(露)「じゃあこれ。あと水くれ」
奴(露)「……今日は水もないな」
俺(露)「じゃあこれ」

なんてことにふつうになる。
よう買い物できたな我輩。





ロシアはレーニン像を見なければ始まらない。
しかしソ連が崩壊した直後にレーニン像は倒されまくった。
ひょっとしたら残っているのは貴重品なのかも……?

コルサコフの中心部にある丘の上が見晴らしがよくて絶好の観光スポットである、ようだが、市内を歩いてみると、とてもじゃないけれど歩いて登れるような高低差ではない。
タクシー必須である。

が。
どれがタクシーなんだかようわからん。
ビミョーにタクシーっぽい雰囲気ではあるけれども、外見からはタクシーと判断できる材料は何一つないとか。
タクシーっぽい何かを上にかぶせてはいるけれども、なぜか2人乗って待機しているとか。

なのでやめた。
タクシー捕まえるの無理。





市内でみつけた看板。
これは寿司屋ではなく和食屋。
街の中なら無料配達しまっせって書いてある。





これも市内でみつけた看板。
ロシア語を読まずにこれだけ見ると、なんか知らんけど結婚相談所なんだろか?……みたいに思えるのだが。
実はこれ、窓屋さん。
なんでだよ。



コルサコフ観光はこれでおしまい。
電車はとんでもない夜遅くにしか走っていないので、バスかタクシーかでユジノサハリンスクまで行く必要がある。

幸いにもバス停はわかる。
バスがいた。
聞いてみる。

俺(露)「わい、ユジノサハリンスクに行きたい」
奴(露)「これは市内周回バスだ。しばらく待ってな。すぐ来るよ」

わい、ロシア語で会話してるじゃねえか。



しばらく待つ。
なんか知らんけどワゴン車が来た。
日本の感覚だと違法改造してたくさん乗れるようにしたバスではないワゴン車で、見た目けっこうヤバい。

これバスなんか?……と躊躇していると、プップーと鳴らされる。さっさと乗れっていうのだろう。
ユジノサハリンスクには行くらしい。
バスには乗ったが、ユジノサハリンスクの市街地が見えるまでめっさ不安だった。





ユジノサハリンスクについた。
まずはサハリン州立郷土博物館へ。

本当はコルサコフ観光とユジノサハリンスク観光は別の日にしたほうがいいだろう。
こんなタイトスケジュールはふつう成り立たない。
しかしそうはしていない。

なぜかというとだな。
電車でいくコルサコフは、まかりまちがって駅で夜を越すことになった場合、翌日に飛行機となると、かなりヤバい。
なのでコルサコフは最終日前日より前でなければならなかった。

しかしユジノサハリンスクの観光用の公共建物の多くは最終日前日の月曜に休み。
それはあらかじめわかっていたので最終日前日の月曜にエスタフィア岬へのオプションツアーを入れてもらおうと思ったいたのにもかかわず、旅行会社が勝手に土曜に日程を入れてしまいやがる。

2日目もきつかったが、3日目もきつい観光にならざるを得ないのだった。





旧大日本帝国軍の展示物がたくさんある。

ロシア人の日本語ガイドつれた日本人の老夫婦が観光していた。





2日目のガイドさんによると、樺太には朝鮮族の人がわりといるとか。
で、この展示物は、朝鮮族の人が昔からいる証拠だとか書いてあるのだが。

昭和って書いてあるんですけど!!!

あとこれ、朝鮮人に言わせれば日本は名字を奪ったっていってるにもかかわらず、朝鮮名なんですけど!!!

これを何がしかの証拠として使いたい方がいらっしゃったら高解像度さしあげますぜ。





どうやらアルカイムなるもののフェアをやっている模様。
何か知らんけどロシアとカザフスタンの間あたりの古代民族のようだが、我輩よくわかっていない。
いやだって、マジメにロシア語の説明文を全部読むだけの時間も体力も気力もねえよ。

っていうか、旧大日本帝国軍の兵士はちゃんと日本人顔してたくせに、このマネキンえれぇ美男美女なんですけど!





屋外。
旧大日本帝国軍の大砲らしきものが。



とある観光ガイドによると、展示物に見るものがあって何時間いても飽きないと記すものもあるが。
しかしだな。
それは展示物に付属するロシア語の説明文をいちいち読んでれば何時間いても飽きないくらいの物量になるんだよ。
そうじゃなければ何時間もいないから!









次。
私のロシア歴史マルチメディアパーク(でいいのか?)と、キリスト生誕大聖堂(でいいのか?)と、勝利記念館(でいいのか?)。

1か所にユジノサハリンスクの名物観光地が3つもあってとりあえずここ行っとけ的な配置になっているという所。

大聖堂はすごかったな。
ただ、敬虔な信徒の場所って感じで、たんなる物見遊山の我輩がいってええんかって思うところはある。

ロシア歴史マルチメディアパークは、タッチパネルで詳細を見れるようにはなってはいるものの、半分以上文章なのでちゃんと読むのはやめ。
俺たちはこれだけの外的と戦って偉大な祖国を創り上げてきたのだ的な政治的配慮を感じさせる。そういう意味ではコンセプト的に新鮮な感じ。

勝利記念、これ作りかけなのか?というような感じなんだが。
実際、3階は出入り禁止。

これ3つとも入場無料。
プロパガンダ用と宗教用は入場無料なのか?

あとロシアでは、入り口に手荷物検査があるか、カバン持ち込み不可になっているかの公共物が多い。
教会はOKだが、博物館的なヤツはどれもカバン持ち込み不可。
カバンは預かってくれるってので、いるもんだけ持って入ろうとしたのだが。

奴(露)「おい、なんだこの本は!?」
俺(露)「辞書だよ」
奴(露)「辞書だと……? まあいい通れ」

ってことが1回だけあった。
わい、ロシア語できなかったらどうなってたんだろね(笑)。





チェチェン共和国の首都グローズヌイで実際に作戦で使っていた兵士の地図、と思われるやつ。





ホテルまでの帰り道にある栄光広場。
ここは、サハリン解放のために戦った兵士の墓、みたいな感じ。
こういう共産主義の雰囲気満載の彫刻を堪能できるのもロシア旅行のだいご味ですな。

ここの丘を少し登ったところに戦車があるのだが、えれぇくたびれていたのでこの日はやめにした。





ホテルの近くでテキトーに入ったレストラン。

奴(露)「ロシア語できる?」
俺(露)「ちょっとだけ」
奴(露)「朝鮮語はできる?」
俺(露)「いやぜんぜん。英語は?」
奴(露)「いやぜんぜん。うーん」

という感じで、難易度高かったが、まあなんとかメシ食って帰れた。





俺(露)「地元の料理食いたい」
と言ったところ、でてきたのは牛丼。

地元って大日本帝国のことかい!

いや、местные блюда(地元の料理)がмясо(肉)に聞こえたのか?

して味。
牛丼は、日本より味は濃いけどあっさりしているというロシア的な味付け。
味噌汁は、ダシをとっていないミソだけの味だが、ワカメしか入っていないのにナゼかほんのり動物性の風味がする。
なかなか新鮮な体験だった。

このあとスーパーにいってアイス買って帰る。

3日目、終了。








4日目。
市内観光。
目的は、市内の雰囲気を満喫すること、などなど。

ユジノサハリンスク駅前の広場。
奥に見えるのはレーニン像の後姿。







駅前に展示してあるこれ、どうですかおくさん!
D51なのにソヴィエトマーク入りですよ!?





鉄道博物館。
と銘打っているが、とりあえずそこらへんに置いてあって勝手に出入りして見物してこい的な感じ。
だがそれは悪い話ではない。

日本ではこういうのは
「触らないでください」
って絶対書いてあるが、ロシアではそんなことはない。
触り放題なの最高!

写真のヤツはプロペラ回転式のラッセル車。
こんなんはじめて見たですよ!





デパートっぽいところからの風景。
ロシア的ななんとなく寂しい感じの風景は1本奥に入らないと味わえない。
表通りは交通量も多いし建物は綺麗だし。





ガガーリン公園。
なんか知らんけどいきなりロケットの説明の板が。
……と思っていたが、この公園はガガーリンだった。

この公園で散歩している犬にやたら話しかけてる変な爺さんがいると思っていたところだな。
どうやら話しかけていたのは我輩。
肩たたかれて俺かい!?って思った。

俺(露)「わい、ほとんどロシア語しゃべれんのだけど」

と言っているにもかかわらず、なんか知らんけどやたらしゃべりまくる。
3割くらいしかわからぬ。

しばらく見ていたところ、どうやら犬の散歩にかこつけて、そこらへんのヤツにやたら話しかける変な爺さんのようだ。





きのうは行くのをあきらめた栄光広場の丘の中腹にある戦車。
ここいらで日本語のガイドブック広げている日本人に遭遇する。

写真、右奥から
・B-57 130mm列車砲
・ZiS-3 76mm野砲
・37mm自動対空砲
・M-30 122mm榴弾砲
・IS-2M 重戦車
・IS-3 重戦車

これも触り放題! 最高!

もっとちゃんと映ってる写真よこせという人には提供しますぜ。





これはチェーホフ公園の像の1つ。
建物の中には入っていない。









日本関連の店ってけっこうあるようだ。
上から、ユキオ、メグミ、ケイタロなる日本物品店。
他にもカガミなる散髪屋もあった。





本屋で買い物。

どっかの誰かが、旅先で地図を買うのが楽しみだって書いてあるのを見て、それをマネてみた次第。

俺(露)「サハリンの地図を買いたい」
と言ってわざわざ出してもらった。
表には出してないんかい。

いま改めてみると、あーここ行ったなー、とか、あーこの前を通ったなー、とか、なかなか素晴らしい買い物ができたのだった。

あとの2冊は、ロシアのコイン本と、ロシアのミリ本。
ロシアのミリ本、地元のロシアで買うのも面白いかも、とは思っていたので買ってみたのだが、あとでよく見たら第一次世界大戦モノだった。
買い物にしくじる。
いつか同じシリーズの第二次世界大戦モノを買おう。

ここの本屋のおっさん、めっちゃ不愛想だが、不親切ではなかった。
ロシア人は不愛想だという旅行ガイド的なものをいくつか見たことがあるが、それは違う。
めっちゃ不愛想なヤツから、めっちゃ愛想のいいヤツまで広く分布しているようだ。
しかし今回の旅行では不親切なヤツに会ったことはない。

だが、「こいつロシア語は全く通じないのか」と思ったらロシア人は急に冷たくなる。
以前の旅行でそれはわかっている。



他の本屋だが。
秋葉原の橋の下みたいに2畳しかない店舗の本屋が3件ならんでいて、しかも同じような顔つきの婆さんが店番しているなんていうフシギなのもある。



あと日本語の教材本があったら買おうかと思ったのだが。
外国語では、英語が圧倒的物量なのは当然として。
あとはフランス語にイタリア語に朝鮮語。
日本語は発見できず。
(もちろんこれらの背表紙はぜんぶロシア語)

街中でも、朝鮮人?って言われるし。
日本人?て言われたことなし。





ロシアの裏通り。
夕方になるとちょっとおっかない印象。

4日目、終了。








5日目。
午前中ちょっとしかない。
近場を散策。

復活教会(でいいのか?)、広くはないのだがイコン画がすばらしかった。



そういえば朝飯。
日本人サラリーマン集団がホテルの朝食の会場へぞろぞろやってきた。

受け付けのお姉さんがロシア語で

奴(露)「おはようございます」

というのに誰も返事せず。
こいつ何か言ってるけどようわからんから無視しよ、みたいな感じ。

いちばん愛想が悪いのは日本人じゃねえか。





ロシアでは、ロシア語が読めないと何の店なのかまったくわからんというのはふつうである。
外見では散髪屋とカフェと本屋の区別はつかないというのは日本ではありえないと思うが、ロシアではロシア語が読めないと当然そうなる。

これ、何の店だかわかるだろうか?

正解は不動産屋。
シャッターが閉まっているが、人は出入りしているので、おそらく営業中。
これは難易度が高いほうではあるが、ふつうにそこいらにあるレベルだ。
わいが入った本屋もカフェもまさにこんな感じ。





これはやや親切なほう。
薬屋さん。

これでやや親切なほうなのだから、ロシア語が読めないとどれだけ困るかというのは推して知るべし。





とうとうロシアを去らねばならぬ時が来たようだ。
これ空港ね。

出国時は写真に映っていない左の入り口から入る。

して、これがまた謎。

入り口の手荷物検査のあと、小部屋となるのだが、その先にまた手荷物検査があり、こちらはなぜか閉まっている。

ホントにここでええんか?

えれぇ心配になる。
1つ目の手荷物検査のおばちゃんに聞いてみた。

俺(露)「飛行機のチケットのチェックインしたいんだけど、ここでいいの?」
奴(露)「〇〇だから15分待ちな」

半分も聞き取れんかったが、たぶん大丈夫なんだろうと思われる、マジたぶん。
これでロシア語まるでわからんかったら不安でいっぱいだろうな、マジで。

20分待って2つ目の手荷物検査が開く。
そこを通ったすぐ後の小部屋になぜかチェックインカウンターが。

その小部屋の階段を上ると出国のパスポート審査があり、
そこを通過してすぐのところにもなぜか3つ目の手荷物検査が。
多いな!



ふつう飛行機には水は100mlしか持ち込めないはずだ。
我輩、ペットボトルは回収される前提で見えるところに出して手荷物検査に挑んだのだが。

しかしなぜか没収なし。
そこいらのロシア人もペットボトルをそのまま手に持って手荷物検査を通過しやがる。

ロシア的なテキトーさ最高!





飛行機にのるゲートの直前の待機室。
1便づつしか乗客を収容できないくらいの広さ。
いや、だからこそ、他の便の乗客がはけた後でないとチェックインカウンターまで行けないようにわざとしてたのか……?

そういえば。
1つ目の手荷物検査で、ゴロゴロつきの大荷物を手にするネクタイなしの背広きた若い男と、ピンクのゴロゴロつきの荷物を手にする同伴出張っぽい感じの奥さんっぽい若い女がいたのだが。
待機室にはついぞ若い男は現れず。
こいつどうしたんやろかと気にはなるのだが……。





さらばロシア!

飛行機の中で、我輩にむけて
奴(英)「〇〇で申し訳ありません」
と、足が当たったことをたどたどしい英語、いやわいよりうまいけど、で謝ってるヤツがいたのだが。

俺(露)「気にすんな」
とロシア語で返したらヒヒヒって笑ってた。
たぶん、なんやロシア語通じるんかい!わいがんばって英語で話して損したわ!ってやつではなかろうかと。

行きの便は6割くらい日本人っぽいのが乗ってたが、帰りの便は日本人っぽいのは2割くらいだろうか。
日本人は金曜に行って日曜に帰ってくる弾丸ツアーが大好きということか?





遠目には2日目にすぐ近くを通り過ぎた原油と天然ガスの輸出拠点が見える。

ロシア国内でトランジットしなくてすむユジノサハリンスクは楽ちんでえな。

飛行機にのって離陸したとたん、ああこれで間違いなく帰れると思って安心したのか、爆睡してしまい、軽食を食い逃す。
リンゴと梨を持っていたので軽食の代わりに食う。
どうせリンゴと梨は植物検疫にひっかかって日本国内には持ち込めんからな。

5日目、終了。






何年か前のことだが。
死にそうなヨボヨボのジジイにアンケートしたとかいう記事を見たことがある。
そこには人生で後悔していることは何ですかという質問の回答一覧が100個乗っていた。

しかし100個のうち98個は何の役にもたたなかった。

「人の顔色を気にせずもっとやりたいことをやればよかった」

そんなんあたりまえじゃねえか!!!
ヨボヨボのジジイになってようやくそれとかガッカリだよおい。

だがな。
2個は役に立ったんだよ。

1個目。
「70になってもう歳だからとあきらめずにすればよかった」

2個目。
「もっといろんなところに旅行に行けばよかった」

1個目は我輩もそう思うかもしれないなと思った。

2個目だが、たぶんこれ、JTBとかの旅行会社に金積んで連れてってもらうって意味ではないだろう。
自分で旅行して現地の人と話をして何とかして帰ってくるって意味だろう。

そして我輩はロシア語をやろうと思った。

そしてロシア語をやり、その目的のいくらかをこの旅行で達成できたのだ。



おわり