「数学って何に使うんだ?」
「ベクトルや三角関数ができたって何の役にもたたねえし」
と、ふつうそう思う。
しかし!
「シューティングゲームでさ、十字キー右に押したら、自機は右に動くよね、それは内部的にはベクトル演算でやってるのさ」
「シューティングゲームでさ、ボスの回りに弾がぐるぐる回っているようなのってよくあるよね、それやろうとしたら三角関数使わないとできないのさ」
「シューティングゲームでさ、ボスが弾をバラまいた直後はゆっくりで、自機に近づくにつれて、バンッ!ってくるやつがあるよね、そういうのが物理の教科書でいう加速度運動なのさ」
と説明すると、すごいわかってもらえたようだ。
小中学校の教員は、数学が世の中でどう役立っているのかを学ぶ者に明確に説明してやる義務があるように思う。
むしろ国語で日本語の美しさがどうのとか、本気でどーでもいいとしか思えないようなことに力を入れすぎている。
そんな教育ではダメに決まっておる。
とはいっても、小中学校の教員をやりたいというヤツなど、科学技術の世界にいたくないから教員になったというヤツらしかいないんじゃないかという疑いがあるので無理があるかもしれん。
国語が好きなヤツが教育学部に行くのは不思議ではないが、物理が好きなヤツは教育学部には絶対行かないからだ。
逆にリアル技術屋の我輩は小中学校の教員やるなんてまっぴらごめんだしな。
「ベクトルや三角関数ができたって何の役にもたたねえし」
と、ふつうそう思う。
しかし!
「シューティングゲームでさ、十字キー右に押したら、自機は右に動くよね、それは内部的にはベクトル演算でやってるのさ」
「シューティングゲームでさ、ボスの回りに弾がぐるぐる回っているようなのってよくあるよね、それやろうとしたら三角関数使わないとできないのさ」
「シューティングゲームでさ、ボスが弾をバラまいた直後はゆっくりで、自機に近づくにつれて、バンッ!ってくるやつがあるよね、そういうのが物理の教科書でいう加速度運動なのさ」
と説明すると、すごいわかってもらえたようだ。
小中学校の教員は、数学が世の中でどう役立っているのかを学ぶ者に明確に説明してやる義務があるように思う。
むしろ国語で日本語の美しさがどうのとか、本気でどーでもいいとしか思えないようなことに力を入れすぎている。
そんな教育ではダメに決まっておる。
とはいっても、小中学校の教員をやりたいというヤツなど、科学技術の世界にいたくないから教員になったというヤツらしかいないんじゃないかという疑いがあるので無理があるかもしれん。
国語が好きなヤツが教育学部に行くのは不思議ではないが、物理が好きなヤツは教育学部には絶対行かないからだ。
逆にリアル技術屋の我輩は小中学校の教員やるなんてまっぴらごめんだしな。
このエントリを読んで、そう言えば自分も随分と数学というものが何に役立てられているか分かっていないままの学生だったなあということに、ふと思い至りました。
『CDプレーヤーが積分計算機でデジタルレコーダーが微分計算機なんだよねー』ということに気付いたのが就職してからなんですよね。
なんというか、勉強というものに肩肘張りすぎていて、頭ががっちがちに硬かったんだと思うのです。
就職して勉強しなくても良くなった途端に、えーかげんさを体得してそう言うことにも頭が回るようになったのかも知れません。
そう考えると本当に、教育って大事なんだなあ…。
これってそして学校に限った話じゃないんですよね。
過程でこういう四方山話が出来れば、それはそれで気付きに繋がりますから。
はっ。
DQN親から産まれる子がどうしてDQNに(以下検閲)
微分積分をようやく習ったばかりの高校生の時分だと、自主的にそこに到達するのはなかなか難しいですよね。
そういうときこそ誰かがおもしろい説明してくれたらいいんですが。
ふつうの学校教育を受けただけの状態では、たとえばわたしが理系でそのスジの職業だと言うと、
「計算とか得意なんですね」
とよく言われることがあります。
「公文みたいな単なる計算は苦手で、計算方法を考えるのが得意なのが理系なんですよ」
と言っても、それでも何のことだかわからないという顔をする人も一定数います。
そういう会話は大変不毛に感じます。
数学をそれくらいにしか見られない小中学校の教員の授業を受けて育つとそうなるという悪い例とでももうしましょうか、こういうところから教育を何とかしてほしいものだと思います。