今年も木更津の夏の一大イベント「八釼八幡神社」の祭礼に参加することが出来ました。
このあとの行事としては、海祭りやら港まつりが続いて、ここ木更津の町内は大いに盛り上がるのですが、八幡神社の祭礼は各町内がそれぞれの「看板」背負ってワイワイ担ぐものであって、市内の一般市民にとってそれほど楽しめる祭りと言えるかは・・・はたしてどうかしらね?
だがしかし、この私はつねに間違いなく楽しんでいると、そう断言出来ますよ。しかしこの楽しみには「かなりの痛み」が伴う。
本日そのあまりの痛ましさに見かねたのであろう、会社の女の子がこの空気頭に「そんなになってまで面白いのですか?」と、若干体を後ろに引きつつ、かつはすに見つめながら問うではありませんか。
しかしいつものように「なにおぉ~だまれ黙れ」とは、切り返せませなんだの。どんなに肉体的精神的に痛んでいても、神輿を格好良く上げる男はよ、そんな不具合などみじんも見せず、内面はどうとも表あくまで颯爽と、そういつもと変わりなく生活出来ることを私は知っている。
嗚呼~分かってます、分かってますって・・・自分はまだ修行がたんと足りないコトを
祭礼の最中ならばそれ程でもないのですが、たぶんアドレナリンってやつが身体機能の極限を超えて、我が肉体に作用しているのであろう、だが祭りが終わってはたと気が付けば、体かなりのポンコツ状態。
おぉ書いてて思い出したが、この祭礼の前夜は木更津駅西口の居酒屋「朝日屋」で南町盛年達と痛飲してしまい、オロカにも終電逃した私は仲間の三ちゃんのマンションに転がり込んだのでした。
ほんと仲間と言うのは、いつもいつでも有り難いものですよね・・・で、彼のマンションでシャワーを浴び、そして拝借した「なるべく小さ目」のTシャツとパンツを身に着けて、ついでに図々しくも冷蔵庫から酎ハイを引っ張り出し、二人して夏の夜の余韻に浸っていたのだが、日付も変わっていたので、ほどなくして就寝です!
すっと眠りについたと思ったら、なにか自分の身の周りが、こう毛が逆立つような騒々しさに思わず跳ね起きて確認してみれば、どうも枕元あたりから自分掛けた覚えのない「目覚まし時計」が鳴っているではありませんか
外を見るとうっすら明るくなっていて・・・しかしなぜに三ちゃんはこうも早朝にセットしたのか?今まで一度たりとも目覚ましなど鳴らすことなかったのに。
半ボケ状態で枕元まさぐってみれば、何とけたたましく鳴っていたのはこの自分の携帯電話なのですよ
これはいったい?と液晶画面のぞきこんでみると「福島県沖で地震発生・強い揺れに注意してください」
久方ぶりの緊急地震速報なのでした。すかさず布団に仰向けになって待つこと数秒・・・おぉ~ぐらぐらと揺れています。こういった方々には、夜中の警報は全くもって意味が無いのだと、改めてうなずかされた次第。
後に分かったことだが、この地震の震源域に近い海岸では津波注意報が発令されたのだよ・・・う~む地震で幕を開けるとは、はたしてどんな祭礼になるのか?
地震からきっかり15分後、一抹の不安を抱えながら三ちゃん宅を後にして、始発の下り電車に乗り込む空気頭なのでした。
祭礼初日は外せない仕事があったので、自分一度帰宅してのち出社。それでも9時ちょい前に仕事かたして、南町盛年に混じって御神輿担ぐこと出来ましたよ!
思えばしかしこの土曜日は急に夏日になって、いやこれが本来の気温なのだろうが、こうもいきなり暑くなると体がよ・・・。
午前中を気力で持ちこたえ、午後は町内に戻って子供神輿のお手伝いです!
ここ最近は町内の各地でミニ造成なども行われ、新昭和かナンかが分譲売り出ししているので、新たに移り住んだ若い夫婦などは、精のつくものガツガツ食って、かつばんばん子作りに励むように。
この子供神輿の行事を終えて、祭礼初日は無事終了。夕方からは南町公会堂で、盛年と先輩共々軽く打ち上げを行いました。
翌日の本番もあるので早目に中締めして、自分も外に出たのですが、2軒ほどちょいとはしごして、けっきょくは公会堂に戻ってしまいました・・・自宅に帰るのが面倒になって
翌日の本番もあるので早目に中締めして、自分も外に出たのですが、2軒ほどちょいとはしごして、けっきょくは公会堂に戻ってしまいました・・・自宅に帰るのが面倒になって
今夜は公会堂に泊まって、高橋エロ軍曹と一緒に寝ちまおうと、玄関をくぐって2階に上がってみれば、なおまだ数名が宴の待っ最中でありましたな。いやはや、皆々よく飲みますの~。
自分も出戻ってすかさず冷酒をかたむけ、どうも今夜はこのまま、会長ともども酩酊のうちに倒れ伏すことになりそうだ・・・まっそれでもいいのだ祭りなんだからと、半ば開き直っていたのだけど、ここでいきなりのハプニング
誰かが自分の名前を呼んでいると思ったら、いきなり階段を上って我がマナムー(まなむすめの略)が何の約束も無く唐突に、この宴もたけなわの公会堂に登場。
いやこの父はかなりぶったまげたぞ、ほんとだぞ!
わたしは驚くばかりであったが、俄然元気になったのは遥々茨城の駐屯地からやってきた、高橋エロ軍曹であったと、そう想像に難くは無いであろうと申し述べておきましょうか、ぶふっ。
かくしてこの夜は娘に手を引かれて帰宅の途につくこと出来て、幸か不幸かよそで2連泊という事態にはなりませなんだ。
かくしてこの夜は娘に手を引かれて帰宅の途につくこと出来て、幸か不幸かよそで2連泊という事態にはなりませなんだ。
翌日の早朝、青堀駅6時20分発の電車に間に合うように、ママに頼んで車で駅に送ってもらったのだが、そのとき「ご注進」とばかり、昨夜はマナムーが塾の帰りに南町の公会堂まで来てくれたのだと話したら意外や意外、ママの返事は中々に冷たいものであった。
あのね、ここんとこずっと不規則な生活だし、このパターンならそのまま館山まで行ってしまう、絶~対にそうなると、あの子わざわざ自分で迎えに行ったのよ
いやはや、それはそれは・・・。
素早くボディーにジャブ3発入れてやったと、かなり勝ち誇ったような妻の横顔に、こちら全く言いようがありませんとうつむき加減な「いちべつ」くれて、痛んだ体をホームにすべりこませたのだけど、そうであったか。
ママ的には、かなり非難がましく「のたまった」つもりであろうが・・・うふふ、良いではないですか。
普段は家族をかえりみることなく釣りだ~酒だ、それ海の幸で宴じゃーと、ロクデナシ街道をひた走っている私ですが、いやこれで救われたと心底思った瞬間でした
うふふ、こんなコミニケーションの場を作ってくれた南町に感謝ですね。
さて祭礼二日目は、こんな感じで朝から気分上々なので、どこでも気持ち良く御神輿担ぐこと出来たぞぃ。
さて祭礼二日目は、こんな感じで朝から気分上々なので、どこでも気持ち良く御神輿担ぐこと出来たぞぃ。
ラストの新田区も、いつもなら「ウマ」を運んでそのまま遠くから、ハァーハァーと荒い息吐いてヘバッているとこなのですが、今年は7~8回ほどは中に入ること出来ましたね。
人とは精神で出来ているものと、自分は「論者」ではないのだが、直観的に思い知らされた今回の八釼八幡神社の祭礼でありました。
来年もこんな感じで気分よく、南町盛年の一員として、八釼八幡神社の祭礼に参加したいと思います。
次回に盛年が係る行事としては、八月初旬の「南町区民の集い」だったか・・・いつもの場所が「売れちまって」どうなることか分かりましねども、懸念なく無事行われることを祈っています。
渡部会長、吉報待っていますからね
それでは今夜はこの辺で、さらばさらば!