木更津あだ波団

碧丸とゆかいな仲間達!

犬にまつわる不思議な話

2015年05月18日 22時25分29秒 | ブログ
昨年の夏に我が家の雉トラ♂が「猫エイズ」にかかり、ドカンとかなりひと悶着あったのですが、今現在はぶり返す様子もなく落ち着いていおります。



初めて動物病院に通いましたが、何だかんだと治療してくださるのですからの。お医者様の存在とは、まことにありがたいものですね。



まっしかし、払った治療費もばかにならなかった・・・ソルティガ(分かりますね)2個買えるほどもしたからよ。



さて先日は行きつけの君津図書館で、いつもどおり本を物色。



こんなのも良い!



漫画数冊に自然科学系の本、それともう少し何か肩にこらないやつをと探してみれば、わ~ぉなんてキャッチ―なタイトル!



ペラペラっとめくって中身大雑ぱに確認すると、なるほどコレは動物病院の先生が、その診療にまつわる悲喜こもごもをつづったエッセイなのでした。



例のエイズ騒動で、初めて通ったその「動物病院」に感化されたわけでもないけれど、コレはと迷わずお持ち帰り。



ストレートに良い



で自宅に帰り本格的に読みだしたのだが、これがめっぽう面白い!



本の中身は「奇」や「怒」などの4つの章に分かれていて、それぞれのお題目に添った内容の話が、濃くも簡潔に数ページずつまとめられています。



通常「このてのエッセイ」は、どこから読んでも楽しめる。そう小説とは違うからね。




本の真ん中あたりから「いきなり」読もうが、それこそ最後の章から読みだそうが。






今回自分はビール飲みつつ、えいやっとおもむろに本を途中から開き、そのまま最後までいくというアマノジャク的読み方を実践です。



そのページからぐいぐいとラストまで一気読みして、それではと一番最初から(バカです)あらためて読んでいくと・・・うわっ!



その内容に自分思わずのけぞりました、いやホントだぞ。







最初の「奇の章」とは、動物(この本では主にペット)の不思議な話、科学では説明出来ない摩訶不思議なお話・・・有体に言えば「犬の幽霊」話でありました



しかしあれですな、作者はまさに「奇をてらって」この話を冒頭に持っていったのでしょうが、自分のような「気分でいきなり斜め読み」するやつには、その手法通用しないであろうな、ぶふっ。



まぁ~だけどワタクシつね日頃、そんな幽霊話だのには全くもって関心ありません。しかし今回はまさに食い入るように読みふけりましたね。







なぜかと言うと過去に一度だけ、この私も「飼っていた犬」にまつわる、不思議な体験をしたことがあったから・・・。



そう今から30数年前、自分は当時小学6年生であったか・・・知り合いから子犬を、小さな柴犬を貰い受けて飼うことに。



結果的にいえば、初めて我が家で飼うことを許された子犬は、たった3か月ほどでその短い生を終えたのでした。







今にして思えば、餌として与えた鶏手羽もとの骨が原因かと思われるのだが・・・。



ワタクシ、泣きながら庭に穴掘って埋めましたよ。



不思議な事件はそれから一週間後のたそがれ時、夏の宵におきました。



まだ外は残照消えやらん黄昏どき。何の用事があったのかおぼえていませんが?自宅玄関から5mほど「外に出た」自分のまわりで、いきなり小犬が駆けまわる気配がし出したのですよ



当時その子犬を散歩するにあたり、まず首輪からクサリを外したあと、自分いきなり「そのまま解き放つ」のが常でした。






そうやって鎖から放すとその子犬は、相当に嬉しいのでしょう。



私のまわりを全速力で駆け回り、そして一直線にだぁ~と走ったかと思うと、今度は自宅を何回もぐるぐると、何週も駆け回るのです。



その歓喜爆発してややぐったりしたところを見計らい、今度こそリードに繋いでお散歩に行くというわけなんですが・・・。



死んで一週間後の宵に、そう生前の「歓喜絶頂ジャリを蹴飛ばし駆け回る」子犬の走る音と、短くハッハッと言う息遣いまでが聞こえてきて・・・鳥肌まじりの摩訶不思議な出来事が、突如として私のまわりで始まったわけであります。



ただし、気配はすれども姿は見えず







そんな馬鹿なコトあるかと思うでしょう?なんで見えもしないのに死んだ犬と分かるんだ?と。



だけど可愛がっていた犬と、よその犬の区別ぐらいは、飼い主であれば誰でも見分けつくと思いますよ。



けっきょくその異常な現象は2~3分ほど続いたか?自分背中に怖気が走りかつ鳥肌だって、ちょっとしたパニック状態だったが、懸命にその「気配」に向かって犬の名前呼んだことを、この歳になった今でも思い出すことができます。



いったいアレは何だったのか・・・?



今回この記事を書くにあたり、いまいち時期(この出来事の)がうろ覚えであったため、札幌に暮らす妹に連絡を取って、それとなく確かめたのですけどね・・・。



兄  初めて飼った犬のこと覚えているか?あれは確か・・・



妹  そうだよ、そのぐらいだよ。



兄  いや実はな・・・



妹  それ知ってるよ!



兄  何だって



妹  わたし、お母ちゃんと一緒に見てたもの



兄  ・・・ひぇ~



妹から聞く話によるば、そのとき母たちは家の中に居たのだが、外で犬が走り回っている音が聞こえ、これはおかしいと居間から二人して縁台に出てきて、今回の現象を目の当たりにしたとのこと・・・すなわち走り回る気配はすれども、その姿は見えず。



電話切った後これまた札幌に住んでいる母親に、ウラ取るわけでは無いのだが、同じ話をしてみれば。



母曰く   最後のお別れに来たのかねと、娘と二人頷きあっていたのよ。



う~ん、これぞなんと30数年ぶりに判明した事実。



いやはや、あまりに不可思議な出来事だったので、お互い誰にも、家族相手にも話すことなく、こうやって聞かれるまで黙っていたのかな~。



親父は仕事で居なかったが、まさかそっちにまで現れたかは確認していません。だけどこの手の話はどうも「異国」にだってあるとのよし。



興味ある人は「飼いたい新書 MILLENIUM 野村潤一郎」の冒頭を読んでみやれ。一気読みすること請け合いです。



しかしあれですな、私たちが住み暮らすこの世の中は、実はそれほど単純にできているのではではなく、もう一つ別の複雑怪奇な世界が並行して在るような・・・子供心にもそう直感的に思わせる、ふしぎな体験でありました。






よそ様も似たような体験、多かれ少なかれお持ちなのでは?  まぁ~夏限定で出てくる稲○何某の話は、どうもうさん臭くてならんけどね、ぶふっ。



それでは今夜はこの辺で、さらばさらば!