会津若松で残された時間は半日。
よってポイントを絞って、前回訪ねることができなかった「飯盛山」と「鶴ヶ城」へ。
飯盛山では、戊辰戦争を戦った白虎隊の足跡をたどりました。
度々テレビドラマになったりすることもあったので、何となくはわかっているつもりでしたが、こうして自刀の地に立つと、改めて、15~17歳という若さで散った命(しかも誤認によって)に、
「なぜにそう死に急いだ?」と思うのです。
会津に根付く「什の掟」は、武士の心でもあり美学であります。
自決は、「什の掟」の年長者を敬う態度であったに違いありません。
また、今回知ったのは、会津には、「ならぬことは、ならぬ」と「ダメなものはダメ」という毅然とした態度が根付いていること。
あいづっこ宣言
子供に求めることは大人も率先して行うことも含めての宣言なのですね。
どうやら、私が、会津若松にひかれるのは、今の時代では融通がきかないように感じられるけども、屁理屈や、批判や中傷に決して屈することないであろう頑固さが一因のような気がするのでした。
白虎隊の墓前には親子連れの姿が目立ちました。
多くの子供が自決した白虎隊員の墓の前にお線香を供えていました。
しばし、休憩をとった後、向かったのは、鶴ヶ城です。
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現在は復元されているのですが、戊辰戦争の際に1ヵ月の攻撃に耐えた難攻不落の城を現在に伝えるド迫力です。
しかも、真っ白。
戊辰戦争の際には、老若男女が総出で、新政府軍と闘い藩を守り抜こうとした1ヵ月の籠城。
しかし、女・子供が籠城しても戦の足手まといになるという理由から自決するという壮絶な話も残されています。
今の時代と、自殺や命の意味が全く違う。
散りゆく桜の花びらを目で追いながら、この数日封印していた、震災後からずっと問い続けながら未だ納得できる解が見つからない自分が戻ってきました。
そこで湧いてきた疑問、
震災で、お亡くなりになった方々の御霊は無事に成仏できたのだろうか?
私たちは、今、被災地や被災者の方々に何ができるのかが頭の隅にずっとありながら、
お亡くなりになった方々は、ご冥福をお祈りすることで完結し、喪失の痛みをご家族だけが引き受けていないかということ。
不本意ながら亡くなられた方々が、生き伸びたかった「今日」を、私たちはどのように生きただろうか・・・
お亡くなりになった方々は1人1人がどんな風に生きたかっただろう。
自分で決めた命の使い方に、託された命を一緒に生きる。
それもまた今の自分にできることの1つであることを気づかせてくれた旅であることに感謝します。
そして、会津若松駅では新潟から到着したSLに遭遇。
何と言うタイミング!
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駅で電車を待つ乗客たちを喜ばせたことは言うまでもありません。
テンションはさらに上がり、福島で、さらに元気になっていく自分を感じました。
よろしければ
↓
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よってポイントを絞って、前回訪ねることができなかった「飯盛山」と「鶴ヶ城」へ。
飯盛山では、戊辰戦争を戦った白虎隊の足跡をたどりました。
度々テレビドラマになったりすることもあったので、何となくはわかっているつもりでしたが、こうして自刀の地に立つと、改めて、15~17歳という若さで散った命(しかも誤認によって)に、
「なぜにそう死に急いだ?」と思うのです。
会津に根付く「什の掟」は、武士の心でもあり美学であります。
自決は、「什の掟」の年長者を敬う態度であったに違いありません。
また、今回知ったのは、会津には、「ならぬことは、ならぬ」と「ダメなものはダメ」という毅然とした態度が根付いていること。
あいづっこ宣言
子供に求めることは大人も率先して行うことも含めての宣言なのですね。
どうやら、私が、会津若松にひかれるのは、今の時代では融通がきかないように感じられるけども、屁理屈や、批判や中傷に決して屈することないであろう頑固さが一因のような気がするのでした。
白虎隊の墓前には親子連れの姿が目立ちました。
多くの子供が自決した白虎隊員の墓の前にお線香を供えていました。
しばし、休憩をとった後、向かったのは、鶴ヶ城です。
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現在は復元されているのですが、戊辰戦争の際に1ヵ月の攻撃に耐えた難攻不落の城を現在に伝えるド迫力です。
しかも、真っ白。
戊辰戦争の際には、老若男女が総出で、新政府軍と闘い藩を守り抜こうとした1ヵ月の籠城。
しかし、女・子供が籠城しても戦の足手まといになるという理由から自決するという壮絶な話も残されています。
今の時代と、自殺や命の意味が全く違う。
散りゆく桜の花びらを目で追いながら、この数日封印していた、震災後からずっと問い続けながら未だ納得できる解が見つからない自分が戻ってきました。
そこで湧いてきた疑問、
震災で、お亡くなりになった方々の御霊は無事に成仏できたのだろうか?
私たちは、今、被災地や被災者の方々に何ができるのかが頭の隅にずっとありながら、
お亡くなりになった方々は、ご冥福をお祈りすることで完結し、喪失の痛みをご家族だけが引き受けていないかということ。
不本意ながら亡くなられた方々が、生き伸びたかった「今日」を、私たちはどのように生きただろうか・・・
お亡くなりになった方々は1人1人がどんな風に生きたかっただろう。
自分で決めた命の使い方に、託された命を一緒に生きる。
それもまた今の自分にできることの1つであることを気づかせてくれた旅であることに感謝します。
そして、会津若松駅では新潟から到着したSLに遭遇。
何と言うタイミング!
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駅で電車を待つ乗客たちを喜ばせたことは言うまでもありません。
テンションはさらに上がり、福島で、さらに元気になっていく自分を感じました。
よろしければ
↓
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