2020年1月21日「大和七福八宝めぐり」二日目
【おふさ観音、久米寺篇】
昨日の昼から始めた「大和七福八宝めぐり」。
「當麻寺中之坊の布袋尊」「朝護孫子寺の毘沙門天」「長谷寺の大黒天」「談山神社の福禄寿」「安倍文珠堂の弁財天」「大神神社」と6か所が無事終了した。
あとは橿原市の「おふさ観音の恵比寿天」と「久米寺の寿老人」の2か所だけ。
何とか今日中に満願達成できるかと思ったが、大神神社の最寄り駅、JR三輪駅で痛恨の乗り遅れ。
次の電車まで1時間もあるので、これを待っていると今日中は難しい。駅前にはタクシーの待機車両もいない。
いろいろ考えたが、結局、近鉄に乗るため次の桜井駅まで歩くしかない。
ひたすら南へ、南へと疲れた足を運び、22分ほどで桜井駅北口に到着。
14:50 近鉄大阪線の急行に乗車。
14:54 大和八木駅に到着。
スマホのGoogleで調べたら大和八木駅から「おふさ観音」までは、徒歩20分以上かかるらしい。
スマホのナビを見ながらいったんは歩き出したが、諦めて八木駅へ戻りまたもやタクシーに頼る。
15:20 10分弱で「おふさ観音」に到着。
お寺は住宅街の狭い道の先にあった。状況から判断して、タクシーには待ってもらうことにした。
<奈良県橿原市小房町 おふさ観音(観音寺)>
高野山真言宗・別格本山。
・・・ある日の朝。この地で暮らす「おふさ」という娘さんの前に、白い亀の背中に乗った観音様が現れた。そこで小さなお堂を建てて観音様をおまつりした・・・と言うのが、このお寺の由来だとHPにある。
<境内図>
<バラの季節>
「おふさ観音」はバラと風鈴の寺として有名らしいが・・・
真冬の今は、ザンネンながら季節外れ。
終わりかけのバラの花が、わびしく残るだけ。
さっそく受付に行き、御朱印をお願いする。
私が受付に行ったときは他に誰も並んでいなかったが、ふと、後ろを振り返ったら長蛇の列。
タクシーの運転手に聞いたら、私が入った後に大型バスが来たのだと言う。アブなかった。
本堂内は、これから御祈祷があるということで拝観出来ず、外とからご本尊にお参り。
その後、肝心の「恵比寿天」を探す。
<恵比寿尊社>
<恵比寿天>
<ご本尊観世音の御朱印>
<「大和七福八宝めぐり」恵比寿天の御朱印>
これで「大和七福八宝めぐり」の7か所を回ったことになる。
残るはあと1か所、久米寺だけだ。
15:35 待たせておいたタクシーで、橿原神宮近くの久米寺に向かう。
当初の計画では、おふさ観音から久米寺まではハイキングを考えていたが、歩いていたら閉門に間に合わない可能性もある。ガイドブックなどでは閉門17時と書いてあっても、実は冬場は16時閉門などということがよくある。
15:45 久米寺に到着。
<奈良県橿原市久米 久米寺>
こちらもアジサイとツツジが見事な花の寺として有名。
聖徳太子の弟「来目皇子」の開基(寺伝)とされている古刹。久米仙人が開基ともいわれている。7世紀後半から寺が存在していたことは確実視されている。
・・・久米仙人は、ある日空を飛んでいる最中に、川で洗濯をしている美しい娘のふくらはぎに見とれたために法力を失い、地上に落下。その娘と結婚して幸せに暮らした。その後、復活した法力の働きを時の天皇に認められ、その褒美で久米寺を創建した・・・という逸話(諸説多数)が「今昔物語集」や「徒然草」などにあるようだ。
昨夜は、駅前のホテル近くの居酒屋で、常連客の方々やママさんからそんな逸話や面白い噂話などを教えてもらい、大いに盛り上がった。
<多宝塔(重文)>
<久米仙人像>
<本堂>
境内で何か仕事をしていたご住職に、本堂拝観と御朱印をお願いしてご本尊「薬師観音」に参拝。
その後、本堂内を見学。
須弥壇裏のかなり暗い場所で、薄っすらと「寿老人」と読める札を発見。
そこに逗子らしきものがあった。そもそも暗い場所なので、逗子の中は漆黒の闇。近づいても何も見えない。
姿は見えないが、そこに寿老人が祀られているものとして、手を合わせる。
<ご本尊 薬師如来の御朱印>
<「大和七福八宝めぐり」寿老人の御朱印>
なかなか達筆で美しい「寿老人の御朱印」を拝受したところで、「大和七福八宝めぐり」の満願達成。
昨日の昼から一日半で、何とか満願となりました。メデタイ、メデタイ!
<「大和七福八宝めぐり」の御朱印 満願達成>
昨日から千数百年の歴史を持つ、あるいはそれ以上古い神社やお寺を巡ってきたが、最後は新しい「橿原神宮」で旅の無事を祈願。
<橿原神宮>
夕暮れ迫る神宮をあとにして、今夜の宿がある奈良市内に向かう。
今日1日でタクシー代を1万円ほど使い電車も5本乗ったのに、奈良市三条通りのホテルに着いてみれば、万歩計は約三万歩。かなりハードな「大和七福八宝めぐり」でした。
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