ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

限界集落の厳しさ

2010年02月13日 23時20分06秒 | Weblog
 今夜は集落の役員会でした。
 役員会とは言っても、31世帯中20世帯が出席ということで、実質的には総会に近い状態です。
 
 というのも、自治会長や体育部長など、いろいろな係の数は自治会の規模の大小にかかわらず同じだけ設定されるからです。
 ならば、減らせばいいじゃないかという意見もありましょう。
 しかし、各係ごとに、研修会だなんだと要請されれば、分担するしか方法がありません。


 中でも、最ももめたのが、自治会長の選出でした。

 50代の4人が担ったこの4年間が終わり、では、来年度は?となった時、私を含めた40代は困難な要素があるし、再度、60~70代に要請となったら、「私は2回会長をした」「老人会長が回ってくる」「棚田保全の事業の会長はどうするんだ」。

 40~50代は「私たちは2回じゃ済まない。3回どころか4回、5回だ」・・・
 もちろん、40・50代は2回以上会長をすることは覚悟の上です。


 限界集落で生きていくことの厳しさを改めて実感した今夜でした。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  増補版 おまけの山崎編プラス1

2010年02月13日 22時50分09秒 | Weblog
 これは本来、増補版というよりは、「おまけの山崎編」に組み入れるべきだったかもしれません。

 この写真は、山崎にあるものですが、薩摩山崎駅ではありません。

 薩摩山崎駅よりも、ずいぶん西側にある山崎小学校の正門横にある鉄道遺物のコーナーです。
 特段の説明書きもなかったし、公立小学校ですから、鉄道学校的なカリキュラムがあるなんてことはありません。

 
 ですが、駅から遠い、この遺物コーナーの存在は、やはり何者かの意図があるのだと思います。
 腕木式信号機、レール、動輪、踏切の信号機などがあるのは、某駅跡並あるいはそれ以上ですよね。
 私の知りうる限り、学校の中にこれだけのものがあるというのは、宮之城線の沿線では皆無です ・・・・・ 知っている方がいたら、ぜひ教えてくださいね。




 さて、増補版はこれにて終了です。

 もちろん、撮影した物は紹介した物以上に多くありました。
 けっこう残っているものだなと思いました。

 だからこそ、これは鉄道遺構だと明確にしておきたいと思います。
 とりわけ、鉄道遺構が少しずつ撤去・廃棄されているご時世だからこそ、そう思うのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  増補版 ⑭ 121~122

2010年02月13日 22時30分37秒 | Weblog
 №122の写真には、道路から路盤に登っていくコンクリート道が写っています。

 本当に、わずかな区間ですが、この登り口からすぐ左側の路盤へとアプローチを図ったところ、眼前に現れたのは、なんと! コンクリートの路盤でした。


 一瞬、目を疑いましたが、確かにここは宮之城線の路盤です。


 コンクリートで強化された意味を問いたいところですが、何もそれも語ってくれるものはありませんでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  増補版 ⑬ 121~122

2010年02月13日 22時18分46秒 | Weblog
 ずいぶんと飛びます。
 12/25にアップした№121と№122の間です。

 121の写真に軽自動車が写っています。
 その左側の竹藪の所に向かって築堤がのびていました。

 現在では、本当に藪になってしまっているし、入り込む人は誰もいないということなんでしょう。
 獣道も何もあったものではありませんし、現在では1mもない幅が路盤の一部分として残っています。



 そこに、わざわざと思われるでしょうが、登ってきました。


 すると、国鉄の境界標を見つけました。

 また、足元にはコンクリートでできた樋脇町の境界標も転がっていました。



 こんな形で残っていることに、ある意味、感動と悲哀を感じつつ、進んでいきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美里祭りV25の東の会場が決定!

2010年02月13日 20時56分23秒 | Weblog
 美里祭り2010の新たな会場が発表されました。

 8/28、29の河口湖ステラシアターを中心にしての3会場4公演。
 河口湖より東で1箇所、西で1箇所です。

 
 その東側の会場が明らかにされました。
 な、なんと、北海道は札幌!
 札幌芸術の森 野外ステージ!

 
 あんまりにも東にシフトしすぎじゃないの!って言いたくなるんだけど、会場がとても素敵なんです。写真を見てください。それに広い公園のようです。
 美里さんは今、北海道でラジオ番組持ってたり、去年の全国ツアーでも3箇所でやったりしてるしね。

 ただ、私にとってはあまりにも遠い・・・・・
 河口湖ですら、なのに、北海道なんてという感じです。

 宝くじで大穴を当てられたら家族旅行を兼ねて行けそうですけどね(笑)。



 さあ、気になるには、西の会場です。
 25日に発表・・・ってことは、会場の管理者からの申請書の許可待ちってことなんでしょうね。

 以前のFCからの便りによると、「海の近く」というキーワードがまだ残っていますし、ラジオ番組を持っていることからして福岡県しかないと思うのですが・・・
 海の中道? 雁ノ巣? いろいろ考えるんだけど、やっぱりヤフードームじゃないかって思うのです。
 ズバリ期日は8/21。ただし、8/7も可能性あるけどね。

 2010年度のホークスの試合日程から勝手に想像しました。
 どうでしょうか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  増補版 ⑫ 61~62

2010年02月12日 23時15分27秒 | Weblog
 川を渡ると、すぐに山の中へ入っていきますが、県道より4~5m高い所を通っている上に、以前訪れた時にはまだ草木が生い茂っていて、とても中をのぞける状態ではありませんでした。

 12月末、再び訪れた時には、草木もずいぶん枯れ、道路からもずいぶん中の様子がうかがえる状態になっていました。

 そこで、飯母橋のバス停近くから土手をよじ登り、線路跡へアプローチ。路盤に入りました。
 すると、私の前には、ずいぶんと広い空間が広がりました。
 足元のバラストははっきりと見えています。

 北側は路盤が大きく削り取られており、付近の田んぼなどを見渡すことができました。
 
 南側へ向かって歩いていくと、62の場所に出ました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  増補版  ⑩ 61~62

2010年02月12日 23時01分41秒 | Weblog
 今度は、11/28にアップした61と62の間にある遺構です。
 旧川内市から旧樋脇町に入ろうとする所で、「この切り通しになっている部分は、以前は築堤で、左側のちょっと先に橋がかかっていたんでしょう」と削り取られた築堤について書いていましたが、この時、使った写真の左側に橋の欄干が写っています。

 「橋がかかっていたんでしょう」として、その場を確認していなかった甘さ。

 後日、のぞき込んでみました。

 すると、今回のような橋台が見つかりました。

 もちろん、この高さにかかっていたのではなく、ここからさらに、高い場所を通るようになっていたはずです。
 当時の写真があれば一番いいのですが、想像をたくましくさせてくれる橋台です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  増補版 ⑨ 53~54 

2010年02月11日 22時33分19秒 | Weblog
 奥に見えているのは平佐東小学校です。
 「緊急のお知らせ編」で出てきた小学校です。
 そのすぐ近くに、踏切制御子があり、それを中心に境界標があります。

 これは道路脇に見つけた1本。
 なんの変哲もない1本です。

 しかし、これはただの1本ではなく、鉄道の遺構でもあるわけです。


 この道路を利用することは、けっこうあるのですが、この日まで全く気がつきませんでした。
 
 こういう1本を大事にしたいですね。
 その思いを確かなものとするために、あえてアップしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  増補版 ⑧ 53~54

2010年02月11日 22時25分46秒 | Weblog
 №53を掲載した時点で、確認はしていなかったものの、この近くに神社があることは知っていたものの、偶然にも踏切制御子の外箱を見つけたがために、車を降りて、近くを歩いていたら、神社の境内に初めて入ることになりました。

 なんと、神社は線路のすぐ横にありました。
 写真にも左側に写っています。

 そして、何より近くには何本も境界標が立っていることに気づきました。

 私の悪いクセですが、ポイントとポイントを押さえたら、その間のことは想像で済ましてしまうんですね。分かってはいるんですが、またしてもやってしまいました。

 写真に写っている境界標はちょっと草が伸びてしまうと、埋もれて見えなくなってしまう位置にありますが、実は、道路脇のところにも1本見つけました。

 せっかくだから次号で紹介しますね。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  増補版 ⑦ 53~54

2010年02月11日 22時14分52秒 | Weblog
 話題を増補版に戻します。
 これは11/20に掲載した№53と№54の間に残っているものです。

 たまたまですが、「緊急お知らせ編」で取りあげた戸田川の鉄橋から吉野山駅に向かって約700mほど進んだ所に踏切制御子の外箱が立っていました。

 取材というわけではなく、たまたま近くを通りかかった今年の小雨の日、ふと振り向いた運転中の私の目に飛び込んできました。

 これは踏切に接近してくる列車を検知して、踏切の遮断を作動させる機械です。
 近づいて、よく見ると、東邦電機工業が昭和53年6月に製作したというプレートがついていました。
 東邦電機工業は現在でも、鉄道関係の機器のメーカーとして健在です。
 私が中学生の頃に作られた機械との発見・対面にちょっと感動を覚えました。



 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする