闘え!文庫魂

空手を愛する熱い仲間たち
金沢文庫木元道場生におくるメッセージ

卒業式(卒業証書授与式)

2010年03月19日 | 雑記

 昨日が横須賀市、今日が横浜市の小学校の卒業式でした。息子が小学校を卒業する為、今日参列してきました。先週は中学校、先々週は高校の卒業式だったそうです。卒業した皆さん本当におめでとうございます。

 保育園のとき以来の参列となりましたが、自分の子どもを含めてみんな大きく立派になったものだと感慨深いものがありました。息子の学校は私立中学への進学が多く、涙を流している子ども達も多かったです。ついついもらい泣きを・・・。

 センセーは土日は稽古や行事があるので小学校の運動会には稽古の間に一度見に行ったきりです。逆にありがたいことに平日の授業参観やボランティアで読み聞かせや学援隊(校内パトロール)など(ともに朝なので)に参加させていただいてきました。父親でやっている人はほとんどいません(笑)。

 そして6年間他にできることでかかさずやってきた事・・・小学校へ行く息子の後姿を朝マンションの廊下から見送ることです。
 どんなに遅く帰ってきてもどんなに眠くても起きて見えなくなるまで見送っていました。はじめは振り返り振り返り手を振りながらよちよち歩いていた息子も今では振り返ることもなくつれないそぶりでお友達に夢中です(泣)。

 手が離れることは嬉しいことですが、ちょっぴりさびしいですね。子育てが難しくなるのはまだまだこれからだと思いますが・・・かわいかったこの日があるからこそ乗り越えることができるのかもしれません。そして「中身は変わらない」と道場の先輩ママ達に教えをいただいているので、信じて頑張っていこうと思います。

 そうだよな~。稽古生のみんなだってみんな可愛いまんまだもんな・・・。

 先日ヤフーのニュースで素敵な記事がありました。 「夜間中学 91歳女性が卒業・・・戦災・震災を乗り越え」という記事です。

  携帯ではリンクできないようですのでご紹介します。

【夜間中学 91歳女性が卒業…戦災・震災乗り越え 神戸

3月10日15時2分配信 毎日新聞

 戦争の混乱などで教育を受けられなかった人らが通う神戸市須磨区の夜間中学「市立丸山中学西野分校」の卒業式が10日、同市長田区であり、91歳の平井シヅヱさんが3年間学んだ喜びをかみしめ、卒業証書を受け取った。18歳で結婚、しかし夫は戦死。震災で自宅は全焼。「今日のこの日を、新たに歩いていく日にしたい」。平井さんは決意を新たにした。

 徳島県生まれ。母親は平井さんを産んですぐに亡くなった。父方の祖母に育てられ、小学校を卒業後、神戸の親類に身を寄せた。1937年に結婚したが、夫は5カ月後に出征。翌年、阪神大水害に見舞われ、夫の戦死の公報も届いた。

 終戦後に再婚し、神戸の焼け野原で新生活を始めた。靴工場で働き1男3女を育てた。

 12歳から働きづめだった人生。あきらめたことも多かった。唯一の趣味だった押し絵も阪神大震災(95年)で家が全焼、せっかくそろえた道具も灰となった。家事に追われながら、日常に物足りなさを感じていた。米寿を迎え、07年に定時制中学の生徒募集のポスターを目にした。

 「勉強がしたい」

 夜間中学に通う生活が始まった。

 水彩画、陶芸、分数の計算。初めてづくしの毎日だったが、新しいことに挑戦すると若返る自分を感じた。在日コリアンや出稼ぎのベトナム人らクラスメートもたどたどしい日本語でやさしく話しかけてくれた。「夜間中学が私の青春。失ったものを取り戻せた」と実感した。

 この日の卒業式。3年間、ともに学んだ同級生13人と笑顔で出席し、壇上で卒業証書を受け取った。

 「学生生活は3年間と短かったが、楽しかった。これからも学び続けたい」

 平井さんの誓いだ。】

  どんな困難にあっても学ぶことに終わりはない、学び始めるのに遅いということはないということだと思います。

 それは人がいつそうしようと決意するかなのだと・・・。

 中学生になると一般部の仲間入りです。大人の皆さんがそうなように、これからは忙しい中自分で時間を見つけていくしかありません。大人と同じように悩む日々もあるでしょう。でもそれも稽古の内ではないでしょうか。

 意を決して来てくれたらいつでも歓迎します。待っています。押忍