ご会葬いただいた皆さん、御心を賜りました皆さん、稽古時間変更などご理解・ご協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました。
また、皆様には突然のお知らせになってしまったこと、本当にごめんなさい。
木村指導員は、センセーにメールなど出来ない性分で、いつもどうしても電話で伝えられない状況の時や指導のお休みなど私がワンクッションとなりメールをくれていました。
道場創設当初は、毎日一緒にいたように感じていました。稽古も、試合も、イベントも、一時は家族4人揃って稽古されていた時もありました。(あの美しい奥様も実は元稽古生です。)全関東大会で輝かしい成績を残してくれましたが、月日が経って、転勤があったり、お仕事場での立場も変わっていき、抜けられない、休めない、稽古の回数も徐々に減っていき、大好きだといってくれていた道場の飲み会にもほとんど参加することができなくなってしまいました。それでも少年部だった若手の力になりたいと熱い指導をしてくれていましたが、それもいつも駆け込みで、時にはどうしても出れない事も増えてきました。そんな時にメールが来るんです。本当に、申し訳ないといって。
お仕事場での責任感も相当のものだったと思います。指導に来られない事も増えてきて、ストレスが溜まってきているのでは?と感じていたそんなある日、木村指導員からメールがありました。
夏から続く体調不良に検査をしたところ、癌であることがわかったと…。
その時は、入院されている病院も伏せてありました。そして、私達の胸だけにとめておいて欲しいと書いてありました。
それが、木村指導員との約束だったので、家族はもちろん、師範にもお伝えしていませんでした。
それは、木村指導員が絶対に治って戻って来ると決意していたことと皆に心配をかけたくないという気持ちがわかっていたからです。その気持ちを何より優先すべきだと考え、お仕事がお忙しい為お休みしていると皆さんにはお伝えしてきました。
本当に治療の難しい癌だった為、良いお知らせも、残念なお知らせもありました。希望をもてた時も、絶望しそうになった時も、いつも受けとめるこちらの事を気遣っているのが痛いほど伝わって来る文面でした。
どんなに痛みがあっても奥様にあたられたり、弱音をはいた事が無かったそうです。個室になってからは、ご家族に囲まれ、病室に笑いがあふれていました。また、ご家族がいない時に伺うとご家族の絆の深さと支えに本当に感謝していると話してくれました。
ユウキが言ってくれたように、初めてお見舞いに行った時と、毎回最後にセンセーとハグをする時だけ、唯一涙を見せてくれていました。
もしかしたら、年内は持たないかもと言われていたのに、こんな人は見たことがないとお医者様が驚くほど回復した時がありました。その前に会った時とは別人のようでした。きっとご家族とお正月を過ごしたかったのではないでしょうか。
年末で道場の神棚のお札を瀬戸神社に納め、新しいお札をいただきに行ったので、年越しは病院だろうから、初詣に行った時に代りにお願いして来るからと絵馬を書いてもらいました。
無事、年越しをご家族と過ごし、お見舞いに行くと、意識が少し混濁しているようでしたが、絵馬の事を一番にお礼を言われました。身体もとてもしんどそうだったので、早々に帰ろうと思っていたのですが、何やらゴゾゴゾと探しています。それはベッドを起こすリモコンでした。センセーの前で横たわっているのが失礼と感じ気になったのだと思います。なんでこんなに大切に思ってもらえるのかと感無量でした。
それは、センセーの事を思ってくれているのと同時に、自分のやってきた空手を大切に思ってくれているからだと思いました。
「もう一度、全日本に先生と一緒に出たかったです。」
「先生と組手がしたいです。」
文庫のみんなと空手を、稽古を、本当にしたかったのだと思います。
そして、それは自分の弱さときちんと向き合って、少しでも強くなって、大切なものを守る為だったのではないかと思います。
木村指導員とのメールが中々出来なくなってから、アユリとラインをするようになりました。マナトとソウマという何よりもの喜びを与えてあげる事が出来た愛娘です。アユリのラインのトップ画面にこの曲がついていました。ラインが来るたびにいつもこの曲を聴かせてもらっていました。
クリス・ハート - 手紙~愛するあなたへ~
木村指導員が戻ってきたかったこの場所をこれからもみんなと守っていきます。
着ていった空手着と持っていったサポーターと文庫Tシャツで先に稽古しててね。
心よりご冥福をお祈りいたします。
押忍