4月です!
新年度の始まりです。
このあたりの桜も満開、陽気は初夏。
バイクで桜並木を走り抜けると、何だか祝福されて晴れがましい気持ちになります。
自分を主役にして映画を撮るなら、ラストシーンかな。
TBSのラジオショッピングでよく買う静岡のお茶が出たので注文しました。
やぶきた煎茶、これ やきぶた煎茶 に似ていません?
いつも やぶきた煎茶 と聞くと やきぶた煎茶 を連想します。
ま、それはどうでも良いのですが、このお茶 三煎目あたりまで美味しいのです。
母がお茶好きなので一日何杯もいれてあげますけど、自分もお茶を飲もうといれるとまだ色が濃くて美味しそうなので母にまわします。
それで私はほぼでがらしの色の薄いお茶を飲んでいます。
食べ物でもこれ美味しいなと思うと自分が食べなければもう一度母に出せるなと考えて、果物はほとんど食べないで母にあげています。
一人だとどうなのでしょうね、たぶん下宿時代を考えるとほとんど買わないかも。
三合炊きの電気釜は持っていましたが、面倒な事はせず、1合半炊いて釜に一丁放り込んで醤油をかけて食べたり、納豆を一パック入れて醤油をかけてそのまま食べたり、玉子を割り入れてし醤油をかけて食べたり、鯖の味噌煮、水煮にの缶詰を1個入れて食べたり、ろくな食生活ではなかったです。
先輩はなめこのびん詰を放り込んで食べるのが好きでした。
おかずがない時はごはんに醤油だけかけて食べたりもしました。
醤油をごはんにするより醤油かけごはんのほうがまだましでした。
きっと食べてくれる人がいないとそういう食生活になるのだろうなと思います。
でも、その頃より今はレトルトパックとか冷凍食品で面倒でないものが多いのできっと買いだめしてそんなものを食べるのでしょうね。
考えてみると子供の頃(小学低学年子頃)は冷蔵庫も無かったし、あまり食材にバリエーションは無かったように思います。
花がつおに醤油をかけて食べたりしていました。
友達はイワシを鍋で煮たものが何日も出ていたなどと言っていました。
父はカレーがあまり好きで無く、手抜き料理と思っていたのでしょうか、必ず生卵を割って入れて食べていました。
伊方にいた時は海のそばでしたのでもちろんですけど、宇和に行っても魚介類は新鮮でおいしかったように思います。
サザエやアワビは沢山食べましたし、カタクチイワシの天ぷらは好物でした。
ハマチの刺身も美味しかったな~。
食べ物の思い出と言えば、友達の家に遊びに行った時、お兄さんが これ、大好物 と言ってバターのような塊を食べていました。
いいな~、と思ったので帰ってからまねをして家にあったマーガリンを齧って、一人で 「これ、好物」 と言って齧ってみましたが、好物にはならんなと思いました。
彼が齧っていたのはチーズだと後で解りました。
その頃までチーズを食べた事が無かったのですね。
あの頃の日本はまだ戦後、貧しかったけど沢山の夢があったように思います。
マイクロソフトのオフィスが古いバージョンだったので、手持ちの新しいバージョンにアップグレイドしました。
画面が変わるので面倒くさいのですよね。
でも変換がおかしかったのが改善されました。