ぶたころの愉快コレクション

近くの国営昭和記念公園の近況、アウトドア活動を中心に愉快を探していきたいと思います。

しばらくは午後の面会(+長男の単独介護日記)の巻

2017年06月15日 05時05分00秒 | 日記



昨日から少しの間母は入院なので午後に面会に行くだけ、いつまでになるか解りませんけどここで少し体制を立て直さねばなりません。

母の部屋も片付けないといけない物が山ほどあり、自分のエリアそっちのけで整理しなければなりません。


今回ケアマネさんの勧めで入院させることになりましたが、肺炎になっているとの事で、ケアマネさんの判断がすごく助かりました。

このまま 家にいたら肺炎がどんどん進んでいたと思われます。

昨日入院したとき、偶然にもケアマネさんに2度も会いました。

感謝!


昨日午後に補聴器などを届けに行きましたが、意識レベルは朦朧としている感じ、気力をなくしているなと思います。

病は気からとは良く言ったもので本人が頑張る気持ちをなくしたらどんどん落ちていきます。


でも自然にそういう状態と言うのは無理な看護をして苦しむより苦痛は無いとか。

希望は健康状態を取り戻してまた帰ってきてくれることなのですけど、92歳、おばあちゃんが亡くなった年齢です。


長寿の意味、延命でただ生きさせられていると言うのは本人も(解らなくても)苦痛だと思います。

長生きの質、考えさせられます。





今朝自分の血圧を測ったら高めでした。

介護ストレスでお酒の量がすごく増えていたのでそのせいだと思われます。

母が入院している間いつ電話が入るか解らないのでお酒はやめるか少量(日本酒換算1合程度)にしなければならないなと思っています。


昨夜は母のいない夜の始まり、自分のベッドで寝ました。

習慣で0時ころ一度目が覚めましたが(母の介護でオムツにしてからもちゃんと布団を掛けているか点検する時間でした)4時まで寝ました。


4時に起きてゆっくり家事をしていつもより1時間程度早く終わりました。


今日も午後面会に行こうと思っています。


昨日は入院のための検査がたくさんあったので疲れたのか、意識レベルがかなり下がって、声も出さない状態で呼びかけるとうっすらと目を開けて右手を少し動かす程度でしたので心配です。

でも母も92歳、高齢で肺炎になると急変も覚悟しなければなりません。


母の布団カバーやシーツ類をすべて洗濯して布団などを畳んで一緒にベッドの上に整理しました。

2か月後退院して帰ってきたら、その前に介護用のベッドに替えるのでもうこのベッドで寝ることは無いのだなと思うと複雑な気持ちでした。


2か月後帰ってくる間、私も久しぶりの一人暮らし、母が亡くなったらこの状態になるわけで、いきなり家で急変してしまうよりこの2か月間は一種の覚悟と言うかその後の生活の見通しを立てる時間にもなるなと思います。

うまく回復してくれて少しADLが上がってくれたらたぶんケアプランは見直しになると思います。

過ぎてしまえば2か月間はあっという間ですが。

コメント (2)
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