ぶたころの愉快コレクション

近くの国営昭和記念公園の近況、アウトドア活動を中心に愉快を探していきたいと思います。

私の生活で介護は(+長男の単独介護日記)の巻

2017年06月22日 05時05分00秒 | 日記


私の生活で介護は大きな部分を占めていたことが解ります。


急な病気やけがで介護に入る場合はいつからと言えるでしょうけど、母のようにフェイドインの場合、どこから介護と言えるのかなと思います。


父が74歳で亡くなって母を引き取ってから外回りの銀行や郵便局、買い物は母が担当してくれ、食事は私が作っていました。

昼に私がいない場合お昼はお弁当を作って食べてもらっていました。

私は料理は嫌いではないので、このあたりは作業分担で介護とは言えません。


カートを使うようになってからもスーパーでカートいっぱい買い物をしてくれました。

買い物は好きでした。


この頃も介護と言う意識はありませんでした。



最初は折りたたんで車のトランクに入れるコンパクトな車いすを買いました。
これはお墓詣りに行くときに使っていました。

また、この頃今の車いす(普通のタイプ)を買って長距離歩く公園の散歩などでは使っていたと思います。



次第にカートも押せなくなり、出かけるのは車いすになりました。

今入院している病院にお世話になっていましたが、次第に付き添わなければならなくなってきました。

二駅離れた眼科には通えなくなりました。


Pトイレを用意し(今は肘掛付ですが最初は肘掛なしでした)ベッドに手すりをつけてだんだん寝ている事が多くなりました。

この頃急に衰えたように思います。


だんだん私一人での介護がきつくなり、介護保険を考えるようになり、手続きをして利用し始めたのが一昨年(平成27年10月)です。


その前にベッドからずり落ちて起きられず 隣のおくさ~ん助けて~ などと騒いだことが3回程度あります。


この半年前あたりから認知が急に進んだと思います。

たぶん介護と言われる状態はその1年前くらいからではないかと思います。



母をかかりつけの内科に連れて行ったときかかりつけの内科医から 医療と介護は違う、介護に関して早めに手続きをしたほうが良い、ここで説明していたらいくら時間があっても足りない などと言われました。

その後介護保険のケアプランでその内科医さんの担当日には行けなくなり今の先生に代わってもらいました。






色々調べて地域包括センターに相談に行き、介護保険の利用が始まりました。


介護保険の利用に関しては解りにくいです。


まず地域包括センターに行き、介護認定を受け(2週間程度先)ケアマネさんの事業者を選定し契約、それからケアプランを作ってもらい各事業者さんと契約。

実際に介護保険のサービスを受けるまで地域包括センターに行ってから約2か月ほどかかります。



ヘルパーさんやPT(理学療法士)さんが入って利用前より少し認知のレベルが下がったように思います。



食べものは良く食べていましたので褥瘡も無く、入浴介助やリハビリを受けて、誰が来たかも認識していました。


前のケアマネさんも良くやっていただきましたが、今月からケアマネさんが交代し、この方もとても親切です。





次第にではあるのですけど意識レベルが低下し、Pトイレの蓋を開ける事も出来なくなったので声や気配でわかるようにと、数か月前から母の様子が解る隣の部屋(DK)で寝るようにしました。

Pトイレの蓋をあけると二階の私の部屋と台所でチャイムが鳴るようにしてあるのです。


このあたりからADLはすっかり落ちたと思います。

風邪前くらいからPトイレの蓋を開けることが出来なくなり、オムツにしました。



内科受診で病院に連れて行ったとき、咳をしていた人が近くにいて、数日後母と私は風邪をひいてしまいました。


熱はすぐ落ちましたが咳が残りました。


風邪の前にもずいぶん落ちてきたなと感じていましたが、どうも風邪でない咳だなと感じ、毎朝測っているバイタルで血中酸素飽和度が下がっているのが気になり、そういう時、私の介護疲れも心配してくれたケアマネさんの配慮で ※地域包括ケアで2か月間 の入院を勧められ今回の入院となったのです。

※地域包括ケア病棟は最長2か月の入院で、本人の為だけでなく、介護者も少し休めるように配慮されていて、リハビリなどをして在宅に戻すためリハビリも組まれています。



入院前の検査で肺炎であることが解りました。


風邪以来口から食べると吐いてしまう状態が続いていたので、たぶん入院しなかったら手遅れになっていたと思います。

今は点滴をしています。

昨日行ったらリハビリ担当の方が後ろから支えてベッドに座っていました。


二日ほど前、夢を見たのか 笑ってる とか 喜んでいる などと言っていましたが、私の顔を見てもはっきりしません。



口からはほとんど食べられていないと思います。


人は終末期になると食べものを食べられなくなります。

それは自然の事で、意識レベルも落ちて苦痛も無くなるのだそうです。


どういう終末期が本人にとって幸せなのか考えさせられます。


今、母は点滴で栄養を摂っています。

点滴も延命措置に入るかも知れませんが、家族にとって覚悟する時間も大事だと思います。


介護は介護される人とともに介護する人の問題でもあります。







20年ちょっと前、身内が入院したときは2週間食事がとれませんでした。


人は誰でも何度かそういう経験をするのでしょうけど身内の入院はストレスになります。

回復がはっきりしている場合はそうでもなく、むしろ元気に退院してくると不死身になったように感じますが、重い病気だったり、高齢の場合は家にいても気がかりで胸がふさがる気持ちがして食欲が無くなります。


kumasanさんが10キロ痩せたのすごく解ります。

冷蔵庫などの食品を整理しています。

母に作らないとあまり在庫はいらないものですね、入院で1週間たちました。


口から食べ物を食べられるようになり、Pトイレが使えるようになったら退院と言う目標を立てていますが、今の状態を見るとどうなりますか。


入院の区分で最長2か月との事なので退院してきたらベッドを介護ベッドに替えたり、昼夜を問わず数時間おき(2~3時間おき)の体位交換、オムツ交換が待っています。

たぶん私は以前より睡眠不足になるのかなと思います。

そうなったら仕事は少し無理かも。

ま、まだ先なので解りませんけど。
コメント
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