( 写真は昔のものです )
町内の祭りが終わり、高校野球が終わり、24時間テレビが終わり、まだですけど鳥人間コンテストが終わると、夏が終わったなと思います。
今までは多少暑くても公園のウォーキングをしていましたけど、今年の猛暑は こりゃあ危険だな と思いました。
いつまでも若いつもりで自信を持っているのと、老いを自覚するのはでは老いを自覚するほうが安全なのではないかと思います。
遭難の本を何冊も読み、高齢で道迷いになる人が多くなっているなと思いました。
やはり高齢になったら単独行は避けるべきだと思います。
自分は単独行が好きだ、ではすまされない多くの人に迷惑をかけ、場合にっては二重遭難の危険にさらしてしまう場合もあります。
誰でも遭難しようと思って遭難するわけでは無く、え!自分が です。
滑落でも明らかに危険なとところではおきません。
下山中間もなく林道に出るとかちょっとした油断、危険を意識していないときに起こります。
私は下山に入るとき、仲間に必ず油断しないように注意しますし、里が近くなって転落や滑落の危険がある個所でも声をかけます。
遭難の記録を見てもあと少しで林道なのに、とか里のすぐそばなのにと言う例も多いです。
道迷いに関してはいつも正確な現在地を確保する事、その為にはコンパスに慣れて読図能力をつける必要があります。
あくまでも携帯アプリとかGPSはその補助。
携帯電話の携帯は必須ですけど、谷筋など圏外になる場所も多く、また補助電源も必須です。
遭難の記録を見ても電源が切れてしまう例が多いです。
高い有名な山に登る体力に自信が無くなり、低山、里山に降りてくる高齢者はますます多くなると思います、
そういう低山こそ里道や作業道など多く、道標が完備されていなかったり見にくいところが多いです。
私は若いころ近郊の奥武蔵には行っていませんでした。
低山部仲間と奥武蔵に通い出して これは道に迷いやすいなと思いました。
道標も完備されているとは言えず、あちまちの形態だし、分岐が多い。
そういう道での注意点
道標を見逃さない、道標の無い分岐では先で一緒になる場合が多いが、良く踏まれているほうを選ぶ、木が道を遮っていたら入ってはいけないと言うしるしの場合が多い、など里が近いと言っても注意が必要です。
樹林帯でも滑落したらそうとう落ちる場所も珍しくありません。
低山、里山だと言っても危険は同じなのです。
道のないところを藪漕ぎなどで歩いてみれば解かりますけど、里に近くてお遭難するなと実感します。
踏み跡程度でも道のありがたさが解かります。
( 追記 )
「 ニャンの飼い猫暮らし 」
ニャンはいつものように早朝帰って来て休んでいます。
この週末は24時間テレビを観ていたので零戦の組み立ては出来ませんでした。
今年はわずかですけどネットから寄付しました。
今までやっている人たちが良い盤盛り上がっていると思って観ていましたが、一つ一つのお話が重く感動的、感動を作っているのですね。
障害を持っている人の話が多いのですけど、障害って本人にとっては普通の事で、どこに普通の基準を置くのかで変わるなと思いました。
例えば聴覚障害の方は手話でコミュニケーションが取れるのでたとえば騒音などで会話が出来ないところとか、ガラスを隔てて聞こえない場合でも大丈夫ですけど、そういうところでは普通に会話している人のほうが不便ですよね。
視覚に障害のある方は暗闇でも本が読めたり、不便を感じない人も多いはず。
障害 とは普通(健常)の基準をどこに置いているのかで違うなと思いました。
障害は個性と言いますけど、私も膝が弱くなっているし、目も左目は白内障の手術をしたし、右目もかなり弱くなってきています。
若いころ支障が無くても歳と共に不具合が増えて行きます。
金子さんの詩のように みんな違ってみんな良い だよねと思いました。
町内の祭りが終わり、高校野球が終わり、24時間テレビが終わり、まだですけど鳥人間コンテストが終わると、夏が終わったなと思います。
今までは多少暑くても公園のウォーキングをしていましたけど、今年の猛暑は こりゃあ危険だな と思いました。
いつまでも若いつもりで自信を持っているのと、老いを自覚するのはでは老いを自覚するほうが安全なのではないかと思います。
遭難の本を何冊も読み、高齢で道迷いになる人が多くなっているなと思いました。
やはり高齢になったら単独行は避けるべきだと思います。
自分は単独行が好きだ、ではすまされない多くの人に迷惑をかけ、場合にっては二重遭難の危険にさらしてしまう場合もあります。
誰でも遭難しようと思って遭難するわけでは無く、え!自分が です。
滑落でも明らかに危険なとところではおきません。
下山中間もなく林道に出るとかちょっとした油断、危険を意識していないときに起こります。
私は下山に入るとき、仲間に必ず油断しないように注意しますし、里が近くなって転落や滑落の危険がある個所でも声をかけます。
遭難の記録を見てもあと少しで林道なのに、とか里のすぐそばなのにと言う例も多いです。
道迷いに関してはいつも正確な現在地を確保する事、その為にはコンパスに慣れて読図能力をつける必要があります。
あくまでも携帯アプリとかGPSはその補助。
携帯電話の携帯は必須ですけど、谷筋など圏外になる場所も多く、また補助電源も必須です。
遭難の記録を見ても電源が切れてしまう例が多いです。
高い有名な山に登る体力に自信が無くなり、低山、里山に降りてくる高齢者はますます多くなると思います、
そういう低山こそ里道や作業道など多く、道標が完備されていなかったり見にくいところが多いです。
私は若いころ近郊の奥武蔵には行っていませんでした。
低山部仲間と奥武蔵に通い出して これは道に迷いやすいなと思いました。
道標も完備されているとは言えず、あちまちの形態だし、分岐が多い。
そういう道での注意点
道標を見逃さない、道標の無い分岐では先で一緒になる場合が多いが、良く踏まれているほうを選ぶ、木が道を遮っていたら入ってはいけないと言うしるしの場合が多い、など里が近いと言っても注意が必要です。
樹林帯でも滑落したらそうとう落ちる場所も珍しくありません。
低山、里山だと言っても危険は同じなのです。
道のないところを藪漕ぎなどで歩いてみれば解かりますけど、里に近くてお遭難するなと実感します。
踏み跡程度でも道のありがたさが解かります。
( 追記 )
「 ニャンの飼い猫暮らし 」
ニャンはいつものように早朝帰って来て休んでいます。
この週末は24時間テレビを観ていたので零戦の組み立ては出来ませんでした。
今年はわずかですけどネットから寄付しました。
今までやっている人たちが良い盤盛り上がっていると思って観ていましたが、一つ一つのお話が重く感動的、感動を作っているのですね。
障害を持っている人の話が多いのですけど、障害って本人にとっては普通の事で、どこに普通の基準を置くのかで変わるなと思いました。
例えば聴覚障害の方は手話でコミュニケーションが取れるのでたとえば騒音などで会話が出来ないところとか、ガラスを隔てて聞こえない場合でも大丈夫ですけど、そういうところでは普通に会話している人のほうが不便ですよね。
視覚に障害のある方は暗闇でも本が読めたり、不便を感じない人も多いはず。
障害 とは普通(健常)の基準をどこに置いているのかで違うなと思いました。
障害は個性と言いますけど、私も膝が弱くなっているし、目も左目は白内障の手術をしたし、右目もかなり弱くなってきています。
若いころ支障が無くても歳と共に不具合が増えて行きます。
金子さんの詩のように みんな違ってみんな良い だよねと思いました。