昨日は午前中曇りでしたが今日は晴れの予報です。
いつもと言っても5年ごとですが、免許更新には国営昭和記念公園の東側なので通り抜けで行きます。
昨日は月曜日なので混んでいるかなと思ったのと曇ったので国営昭和記念公園抜けも楽しくないかもと言う事ですが、やはり視力検査が駄目で更新できなかった事を考えると怖かったと言う事です。
最近、食欲が無く気が付くとほとんど食べていない日があります。
でもお腹は空いていないのです。
気がかりな事が幾つかあると食欲が無くなり、何を食べても美味しくないと言う状態になるのですね。
ラジオ深夜便の絶望名言で金子みすずさんを扱っていました。
金子さんは好きな詩人ですべての作品を持っています。
放送を聞いて 楽しさ、嬉しさ の中に潜む 悲しさ、空しさ を描いている作品が多いなと改めて感じました。
金子さんは若くして亡くなりましたけど、逆に 悲しさ、空しさの中に楽しさ、嬉しさを見つける性格だったらどうだったのでしょう。
大漁 も 人間たちがイワシの大漁を祝っている時、視点を変えてイワシたちは海の中で仲間のお弔いをしているだろうと言う内容ですね。
確かに、喜びの中の悲しみを見るより、悲しみの中に喜びを見つけるほうが難しい。
今、母が亡くなり、息子も地方に行っていて独居、実に孤独です。
この孤独の中に喜びを見つける・・・・・難しい。
仕事も少なくなっているし、高齢になっているので体の衰えも感じます。
このまま体調を崩して倒れても他の人に迷惑をかけるだけ。
介護が必要になった人を抱える小説などを見ても、早く死んでくれないかな と思う記載も見られます。
私が母を介護している時は 1日でも長く生きていてほしい と思って、早く亡くなってくれたらとは全く思ったことはありませんでした。
宅配便で顔見知りの人も同じようにお母さんを看取った人で介護中良く話をしましたが、寝たきりでも生きていてくれた方が良いと言っていましたがまさに同感でした。
今、一人になり体調が急変したら、同居の人でもタイミングでそうでしょうけどそれで終わり。
その時は2階の自分の部屋でなく、玄関にまっすぐ出せる台所か廊下が良いなと思っています。
でも、解かりませんね、自分の最後など。
「 ニャン 」
朝、下に降りるとニャンの部屋にしている台所の入口で迎えてくれます。
足にまとわりついて ニャン、ニャン とあいさつしてくれます。
おはよう と応えて首回りを撫でてあげます。
ありがとう、いてくれて。
外猫生活だったのに縁で一緒に暮らすようになったニャン。
そういう運命だったんだね。
安心しきってニャンの椅子の上で寝ている姿に癒されています。
by ぶたころ
まだちゃんとした詩を書くことが出来ません。
短歌
この後は 介護をさせる 身となれり 重荷とならず 去っていくには
母が良く なってみにゃけりゃ 解からんと なって身にしむ 歳になりけり
by ぶたころ