ぶたころの愉快コレクション

近くの国営昭和記念公園の近況、アウトドア活動を中心に愉快を探していきたいと思います。

超高齢社会と言う戦場( & ニャンと独居お荷物老人 ) の巻

2019年10月20日 05時05分00秒 | 日記
( 写真は昔のものです そろそろ丘の偵察にいかねば )


漂流する高齢者を扱った本を読んでいて、まさに他人事(ひとごと)では無いと思います。

入院して行きどころが無くなり色んな施設を転々と漂流する、受け入れてくれる施設が無く、生活保護を受け低価格の宿泊所で過ごす、高齢者。

低額の年金で入ることが出来る施設が無い、それで生活保護を受けてぎりぎりの金額の施設に入所できる場合はまだ良いほう。


認知症でホームレスになってしまった人たち。

確かに独居で認知症になり帰る道が解らなくなったらみんな無関心なので人の事には無関心なのでそのままホームレスです。


これらの事は誰にでも起こりうること。

中に 奥さんが先立って息子と暮らしていたが息子が脳梗塞で入院、嫁に行った娘は嫁ぎ先で義理の親の介護に加えて自分もガンのになり治療中、結局その方は生活保護を受けてNPOが営む3帖の住まいで暮らしている。

宿泊所の職員にサポートされ気になっていた奥さんの墓参りに行き、直後に体調を崩されて入院、墓参りから2週間後に亡くなると言うのがありました。


独居のお母さんの面倒が見られないので施設を探してもらって入居、お母さんは早く帰りたい、と言うのを振り切って帰る娘さんの心境。


おそらく家族と暮らしていて介護できなくなり、施設に送って帰る人はみんな同じだと思います。

無くなった時はとても大きな後悔が残ることでしょう。


切実に自分の老後を考えるのはだんだん体力が無くなってくる頃だと思います。

早めに考えておくのが良いと言っても生活がどう変化していくのかはわかりません。

色々なケースを考えてもそうなるとは限りません。


母の介護をしているとき、介護は特攻隊だなと思いました。

やり遂げると言う事は亡くなることで、それに専念していた介護者はやっと終わったとは思えません。

一気に虚無感に襲われます。


一人の老後はいつ、どんな状態で命を落とすかわからない戦場だと思います。


「 親族に迷惑をかけたくない 」

大抵の人はそう思っています。

でもこれは一人暮らしの高齢者にとっては仕方がない事なのかも知れません。


死んだ後で自分の始末は出来ませんから。

先日の会議で別れ際に仲間に言った言葉、


「 死んだら今までありがとう 生きていたらまた 」







昨日も早めに寝ました。

4時台のラジオを少し聞いて起きようかと思いましたが、2階にニャンが迎えに来たので4時に降りて家事を始めました。


毎日の朝の家事


トイレに行ってタオルを替えます。

台所のタオルも替えます。

洗濯機に洗濯物を入れてスイッチオン。


お湯を沸かします。

平日ですとその日のごみを出し、道路の掃除もします。


ニャンの水をかえてカリカリと煮干しを足します。

お湯が沸いたら仏壇にお茶とお水をあげます。

窓の内側のブランコをセットして今日のぬいぐるみを選んで飾ります。


紫苑さんに水をあげまず。


玄関下駄箱の上のパキラ(観葉植物で、天井までついて玄関の上を飾ってくれています)に水をあげてお香を焚きます。

鉢の水で受け皿に落ちた余分な水を吸い取って捨てます。


洗濯物を干します。

今日は天気がパッとしないので洗面所に除湿器を衣類乾燥モードにして干しました。

昼前にはカラッと乾いています。

晴れていたら外に干します。


朝食を作って食べます。


これが毎朝の日課です。







来月の低山部に間に合わないと困るので肉を1.2キロ発注。

参加者が少なかったり、天候のせいで出来ないと私が数度に分けて一人すき焼きになります。

冷凍肉で1か月は賞味期間があるので大丈夫なのですが、一人で何度もやるのはきついな。


コメント
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