やっちゃんの叫び

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「ウソをつくな」=薩摩「郷中教育」、福沢諭吉[心訓]、中国「小学生守則」=教育勅語と比較

2017-03-25 22:51:33 | 子供教育・うそ、いじめ、ならぬ

ウソをつくな!          


 鹿児島市のほぼ中央にある山下小学校の校区は「維新のふるさと」といわれ、西郷隆盛や大久保利通、東郷平八郎など多くの偉人を輩出した町として知られている。

 背景には先輩が後輩を指導する薩摩独特の教育システム「郷中教育」がある。

現在でも山下小の校訓は郷中教育そのままの教えである「負けるな」「うそを言うな」「弱い者をいじめるな」で、全校朝会などで唱和し、学級スローガンなどでも掲げられる。子供たちの生活に則した「山下の十訓」もある。

 おにぎりだけを持った4年生から6年生が体力が弱い子供を励ましたり、助けたりして、鹿児島市から日置市を目指して約22キロを歩き通す。午前6時に出発、ほとんどが正午前に到着する。

 毎週日曜には午前7時から、「日曜城山登山」が行われ、全校児童の3分の2に当たる約200人や町内会、保護者らが参加。約15~30分ほどかけ、城山に到着、ラジオ体操の後、今月の歌や校歌を歌い、継続することでたくましい心身をつくるという。
                   「msn産経ニュース」2012.6.30 より

 

「篤姫」のルーツ、鹿児島県出水の「出水兵児修養掟」

士ハ節義を嗜(たしな)み申すべく候。      
節義の嗜みと申すものは口に偽りを  
言わず・・・
 兵児とは、青少年のことで、数え年六~七歳から十四歳の八月までを「兵児山」(へこやま)と呼び・・・。(解説より)


大分県中津市

 修身:戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ) は国史・地理と並んで修身を軍国主義教育とみなし、授業を停止する覚書きを出した。
モラルサイヤンス(moral science)を修身論と翻訳したのは福澤諭吉・小幡篤次郎などの慶應義塾関係者である。


中華人民共和国<小学生守則>

1 身体が強く、学科の成績が良く、品行が良い一人の立派な生徒になるようにつとめること。祖国の為、人民の為に服務するよう準備をすること。(修学)(知能)(義勇)
 国旗を尊敬し、人民領地を尊敬すること
3 校長教師の教導に従い、自分の学校、クラスの名誉を守ること。

(略)

14 父母を尊敬し、兄弟姉妹を愛護し、自分で出来ることは自分でして、父母の手助けをすること。(孝行)(友愛)
15 老人を尊敬すること。老人、子供、病人、身体の不自由な人に対しては道を譲り、  座を譲り、出来る限りの援助をすること。(博愛)
16 他人に対しては礼儀正しくしなければならない。人を罵らないこと。公共の場では騒がしくしないこと。他人の仕事、学習と睡眠を邪魔しないこと。

17 うそをいわないこと人をあざむかないこと。賭博をしないこと。他人の持ち物をひそかに私ししないこと。自分や他人に有害なことをやらないこと。
18 公共、財産を愛護すること。椅子、机、門、窓、垣壁、地面その他のものを壊したり、汚したりしないこと。

(略)

*教育勅語にあって、小学生守則にない徳目
→「夫婦相和」 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう  
→「謙遜」(けんそん)自分の言動をつつしみましょう 

*小学守則にあって、教育勅語にない項目 
→2 国旗を尊敬し、人民領地を尊敬すること 
→17 うそをいわないこと。人をあざむかないこと。賭博をしないこと。他人の持ち物をひそかに私ししないこと。自分や他人に有害なことをやらないこと。

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私の記憶では、五歳の時、母親から先ず「うそをついては いけません。」と言われた。

『山下小学校』校訓の
   「まけるな」
  「うそを言うな」 
   「弱いものをいじめるな」 

・・・いづれも、幼児学童に対する命令である。


 このことは、「押し付け」か? 「刷り込み」か? 日教組に訊いてみたい。


 また、「教育勅語」を忌避する人には、中国の「小学生守則」を勧めたい。 

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追加)数年前、NHK大河ドラマの『八重の桜』があった。白虎隊で有名な会津藩の一女性の物語である。

その会津藩での教育とは・・・

『会津藩校 日新館 什のおきて』
 一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
 二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
 三、虚言を言ふ事はなりませぬ
 四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
 五、弱い者をいぢめてはなりませぬ 
 六、戸外で物を食べてはなりませぬ
 七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
 ならぬことはならぬものです

最後の「ならぬことはならぬ」は、流行語にもなったが、いじめ問題でも、この『什のおきて』は全国的に注目された。

今、いじめ問題対策費として、政府は何100億円もの税金を投入している。また、教師やNPO等が大変な労力を払っている。また、昔と比べると、子供の数が減少しているのだから、いじめ発生件数は減少するのが自然だと思うのだが、いっこうに減らない。しかも悪質化している。何故か? それは対策自体ががおかしいからではないか。

 テレビや新聞などでその対策を見聞きして思うのだが、番組の時間や紙面のほとんどが「いじめられた側に対する」対策である。逆にいじめる側=「いじめを発生させない」ためには、何が必要かという発言や議論がほとんどない。これでは、いじめが減るはずもない。

いじめ対策にかかわる人たちの働き口作りという裏の目的があるのではないか、と勘ぐりたくなる。