自分が、一方的にヨガを「教える」立場とは思っていなかったのですが、
前に立つ以上何々でなければいけない、何々なのは主催者としておかしい、と、そんな考えはつよくあったような気がします。
この会を立ち上げたときを振り返ると、ずいぶん力づくだったなぁ、とよくみなさん付いてきてくれたなぁ、と思うのです。
15年前より、さらに5年遡ります。
初めての会場は、JR蒲田駅の操車場の見下ろせる区の会館でした。
呼びかけたのは、昔の仕事仲間だったので、余計に気張っていたのだと思います。
何度か会場を変え、来てくださるメンバーも変わり、今に至っています。
ひとで困ったことはありません。
強いていえば、きれいな会場なのに早く来て掃除機をかけてくださる方がいて、
その方が掃除をしてくださっているとほとんどの方が知らないでいたのですが、
その方の紹介でいらしていた方が、みなさんの前で、
「いつもごめんなさいね、あなたにばかりお掃除していただいて」
とこさとら言われ、
ん?わたしたちもしなくちゃいけないの、
という雰囲気が漂ったときです。
勝手に早く来て、勝手に掃除している、そうも言えるのですが、そうはいえません。
結局その方より早くわたしが行って、私が掃除をすることにして、メンバーの方にはしないでいただくことにし、ときとしてその方と掃除機の取り合いのような場面があったりしましたが、
ホンネをいえば、その方だって自分でやりたくなかったようです。
話がそれましたが、
私がどれほどこのヨガに支えられてきたのか、と思うこのごろです。
私が支えられてきた、ということは支えてきた、ということでもあると思います。
ゼロサムではありません。
私が支えたことにより支えられ、支えていただいたことによって支えたのです。
今日も、私の腰は左右の差があり、三角のポーズの平行移動ができず、
ドッグ・ポーズも一度だけ試みましたが、腰の一部に痛みが走ったので、コブラは思い切ってしませんでした。
早く、自由に動きたいです。
今は、腰がパニックになった去年の夏の後遺症を、これ以上こじらせないように配慮することが必要だと思っています。