「コンセンサスのとれないこと」・・説明のつかない、だれかを納得させることなんてできない、ということのなかに重要なメッセージがこめられている、などというとなにかヤバい感じがするでしょうか。
なんとなく気が進まない、なんとなくやりたくない、と身体が感じるとき、私はむりをしてきました。
「なぜ、どうして?」と自分を質問ぜめにして、意思の決定に従わせようとするのです。
なんだかつかれたな〜と感じても、なぜ、どうして?こんなことぐらいでつかれてどうする、あんたべつにつかれるようなことしてはらへんやん、と奮起させようとするのです。
そういうことを繰り返していくと自分の真の感覚というものが失われて、不信感だらけになってしまいます。
ヨガはなんとなくきもちのよいもの、なんとなくやりたくなるもの、だと思うのです。
やれ、どこどこに効く、このポーズはどういう効果が期待できる、そういうものではないと思います。
世の中、コンセンサスの取れる科学的に証明できるものなど、ほんのわずかです。
自分を信じて、というより当たり前を疑ってみようではありませんか。