ここしばらく、昼に外出する用事があったり(どうせ歩くから)、雨が続いていることもあり、朝歩いていないので、なんとなく調子が良くない今日この頃(実際は、まだ保険証が来ないので病院に行けず、睡眠薬が切れてしまって寝不足気味)
今日も昼に出かける用事があったのですが、その帰り道、
何かとイベントっ気の多い、養源寺を通りかかったところ
(昨年の夏は、盆踊りの櫓が組まれていましたし、正月の池上七福神巡りで獅子舞を呼んだり、紫陽花まつりで移動動物園を呼んだりと)
パンフレットが置いてあったので手に取ると、
やるな〜。
自分は買わないけどね。
それより、目をひいいたのが、蓮。
(蓮の実にピントが合っていなくて、ちょっとピンボケですが)
ハノイにいた頃、市内の西湖や郊外の工業団地の外周とかに、たくさんの蓮を見ました。
蓮茶はもちろん有名ですが、社員がよく「社長の好物だから」と蓮の実を買ってきてくれました。
白い、しっとりした、あっさりした味の実で、仕事中につまんでもいいのですが、
持って帰って、ビールのお供にも良かったな〜
ちょっとセンチに思い出しました。。。
さて、おおた区民大学「健康維持に役立つ食の知識」の第3回(最終回)「食の国際化について〜世界の国々の食文化への理解と食の安全について」のレポート中編です。
前編のポイントは、
- 佐伯栄養専門学校の卒業生=栄養士だったので、卒業生は無試験で栄養士資格が得られる。
- 日本は綺麗な水の土壌で、農耕を営み、たんぱく質は主に大豆から摂っていたため、大豆の食術が発達した。しかし、食料自給率が低い現代、海外からの食料輸入と同時に、食文化(肉食)も入ってきている。しかし、よく考えずに取り入れると、それは日本の風土に合わず危険である。
- 地形上ヨーロッパの自然水は硬水が多く、適した使い方はあるが、飲料水としては不適当であったことが、ワイン文化のひとつの背景である。
国には国の食文化があって、基本は水なので、日本を語るとき、硬水、ワイン文化のヨーロッパを比較するとわかりやすいからと、
ヨーロッパの硬水、続いて、ワイン文化の背景の説明がありましたが、
でも、それで1時間使いましたからね。
本人も言っていましたが、対比先の方が説明のボリュームが多い。
去年も同じような講座を開いたらしいのですが、質問がワインに関してばかりだったので、こういう構成にしたそうです。
休憩時間や最後のQAもワインに関することばかりでしたし。
講座のテーマは、それじゃないんですけど(苦)
まあ、ワイン好きな人は、いろいろ喋りたい、語りたい人が多いですからね。。。
さてさて、ワイン文化の背景です。ん?と思う内容も多かったのですが、、、
フランスに残るローマ水道の水道橋、ポン・デュ・ガールの写真を映して、
- 川の水は汚染されている、感染者が出る。古代ローマでは安全な水を求めて、ここまでやらねばならなかった。
- 古代ローマのトイレは水洗式だが、そのまま川に流すので、コレラ、赤痢が発生する。
なので、ワインで飲むしかなかった、言い切るのとのはどうなのかな?
ワインの樽とか瓶とか洗う水はどうだったのかな?
フランスのアンリ2世に嫁いだフィレンツエ、メディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスを映して、
- 輿入れの時、たくさんの料理人を引き連れて行ったので、フランスの食文化が、当時最先端のイタリア風になった。アイスクリームもその時フランスに伝わった。
- 食べ物をナイフで刺して食べていたのを、カトラリー(ナイフ、スプーン、フォーク)で食べる、テーブルマナーも伝わった。
- ヒ素を使う毒殺が流行っていた。白い砂糖に混ぜると分からなくなるの。銀のスプーンを使うと、黒く変色するので分かる。センサー代わりになった。
- ワインは金属のゴブレットで飲んだ。グラスを使うのは近年。
それでワインが広まった、と言われましたが、このくだり、ワイン関係ないのでは。。。
- カトリーヌが嫁いだ時、アンリ2世には、すでにポワチエという愛人がいて、城まで作ってあげていた(城の写真を映して「自慢していいですか、これ撮ったの私です」って、何の自慢?以降、ちょいちょい自分が撮影したと言うのですが、、、)。
- 毒殺しようとしても、ガードが固くて、そうしているうちにアンリ2世が落馬で死んで・・・
っても、もうワイン関係ないな。
- 水は危険なので、ワインを。テーブルでワインを開ける。
そこですか。毒殺されないためにワイン、につながるのか。しかし、それもどうかな。。。
話は飛んで、イギリスの産業革命です。
- 1770年から1826年の産業革命は、ジェームスワットが蒸気を使うことを発明したのが原点のエネルギー革命。
- イギリスでは地主が小作人を使って、農作物を収穫していたが、羊を飼った方がお金になると、小作人を解雇した。解雇された小作人は仕方がないので、安い賃金で紡績工場で働くしかなかった。
- (小作人が住んでいる部屋の絵に”おまる”というか瓶が描かれているのを映して)問題は、トイレがないので、”おまる”にして、外に投げ捨てていた。(その写真は、WEBで見つかりませんでした)
- 糞尿は、石畳からテムズ川に流れ込み、川が汚染されていた。
- (当時のロンドンの異常な衛生状態を描いた絵を映して)川の水が飲めないので、ジンを飲んでいた。
つまり、川の異常な汚染がワインの背景。えっ?ジンを飲んでいたのは?どこからワインが?
話は、フランスに戻ったものの、
- (自分が撮ったという写真を見せて)ナポレオン3世がパリに下水道を作った。その当時から観光名所。自分も行ったが、3日間臭いが取れない。スリが寄ってこなかった。
- 新約聖書にワインが出てくる。
- ルーブル美術館で一番大きな絵画「カナの婚礼」で、絵画の右下、壺に水を入れたら、ワインが出てきたのがキリスト最初の奇跡。
- 「最後の晩餐」にもワイングラスが描かれている。この聖杯は所在不明で、それを手にしたら世界が手に入ると、歴史家が探しに行くのが、インディージョーンズ。
- キリストが、ワインを私の血と思って飲めと言った。
続いては、なんだか自分で撮影した写真で綴る、フランスのワイン産地の旅行記みたいな感じなのですが、、、
- ワイン葡萄は、教会の敷地で栽培されていた。
- 第二次世界大戦中、アメリカからフィロキセラという害虫が持ち込まれ、大打撃を被った。意図的に持ち込んだと言われる。
- ワイン畑の隣に小麦畑を作った(食いつないだ?)
ベトナムの枯葉剤のような意図かな?ドイツ軍が水の代わりにワインを飲めないように?
- アメリカでフィロキセラに強い、フランス原産の品種が作られて、フランスの葡萄畑が復活。
- 最高なのは、南傾斜地のブルゴーニュ地方、ロマネコンティ。
- ちょっと落ちるが、ボルドーのボージョレーヌーボー。
- シャンパーニュ地方の、炭酸の入ったものをシャンパンと呼ぶが、ナンシーはガラス細工で有名。ガレ、ラリック、ティファニー(当時は、ステンドグラス)。圧力をかけても割れない瓶を作ることができた。
- ボーヌのオテル・デューは葡萄で潤ったので、世界初の病院を作った。
- シャンパンは、樽ではなく、瓶で熟成(斜めに立てかけた板に穴を開けて、口を下に、斜めに差し込んで保存している写真)
- 7月に小さなメゾンが集まって、シャンパン祭りを開催するので是非。
- シャンパンに合う、パリのショコラティエ、ドゥボーヴ・エ・ガレ。日本にないと思っていたら、今度出店するんですよ。
ここで、ヨーロッパにワインが広まった背景のお話はおしまいです。
個別にも興味深いネタでしたが、背景にしては、風が吹けば桶屋が儲かる的な(苦)
それでも、ヨーロッパはワインを選択したが、日本は水がよかったので日本酒。
スコットランドはいい軟水なのでモルトをとっていいウイスキーを作った、と。
まとめると、
古代から中世にかけて、ヨーロッパは水(川)の衛生状態が悪かったので、ワインを作って飲むようになった。(と言い切るには疑問が残るが)
フランスの地形はワイン葡萄を栽培するのに適していたことも一因。ヨーロッパ中に広まったのは、キリスト教の影響も大きい。
という感じですかね。
では、日本はどうか?というのが、休憩明けからの話になります。
本人も自嘲的ではありましたが、ヨーロッパのワインの話にこんな時間使う必要はあったのか?しかも、それほど、直接的な理由にはなっていないような。。。加えて、身も蓋もなく言うと、ワインの話なくても、日本の食文化と国際化の課題は、 話せたのではないかと。。。
次回、日本の食の国際化と食の安全についてです。
ではでは。
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