山岳ガイド赤沼千史のブログ

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日本一の美渓流黒部川赤木沢遡行と太郎沢8月4,5,6日

2013年08月07日 | ツアー日記

 今回はいよいよ沢登りの適期を迎えての、黒部川赤木沢の遡行だ。日本一の美渓と言われるこの沢は、黒部川の薬師沢上流にあり、岩盤のナメと滝が連続し、沢は東向きで明るく開放的な沢だ。先ずは折立から太郎平を越えて薬師沢小屋へ入る。

 カベッケヶ原を過ぎると、黒部川の本流の音が近くに聞こえる様になる。足下に美しく澄んだ大淵が見えると今日の宿薬師沢小屋はもうすぐだ。午後2時頃小屋に入って、僕と小林は黒部川上流へ釣りに出かけた。少しだけでも一匹だけでも、黒部川の岩魚に会いたい。ここの釣りが難しいのは解っている。ここ薬師沢周辺は、釣り師ならば誰でも憧れる釣り場で、入渓するものも多く岩魚はスレている。スレるとは毛鉤や餌をよく知っていて簡単には食ってくれないと言う事だ。午前中からの釣りであればまだしも、この日もやはり難しく結果は3匹のみ。だが、その姿はヒレが大きく張って実に美しい。黒部川の激流を泳ぎ切るには大きなヒレが必要だからだ。

黒部岩魚24センチ

岩魚の造り、素晴らしい弾力と甘み

アラや皮までもすべて素揚げにし塩を振る、パリパリ骨煎餅。ビール頂戴!

 朝起きると天候は小雨、澄み切っていた黒部川は夜中に降った雨の為か番茶の様な色になっていた。昨日に比べ5センチ程水位は上昇している。なんとか本流だけ頑張って赤木沢に入ってしまえば遡行は可能だろうと言う事で、装備を装着し入渓する。股下ぐらいまでの渡渉を数回やって、最後左岸を少し高巻いて赤木沢出会いに到着した。やはり黒部の水は冷たくずっしりと重い。

増水気味の黒部川本流を遡行する

 ここは実に美しい大淵になっていて、これから赤木沢へ入ろうとする者をうっとりとした気分にさせてくれる。赤木沢入り口は両方が岩壁になっていて、まるでぽっかり空いた穴のようだ。そこをへつって(岩伝いにトラバースすること)入って行きしばらくするといきなり空は開け、僕らは黒部本流とはまったく別の赤木沢の世界に引き込まれる。

赤木沢出会いの大淵

さあ、行くぜ!テンション上げ上げ

 ここ赤木沢は岩盤のナメと、滝が連続し両岸は美しい草付きで花が咲き乱れる。今日は日が当たらず残念だが、この沢は東向きで朝一番から朝日が入り、開放的で実に美しい。「日本一の美渓」と言われるのも納得なのである。小雨である今日でさえ充分に美しく、草付きの緑に我々のカラフルな装備が映える。水量はやはり多めで滝は白泡を激しく立て流れ下るから迫力も充分だ。前半は滝と言ってもさほど難しいものはなくて、ゴム底の沢靴がよく効いてくれる。ナメをフリクションを効かせて登るのはとても快適だ。一歩一歩をいとおしむ様に歩く。みんな、きゃっきゃいいながら、満面の笑みで沢を渡り滝を登る。この滝はどっちから攻めようかな?と考えるのも楽しい。時にはわざわざ水流の中を登ってみたり。楽しい以外の言葉がなくてごめんなさいと言いたいぐらいだ。

脇からいくらも登れるのに、ワザワザ水流の中を歓声を上げながら

花と水と少女達

ミヤマアケボノソウ(黒い貴婦人)

 今日は水量が多いので、どうしても水を浴びなければ登れない滝もあって、でもこれがまた楽しい。あ!また言っちまった、楽しいって。だって、楽しいのだ。みんな少なくとも下半身はずぶ濡れだし冷たいのは確実だが、そんな事はどうでもいい。心は一心に楽しむ方向へベクトルは向いている。こうして濡れ鼠で歩いているともう濡れている事なんて全くたいしたことではなくて、むしろ気持ちがいいとさえ思えてくる。これを、多分「達観」というのだ。心のステージが一つ上がった感覚と言おうか、なにも気にしない、全ては自由と快楽の為になんて思えてくる。

 前方に岸壁がそそり立ち、沢が右に屈曲するのが見えるといよいよこの沢のハイライト「赤木沢大滝」だ。この滝は落差30メートル程だろうか。両岸は垂直にそそり立つ岸壁で、その間を水が勢いよく噴き出し唸りを上げている。まさに爆音だ。会話をするのも楽では無い。喧嘩でもないのに大声で話さなくてはならない。ここでは死亡事故も起きている、この左岸側の岸壁をロープを使って慎重によじ登り、滝の落ち口に降りる。上から覗けば滝壺に吸い込まれそうだ。

サンショウウオ(かわゆい)

 大滝を後にしてしばらく行ってから、赤木平方面の草原にむけて右側の支流に入る。この入り口は絶対避けられないシャワーポイントだった。エイヤッ!と水を浴びつつ滝をよじ登る。でも、誰も、悲しくなったり、後ろ向きな気持ちにもならない。歓声とともに登り切ると、満面の笑みがこぼれる。

 次第に沢は急峻になり、水量は減って、いよいよ沢はフィナーレを迎える。若干カンバの木がジャングルジム状態になっているが、藪漕ぎは殆どなく、僕らは赤木平の草原に飛び出した。小さな池塘が点在した、チングルマやミネズオウの無垢なお花畑を踏みながら草付きを登る。これは沢屋だけに許された特権で、誰になんと言われようとそうしないと帰れないので勘弁して下さい。一人一人がばらけた感じで、同じ所を踏まぬように登って、僕らは赤木岳南側の稜線に到達した。ガスって、雨はいっこうに止まないが、快適な草原歩きだ。

 ここまで、休みらしい休みは取っていない。行動を止めてしまえば、とたんに体は冷え、場合によっては低体温症の恐れさえあるのだ。なにしろ全身濡れているのだから。つい先日、中央アルプスでまざまざとその現場に遭遇しているので、あのようなことにならぬよう、僕らは足を止めない。食料はポケットに入れ少しの立ち休みの間に、すかさず採る。そこら辺みなさん、手慣れたもんだ。北ノ股岳のチングルマのお花畑はみごとだった。写真家の岩橋崇至さんが一人撮影をなさっていたので挨拶をした。気合いの入った山岳写真家だ。午後2時、太郎小屋到着。

 最終日は、下山の前にコンパクトに纏まった太郎沢を昼飯前にやっつける。本日も相変わらず雨降りで、稜線縦走だったら気分も晴れないのだが、僕らはその水量の多さを期待してやる気満々であった。よい子はマネしないように。

ノリノリの少女たち 皆さんかっこヨロシ

攀る、小林

派手に水を食らうもなんのその。

痛快至極!!

にっこり 幸せ

イカすぜ、あねご!

 太郎沢は沢の規模は小さいが、急峻で滝の難易度は赤木沢よりむしろ高く楽しい沢だ。小屋からでてワンラウンド3時間ほど。派手にシャワーを浴びながら上り詰めると、辺りは次第に傾斜が緩み、お花畑が現れると、この沢旅も終わりを告げる。

「やだ!もう終わっちゃうの?」

「もっと歩いていたい!」

「ずっと、このままならいいのに」

 寂しさで心が掻きむしられるようだ。まさにそうだ、ずっとこのままならいいのに。僕らは太郎山南側の草原を行く。花が咲き乱れる。

シナノキンバイなど

僕には、若い頃心筋梗塞で一度心停止をした経験を持つ叔父がいる。いわゆる臨死体験者だ。その叔父が言う。自分は病室の空間に浮かんでいて自分を見下ろしている、そしていつの間にか暗いトンネルの中を歩いている。その先には一つの光が見えてそれに向かっていくと、突然草原が広がりこの世のものとは思えないお花畑があって、そこを気持ちよく歩いていると、その先に小川がチョロチョロ流れている。その向こう岸には懐かしい人達がみんな居て、こっちに来るな、帰れと言われ帰って来たと。洋の東西を問わず臨死体験者は概ね同じような体験をするという。

 多分僕らが今歩いている草原はそのお花畑によく似ている。ずっと歩いていたくなるような草原。後ろ髪を引かれる様な気持ちを残して歩く草原。ぼくもいつかかならずその草原を歩くことになるのだ。

薬師岳

太郎平

ゼンテイカと北ノ股岳