うさぴょん

思いのままにマイペースに進む

ポジテイブに!!

気になることを発信!<自分で読んでなるほど~!!>

旬です!

2017-05-16 10:35:01 | グルメ

一年に一度のタラの芽の天ぷら旬ですね~

今年はこれで終わりでしょうか

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小惑星の地球衝突

2017-05-16 09:37:10 | 日記

小惑星の地球衝突 対策や課題話し合う国際会議始まる

小惑星などの地球への衝突にどう備えるか、世界各国の宇宙機関や研究者らが集まり、対策や課題を話し合う国際会議が、15日から東京で始まりました。

この国際会議は、東京・江東区の日本科学未来館で15日から5日間の日程で行われ、NASA=アメリカ航空宇宙局をはじめ、世界24の国から宇宙機関の関係者や研究者およそ200人が参加しています。

国際天文学連合のまとめでは、地球に接近するおそれがある小惑星などは、この20年間に相次いで発見されて、ことし2月現在で1万6000個余りに上り、小惑星などの地球への衝突は現実的な脅威として研究者の間で認識が高まりつつあります。

会議では、運営委員長を務めるJAXA=宇宙航空研究開発機構の吉川真准教授が講演し、「現在、アメリカ中心となっている小惑星の監視態勢はまだまだ十分ではなく、現在は空白区となっている日本を含むアジア地域を含めて、監視態勢を強化していく必要性がある」と訴えました。

小惑星の地球への衝突に備える重要性は、1994年に木星で大規模な天体の衝突が発生したことなどを受けて、1990年代後半から国連でも議論されるようになり、4年前の2013年に、ロシアで、直径20メートルほどと見られる小惑星によって住民およそ1500人がけがをする被害が出たことで対策の議論が加速しています。

JAXAの吉川准教授は「小惑星の衝突は、地球規模で求められている防災の課題として各国で認識を高めることが必要だ。監視態勢の強化や、小惑星の軌道を変えるための技術の開発など、各国が協力して対策を進めることが重要だ」と話しています。

4年前のロシア 約1500人けが

世界各国の宇宙機関や研究者が、小惑星などの地球への衝突に備える対策の重要性を痛感したのは4年前です。

2013年2月、ロシア中部のチェリャビンスク州で、小惑星が大気圏に突入して爆発し、その際の衝撃で建物のガラスが割れるなどして、住民およそ1500人がけがをしました。

JAXA=宇宙航空研究開発機構の吉川真准教授は、直後に現地に入り、地上に落下した隕石(いんせき)の破片を回収するなどして調査を行いました。

各国の研究者による調査の結果、小惑星の直径はわずか20メートルほどと見られる一方、地上の被害の範囲は東西100キロ余りにも及んでいることがわかりました。

それまで、地球に衝突して被害を及ぼす小惑星は、直径100メートル以上と考えられてきただけに、その5分の1の大きさで、大規模な影響が出たことに吉川さんは大きな衝撃を受けたといいます。

また、吉川さんは、この小惑星が事前には世界のどの宇宙機関にも観測されず、その存在が把握されていなかったことも重要視しています。

吉川さんは、「日本を含め各国が連携して、地球に接近する小さな天体をできるだけ早く見つけられるようにする精度の高い観測網の構築が重要だ」と話しています。

最近も次々と接近 衝突も

小惑星の情報をまとめている国際天文学連合によりますと、数多くの人工衛星が飛行している地球から4万キロ以内の近さまで接近した小惑星は、2004年以降の13年間だけでも17に上り、このうち2013年のロシアのケースを含め3つは地球に衝突しています。

小惑星の発見数は近年 急激に増加

地球に接近するおそれがある小惑星などの天体は、1990年の時点では、およそ130個しか見つかっていませんでしたが、2000年以降、観測技術の発達で、相次いで大量に見つかるようになり、現在はおよそ1万6000個余りに上っています。

見つかった小惑星の内訳は、大きさが1500メートル以上のものが1000個余り、150メートルから1500メートルまでのものがおよそ7500個などとなっています。

小惑星に詳しいJAXAの吉川真准教授によりますと、現在の観測技術と観測の態勢では、直径100メートル以下の小惑星は見つけることが難しく、その多くがまだ発見されていないと見られるということです。

吉川さんは「実際には地球に接近しているのに、まだまだ見つかっていない小惑星は数多くあると見られる。4年前にロシアに大きな被害をもたらした直径20メートルの小惑星も事前にはその存在が把握されず、観測態勢の強化が重要な課題になっている」と指摘しています。

地球の歴史に残る大規模衝突は

地球の歴史に残る小惑星の衝突としては、およそ6550万年前、現在のメキシコのユカタン半島に直径およそ10キロの小惑星が衝突し、地球の気候が大きく変わったことで、恐竜が絶滅したと考えられています。

JAXAの吉川真准教授は「小惑星が地球に衝突するときのスピードは、秒速20キロと極めて高速で、もし海上に落ちれば大規模な津波をもたらすおそれもある。小惑星の衝突は、地球上で起きえる最大級の災害だと考えたほうがよい」と話しています。

「はやぶさ」で衝突回避の研究も

小惑星の衝突に備えて、早期に発見できる監視態勢と並んで重要なのが、地球に衝突しそうな小惑星が見つかった場合にその軌道を変えるための技術の開発です。

小惑星の地球への衝突を回避する方法として、世界の研究者の間で最も有力だと考えられているのは、小惑星に人工衛星を衝突させてその軌道を変える方法です。

日本では、小惑星探査機「はやぶさ」で、こうした技術を開発するための基礎的なデータを集めています。
「はやぶさ」は、12年前の2005年に小惑星への着地に成功し、その際、小惑星「イトカワ」の詳しい姿を至近距離から調べました。

JAXAの吉川真准教授によりますと、「はやぶさ」による調査の結果、この小惑星は、いくつもの岩石が集まってできていると見られ、人工衛星のぶつけ方によっては、小惑星の軌道が意図しない方向に変わってしまうおそれがあることなどがわかったということです。

JAXAでは現在、別の小惑星に向かっている「はやぶさ2」でも、軌道を変えるための技術開発に必要なデータを集めることにしています。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

機密情報をロシアに提供!!

2017-05-16 09:32:15 | 日記

米大統領、イスラム国に関する機密情報をロシアに提供=米紙

  トランプ米大統領は先週、ホワイトハウスを訪問したロシアのラブロフ外相とキスリャク駐米大使に、過激派組織「イスラム国」に関する機密情報を漏らした。米ワシントン・ポスト紙が複数の米政府高官の話として15日に報じた。

【スライドショー】2017年ミスUSAは25歳科学者

同紙によると、トランプ大統領は、情報共有合意に基づき同盟国から提供された機密情報を開示同意を得ずに提供した。今後、イスラム国掃討を巡り、同盟国との連携に影響が出る可能性がある。

大統領は、ラブロフ外相とキスリャク駐米大使との会合で、予定されていた内容から離れ、機内持ち込みのノートパソコンを使ったイスラム国の攻撃に関する情報の説明を始めたという。

政府高官の1人は、情報はトップシークレット扱いで、一部の諜報機関職員しかアクセスできない安全な場所に管理されていると明らかにした。大統領が情報をロシア側に提供したことを受け、政府高官は直ぐに中央情報局(CIA)と国家安全保障局にこの件を伝えたという。

一方、会談に同席したマクマスター大統領補佐官(国家安全保障担当)は「大統領とロシア外相は、航空分野への脅威など、テロ組織による共通の脅威について協議した」と述べ、公表されていない軍事作戦などの情報が提供されたことはないと主張した。

また、ティラーソン米国務長官は、トランプ米大統領とラブロフ外相との会談では、テロ対策での共通の取り組みや脅威など広範囲にわたる問題についての議論があったとの声明を発表した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自らオーナー!!

2017-05-16 09:22:44 | 日記

竹内まりや「廃業はイヤ!」実家旅館の“お家騒動”乗り越え自らオーナーに

 竹野屋旅館は出雲大社の鳥居から100メートルほどの参道にあり、開業以来140年になる。竹内まりやの実家としても知られる老舗で、土日はなかなか予約が取れないといわれてきた。

旅館の写真を見る

 皇族が利用されたこともある格式の高い旅館で、沢田研二と田中裕子が披露宴を行ったことも。まりやの父の代までは経営は順調だったが、長男(まりやの兄)が5代目を継いでから、転落が始まったという。

「彼は親に甘やかされて育ったので、接客業の基本がわかっていなかったのではないかと思います。よく言えば自由人なんですが、“顧客ファースト”という考え方がないのが経営者としては致命的でしたね。

 出雲駅伝に出場した選手が挨拶に行くと、“私は早稲田が好きだから”と会ってくれなかったそうです。父が早稲田出身だったというんですが、いただけない対応ですよね。チェックインのときに客がスリッパを要求すると、“うちは用意していないんです”と上から目線。客が怒ってそのまま帰ってしまったこともあります」(地元の住民)

 出雲大社といえば4年前、60年に1度の“平成の大遷宮”を行い、注目を集めた。

  '14年には、高円宮家の典子さまが出雲大社権宮司の千家国麿さんと結婚したことも話題になり、昨今では“ヒーリングスポット”として全国的に有名になっている。

「本来ならもっと活気づいてもよさそうですが、実情は苦しいんです。郊外店の進出で地元の商店街がさびれ、夜逃げする人も出ているくらいですから……」(地元記者)

 平成不況もあり、客足は遠のいていく。環境の激変が災いしたのは確かだが、竹野屋が傾いた原因は5代目の振る舞いにもあった。

「有能な従業員も、おかしな発想を押しつけられるのに耐えられず辞めてしまう。従業員の教育もできないので、仲居さんのレベルもどんどん落ちていきました。5代目の女将が親族を連れてきたことで女の戦いが激化し、雰囲気が悪くなったともいわれていますね」(同・地元記者)

 趣味はジャズと無線で、インドア派のオタク気質。従業員とのコミュニケーションが苦手で、社内の人間関係がギクシャクすることに。

「頭を下げることのできない人でした。神経質で、従業員にはいちいち細かいことで文句を言っていたようです。景気が落ち込むなか、旅館組合が共同で大きなホテルを運営しようという提案が出たこともあります。

 話が決まりかけたんですが、5代目だけが反対して実現しませんでした。すると、他県から大きなホテルが進出してきて、さらにピンチに追い込まれたんです」(同・地元記者)

 最後にはスタッフが5人にまで減り、旅館営業が不可能に。宴会や結婚披露宴は続けていたものの、宿泊ができないので、客はみんな近隣の温泉宿に流れてしまう。そんな厳しい実家の窮状を知って、心を痛めていたのが、まりやだった。

彼女は大学進学のとき出雲を出て上京してからも、たびたび故郷へは帰ってきていた。

 最近でも5月上旬に、まりやが墓参りに行く姿が目撃されている。

「小さいころから“美人4姉妹”の三女として地元でも有名でしたからね。“平成の大遷宮”が行われた'13年には、故郷への思いを綴った唱歌『愛しきわが出雲』をプロデュースするなど、強い“出雲愛”を持っています」(別の地元住民)

 実は、現在の竹野屋旅館の実質的オーナーは、彼女だというのだ。

なぜ、まりやはオーナーになったのか

「テコ入れのために半年ほどリニューアル工事をしていたのですが、その改装費用のほとんどを、まりやさんが出したという話です。何よりも、実家の旅館が廃れていくのが耐えられなかったみたいですね。いても立ってもいられず、再建に乗り出したんでしょう」(同・地元の住民)

 自分が元気なうちに何代も続いた旅館がのれんをおろすようなことになるのは絶対にイヤ。そんな思いがあったという。

「5代目は昨年10月に退任し、きょうだいの長女の娘婿である男性が6代目となりました。昨年8月から部屋の改装を始め、今年3月にリニューアルオープン。もちろん料理は仕出しではなく、旅館の厨房で作った懐石料理を出しています。

 コンサルティング会社が入ってコンセプトから練り直し、東京都内のコーヒーショップ店長や一流旅館で働いた経験のある若いスタッフを多く採用しています。新社長は英語に加えてフランス語もできますから、インバウンド需要にも対応できますね」(前出・地元記者)

 新社長に話を聞きに旅館を訪れたが不在。後日、ファクスを通して『週刊女性』の取材に回答したところによると、リニューアル後の業績は予想を上回る好調な数字のようだ。オーナーのまりやについては、

「不定期ですが、ときどき来られています。特に指示はなく、私たちにお任せいただいています」

 今回の件で、竹内まりや本人から直々に相談を受けていたという、所属事務所社長の小杉理宇造氏は、

「リニューアルが決まるまで何度も親族が集まって会議をしました。まりやと夫の山下達郎も参加しました。そんな話し合いの中でお兄さんが退任を決断したんです。

 当初は廃業案や売却案もあったのですが、結果的にみんなで資金を出し合って継続することになったんです。きょうだいの中でも比較的資金力のあったまりやが、オーナーになったわけです」

彼女には、自分がこれまで旅館に何もしてあげられなかったという後悔の思いがあるのだという。

「両親に恩返しをしたいという気持ちが強いんですね。高校生のときにはアメリカに留学させてもらい、大学時代は東京で音楽に親しんだ。

 その結果、彼女は成功できたんです。5代目の社長であるお兄さんに対しても、感謝の気持ちを持っていますよ。まりやが音楽に興味を持ったのは、彼の影響もありますからね。

 だから、なにがなんでも旅館を守りたいんですよ。“私は本当に自由だった。お兄ちゃんは本当に不自由だった”とも話していましたから」(小杉社長)

 地元の旅館や商店が次々と店を閉めていくなか、兄がまがりなりにも竹野屋旅館をつぶさずに守りきったことに感謝しているのだ。

「まりやには“大切なものがお金で守れるんだったら、あるお金を全部はたいたっていいじゃないか。お前には山下達郎というすてきな伴侶がいるんだから”という話はしました。山下も“そんなに大事なものがあるんだったら行くしかないでしょう。何か僕にできることはありますか?”と言ってくれています」(小杉社長)

 夫婦で出雲を訪れることもあり、山下のこんな姿が目撃されたことも。

「達郎さんは本当に気さくな人ですね。タクシーの中でたまたま自分の曲がかかったら、ラジオに合わせて歌いだしましたよ(笑)。この距離で生声が聴けるなんて、ファンからしたらとんでもない贅沢ですよね」(地元のタクシー運転手)

 旅行サイトのクチコミによれば、竹野屋旅館では朝に竹内まりや、夜に山下達郎の曲が流れるのだという。2人のファンが泊まりに行くようになれば、全盛期の賑わいを取り戻せるかもしれない。

「まりやはオーナーになったわけですから必死ですよ。最近では、毎週のように出雲へ行っては“やったね、来週も土日が埋まったみたい!”と電話がかかってきます。いきいきしているのはいいけれど、歌手活動は完全に休業状態。事務所としては困りものですけどね(笑)」(小杉社長)

 '80年代の名曲『元気を出して』の歌詞「チャンスは何度でも訪れてくれるはず」を地で行くように、まりやは、今日も旅館の再建に力を尽くしている。

行ってみたい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする