日々の出来事を写真と共に

身近に起こる出来事、感想を写真と共に綴ります・・・

周囲1.200mの中に…

2016-02-25 | 旅行
【2016.02.24(wed)~25(thu)】
5,000人が暮らしていた近代の遺跡。

・長崎での2日目は2015年に世界文化遺産登録された<軍艦島(端島)>へ。
【明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業】の構成遺産の一つです。


<シーマン商会>のさるくⅡ号にて長崎港・常盤2号桟橋を出港。 
ちなみに“さるく”は“ぶらぶら歩く”という意味のようです。

・上陸にあたっての誓約書提出


・およそ30分程度で島の近くに到着。

・桟橋が一つなので先行する“ブラックダイヤモンド”が出る迄は着岸出来ず。
先に島を周遊することに。


・端島神社は祠のみが残る。

・正面は端島小中学校跡


・島の北側を周る。


・一旦停船し甲板にて撮影タイム。 
軍艦「土佐」に似ていることから軍艦島と呼ばれることに。


・何かにつかまらないと立っていられない程の揺れ。上陸できるのか心配になる。

・島の南側を周って…


・やっと上陸となる。年間の上陸可能日は100日と想定。
南風の吹く夏のほうが冬より上陸出来る率が低いとは意外

・天川と呼ばれる石積み工法により護岸。


・鉱山施設はほとんど崩壊。第二竪坑坑口桟橋への昇降階段が残る。
元島民の方が語り部となり説明をされる。 

・晴れているが風は冷たい。


・正面は日本最古の7階建てアパート30号棟。1916年(大正5年)に建てられた物。

・一般人の上陸時間は1h以内です。


・人口が最盛期であったのは1960年頃。
ピーク時の居住者は5,267人で人口密度は世界一、東京特別区の9倍以上だったとのこと。

・国のエネルギー政策の転換により、石炭の需要は減り1974年(昭和49年)1月15日に閉山。
住んでいた方々は同年の4月で全て島を去り端島は無人島に。

・2009年(平成21年)から一般人が上陸、見学可となる。


・左側の建物は島内最大の社宅65号棟。当時317世帯が住まわれたという。
建物の中に保全の方なのか遠目に人影を見ました。


・正面は端島小中学校、左に65号棟が見える。


<軍艦島・世界文化遺産2016年2月24日撮影・右下ボタンをクリックするとフルスクリーンで見れます>

・日本の近代化の一端を担った島は今も存在感を残し静かに佇んでいます。

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・島から戻った後は長崎の定番スポット巡り。



・世界遺産登録なった「旧グラバー住宅」

・その近くにある大浦天主堂


<三菱長崎造船所 史料館>

・端島が軍艦島と呼ばれるようになったのは外観が「土佐」に似ていたから。
その「土佐」を建造したのはこの長崎造船所なんですね。


・夕方近くに立ち寄った<出島>


・この日の宿泊は高台にあるホテル。
食堂や大浴場からも長崎市の夜景が望めました。 

・翌朝のホテルから。本当に坂の多い街ですね。


・この旅の最後は<平和公園>。その後は一路鳥取へ。 
片道700km強の距離ですとバスでは12h位かかります。
これ位がバス旅行の限界だと思います。
関空~オークランド迄が11hだったことを思い出しました。

・お世話になった日交さん。 
発着所が我が家から500mの距離にあるのがありがたい。

See you.

I.O
コメント
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