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エリート教育は国際競争力を高めるか

2005年04月13日 21時28分27秒 | 教育問題
読売新聞には「地球を読む」というコーナーがあるのだが、私にはとても勉強になるよい企画だと思っている。執筆陣は皆立派な人たちで豪華な顔ぶれなのであるが、執筆者として度々登場する岡崎久彦氏が先日(11日)の記事に書いておられた。


折りしも、中国との競争についての記事であり、現状のままの日本では、今後中国との知的分野での競争に敗れる可能性があると指摘している。日本の態度としては、知財立国を謳い、付加価値競争で世界をリードして行こうというであるから、この指摘は当然の危惧と言えるだろう。一方で、従来の中国脅威論についての指摘をする論説本は「汗牛充棟もただならない」といいながら、「日本はどういう国になって、この来るべき競争を生き抜くかを論じたものは、ほとんど無い」とも述べている。確かに、この問題に対する取り組み方や基本的姿勢・方針を示した政治的リーダーは、私には思い浮かばない(以前少し触れました、国連との距離は?)。


記事中の氏の意見を次に一部抜粋してみます。

「ではどうすればよいのだろうか。勉強すれば報いられる社会を作ればよいのである。日本はかつてそういう社会を持っていた。」

「実は日本の誇るべき伝統はそれだけではない。どの庶民も、その場その場で徹底的に良心的な仕事をするという、この点ではおそらく今でも中国人、アメリカ人よりも優れた完全主義の文化を達成し、今でももの作りの伝統に優位を保持している国である」

「そして家庭教育と社会教育により、大都会で夜でも女性が一人歩きできる稀な順法社会を作った国である」

「中国との競争に生き延びていくためには、まず失われたエリート主義を復活させ、完全主義と順法精神の日本的美徳、そして日本の過去の歴史について、今一度国民に自負を持たせ、これを推奨する教育が必要であろう」

「そして愛国主義の意義の再確認も必要である。これは復古主義でもなんでもない。ただ日本民族が今後の劇的な台頭という国際環境の中で落後せずに生き延びていく、他に選択肢のない道である」



感想というか、考えたことを書いてみたい。


この中で述べられている失われたエリート主義の復活は、一面的に考えれば厳しい競争原理を勝ち上がったごく少数の成功者達―科学者や研究者、実業家、政治家や官僚など―が支配層を形成し、各分野で世界的競争に負けないような力を発揮し、大衆を導くということであろう。これに反対する人々もたくさんいるかもしれない。特に最近「勝ち負け」はよくない、不平等はよくない、という意見も多く見られるからである。しかし、強いリーダーが存在しなければ、日本という組織全体としては負け組になってしまうかもしれない。


日本と同じクラスメートにアメリカ、中国、韓国、ロシア、インド、台湾、イギリス、フランス、ドイツ・・・という具合に存在するとしたら、弱い国はどこかの強い国に従属的に扱われるか、パシリのように扱われたりしてしまうだろう。日本の経済活動も、どこかの国の利益を生み出すことに利用されてしまい、おいしい部分をみんな持っていかれてしまうだろう。言ってみれば、クラスの中に勝ち組と負け組が存在する構図なのである。これを拒否するならば、日本だけのクラスを作るしかない。1人だけのクラスならば、そうした相対的地位がなくなるからで、日本国内の活動のみで生きていける。しかし、これを受容するには、相当の覚悟がいるだろう。昔の鎖国というような状態を持続せねばならないからである。諸外国との関係を殆ど絶って、自給自足で全て国内活動に依存するしかないのだ。果たしてこんなことが可能だろうか?


今の生活環境を維持しようとするなら、世界の中の日本というか、諸外国との相対的関係から作り出される日本の位置というものが、消えることはない。成功を収めた国からは、様々な圧力がかけられたり、経済的依存関係を強要されたりするかもしれない。大企業とその下請け中小企業、出世競争に勝った上司と下っ端、会社経営者とその労働者という関係と同じような相対的関係は、国同士でも起こるということである。この時に、支配される立場を受け入れられるのか、ということを国民がよく考えて選択する必要がある。これは価値観の問題でもあるので、たとえ従属的でも支配される立場であっても、「貧乏でも、楽しければよい」とか「競争は疲れるので、のんびり過ごせるならそれでよい」という人々もいるだろう。それが優勢で、多くの国民がそうした「支配・搾取される側」になってしまうことを許容するなら、それも仕方が無い。


しかし、私にはこれを受け入れるだけの勇気はない。従属的支配を受けるくらいなら、1人きりのクラスにした方がまだましだ。そういう意味では、岡崎氏が提唱するエリート主義の復活を、あながち否定できないのである。それは、個人レベルでの勝ち負けに拘泥することではなく、少数エリートへの抵抗という面を強調するよりも、国民全員のレベルアップによって生み出される強い組織の創造とか、優れたリーダーを養成し選別していく仕組みであると思うのである。言うなれば、強い野球チームのエースになる選手と、弱い草野球チームのエースになる選手では、自ずとレベルが違うのである。国民全体が努力するということは、チーム内の競争が厳しくなり、そこから選びぬかれたエースは高いレベルであるだろうし、チーム全体は強くなるということを意味する。


もう一つ、岡崎氏が記述した「どの庶民も、その場その場で徹底的に良心的な仕事をするという、優れた完全主義の文化」という言葉が、心に残った。今まで、時折話題に上っていたのだが、何と表現するべきなのか分からなかった。私は外国で生活したことはないが、ほんの少しの旅行経験や、本などに書かれた外国の生活実態などから、日本人全体の真面目さ、信頼度というのは、少なくとも諸外国の中ではトップレベルであろうと思います。学歴が高いとか知識が多いといったことには無関係で、おおよそどの職業の人々も、まっとうに働き、業務を遂行していると思うのである。例えば、店舗の床掃除をやっておく、という場合に、日本人なら監督者がついて見ていなくとも、きちんときれいに掃除するし、店のモノをくすねたりはしないだろう(絶対とは言えませんが)。ところが、国によっては、監督していないと全然働こうとしなかったり、くすねたりしてしまうことが多かったりする、ということである。


日本人は、他人が見ていないところでも正しく行動する、という意識があると思う。でも、だんだん不届き者が増えてきて、こうした部分は崩れてきている。しかも、難しい大学を出て立派な職業に就いていても、不道徳な行いをしてしまう人がいることは、単に知識としての教育という問題ではなく、人間としての教育にもっと比重が置かれる必要があると思う。これは、学校の役割というよりも、社会や家庭における教育が重要だろう。


でも、全体としては、「優れた完全主義の文化」というのは分かる気がするし、職人芸的な(マニアな人が多いのでしょうか)仕事をする人も珍しくは無い。「プロジェクトX」を観れば、一目瞭然ですね(笑)。このようなことは、他の国にはない特別の長所であると思うし、このような文化、日本的美徳を復活させることは、多くの点で有利に働くことだろう。


大きな問題は、こうした意思を持つ人がどれほどいるのかということであり、一部の人間だけでは実行できない。社会全体がそういう共通認識を持ち、日常の社会生活、家庭生活の中で実践していかなければ効果は期待できないであろう。また、エリート教育への理解ということも必要になるだろう。自信や強い心を育てる教育、道徳心を重視する教育が同時に求められる。


60兆個にも及ぶ人体の細胞は、一個体の生体機能を維持するために存在する。個々の機能や存在価値は異なるのは当然であるが、細胞単独で生きることに何ら意味がないことは明白であり、独自の生存価値を求めるものは、多細胞生物ではなく単細胞生物としての生き方をした方がよい。それが真の自由であり、束縛も制限もない唯一絶対的な個の存在価値を確かめられる方法である。社会とは隔絶された生活しかないだろう。無軌道な増殖や活動を求めるものが生体内に存在しようとするなら、それはガン細胞という不要な存在としかなりえないからである。国家という一個体に参加している以上、その中で個人が役割を果たすことは当然なのではないか、と感じるのである。


第2幕のクライマックスが見えたか

2005年04月13日 12時46分52秒 | 社会全般
ライブドアが「兵糧攻め」にあい、出口戦略を模索という感じでしょうか。ライブドア株の300円割れは、ほりえもんにはきつかっただろう。リーマンは転換社債の元を回収するでしょうから、たとえ一般個人が買い支えていても、転換された株はせっせと売られるだろう。事実既に660億円以上の回収が行われたと報道されていた。この売却に耐えられるほどの、株価上昇の新材料は、今のライブドアにはないだろう。ただ、今日の「和解」報道で、多少の戻りがあるかもしれないが。

ライブドアがニッポン放送株を譲渡するとして、平均買いコストよりも色が付いていなければ、リーマンに売り切られたライブドア株下落の分と、CB発行時点で乗せられていた1割のサヤの分は、まるまる損をしたことになってしまう。この評価がどうなるのか、ということも気になるところかもしれない。フジのTOB価格にいくら位上乗せされるのか…この辺は、専門の人々が検討してくれるでしょう。

もう一つ、フジとライブドアの業務提携がどういう形で発表されるか、注目されるだろう。実質的にライブドアにとって将来性や収益性に貢献できるという評価がなければ、市場は失望するであろうし、通り一遍の平凡なものならば、ホリエモンの評価も当然下がるであろう。フジ側にはそれ程のリスクは存在しないだろう。むしろ、決着を見ることで、一定の評価を受けることはあるかもしれないが。

記事は次の通り。
Yahoo!ニュース - 読売新聞 - ライブドアとフジ、月内にも和解へ


今月内の決着へ向けて、両者が妥協点を探るということになるのだろう。これは、偶然にも郵政民営化で揺れる、政府と自民党の攻防と似ているな。自民党の動向は明日が一つの目処であるが、政府側がこれに応じるか微妙だ。また、ワタヌキ殿は青木さんから「小泉首相に会うように」と言われたのに、「イヤだよ。会えないよ。私にも仲間がいる」と拒否してしまったようです。さっさと片をつけてほしいものです。