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秋霜烈日―検察官という仕事

2005年04月22日 21時05分58秒 | 法関係
読売新聞に、今日から新たなシリーズが始まりました。タイトルはその名の通り「検察官」。記事にもあるように、その仕事ぶりや人間そのものの素顔は、国民にあまり知られていない。私も良く知りません。今まで読む機会があったのは、例えば堀田力氏のような、有名になった方の扱った大きな事件の紹介くらいでしょうか。他には、いつもお邪魔している落合先生(ブックマーク欄にあります)のところで読む記事等ですね(笑)。


少し前に裁判員制度に係わる記事を書いた時に、「検察官の話す言葉」について少し触れたのですが、私は現実にどうなのかは知りませんでした。ですが、読売の記事によって少し明らかになっています。


検察官といえども、当然人間です。これを「にんげん」と言うべきか、「ひと」と言うべきかは判りませんが、一般人と同じような心情の変化はあるかもしれません。むしろ、普通の人が日常で体験しないような現実に行き当たることも、多いかもしれません。それでも職務を遂行して行かねばならない、というのも、常人の想像を超えている気がします。そういう仕事の中で、どのようにして事件や被害者・遺族と向き合うのかとても難しいですし、答えが容易に見つけられるというようなことでもないように思います。そうした検察官について、国民に知ってもらうという企画は大変よいものであると思いました。


今日の記事は、「池田小事件」の時の大阪地検の検事たちの様子が書かれていました。被害者家族の言葉として、「裁判に直接参加していなくても、検事さんの口を通して意向を反映していただき、感謝している」と記されていました。検事たちの生の言葉も記事には多く書かれており、これを見ると、いかに被害者や遺族に配慮して裁判を進めようとしていたかが伝わってきます。こうした事実は意外に思いました。被害者・遺族の言葉通り、「検事というと冷たいイメージを持っていた」という先入観は、私も含め多くの人が持つのではないでしょうか。だが本当は、大阪地検の検事たちには、「人間味を感じた」「誠実できめ細かい配慮をしてもらい、ありがたかった」という被害者や遺族の言葉が残っているのです。


知られざる、事件の或いは裁判の裏側には、こうした人間同士の接点や心を通わせようという人々の切実な思いがあるのだな、と感じました。今後も必ず読みたい企画です。

皆さんも是非読んでみるといいと思います。



「オツベルと象」

2005年04月22日 18時25分32秒 | 俺のそれ
韓国では象が大暴れしたらしい。暴徒の次は”暴象”なのか?
Yahoo!ニュース - 時事通信 - 大暴れのゾウに同情の声=「重労働で酷使」との批判も-韓国

このニュースをテレビで見た時に、私が中学1年の時の国語の教科書に載っていた「オツベルと象」をすぐに思い起こした。昔話で申し訳ないのだが、もう4半世紀も前の話である。何だか思い出すと無性に可笑しくなった。象がバタバタと突進したりするテレビ映像を見ていて、ふと笑いがこぼれた。


私は毎年教科書を学校で受け取ると、その日のうちにだいたい読むことにしていた。教科書に出てくる作品は、面白いものが多く、タダで全集本をくれたようなものだったからだ。始業式が終わって家に帰ると(大抵早く帰れるから、家で時間がある)、そそくさと昼食を食べ、早速読み始めるのであった。巻頭ページのカラー写真の解説などを順に見てから、目次へと進んでいく。全部自分が読んだことのない作品だった。微妙な挿絵に、「ちょっと変かな」などと思いつつ、ゴロゴロしたり、ソファに座り直したり、時々体勢を変えたりしながら読むのが好きだった。いつの間にか日が傾き、教科書の余り白くはない紙質でできたページに夕陽がさし、「もうこんな時間か」などと思ったりして、腹減ったーということで、読み終えるのだった。振り返ると懐かしい(昔のことを懐かしむのは、年をとったせいだという意見もある・・・ガックリ)。


実は今年中学に入学したばかりの、わが子の教科書を読んでみた。入学式の後、どさっと積んであったからだ。

昔と同じように、ページをめくってみた。やはり初めの作品には、「オツベルと象」が収載されていた。私の時と同じであった。これには、驚きと懐かしさと、そして、時代によらない宮沢作品の良さが感じられた。勿論「オツベルと象」を読むのは中1以来で、細かい所は思い違いをしていたり、誤って記憶していて、「あれ、そうだったかな」などと思いながら読んだ。最初に出てくる脚注も、当時と同じだった。「稲こき」だった。

教科書検定について色々言われたりしてはいるが、教科書は誰が読んでも案外面白いものである。とてもよく出来ている。私自身は、昔とは考え方も視点も変わったが、教科書は優れた作品集だと思う。当時の私はそんなことは、露にも思わなかったのであるが(笑)。


他の教科も内容を一通り見ていくと、随分変わったな、と思う。図表、絵、写真が多い。文字が少なくなったような気がする。後は、現代風なパソコンやネットのこととか、リサイクルのこととか、私の時にはなかった内容のものも追加されている。ちなみに地図帳は、昔と同じ会社だった。未だに毎年作っているんだなー、と思ったりして、懐かしかった。今まで家で利用していた地図帳は、私が中学か高校の時に使っていたもので、子供もそれを利用していたのだ(当然ソ連とかのままです)。だが、古い私の地図帳はもう必要なくなった。新しい地図帳がもらえたのだから(笑)。


皆さんも、子供の教科書を一緒に読んだり、その話をしてみるといいと思いますよ。私はこの「オツベルと象」の話をしました。自分が同じ中1だった時のこと、この作品の感想、授業中の失敗談とか・・・。わが子の感想も聞いてみました。教科書の作品が、変わることなくこうして続くといいですね。次は孫の時まで、頑張るかなー(笑)収載されていれば、の話ですが。



日中首脳会談実現へ

2005年04月22日 00時33分32秒 | 外交問題
外務省が交渉していた、ジャカルタでの小泉さんとの首脳会談は実現の見通しとなったようである(そのようにテレビで報道されていた)。閣僚が靖国神社の例大祭に出席をしない、ということを条件に開催されるということのようです。昨年から何度も取り上げられていた、靖国問題が口実とされているようです。先日の外相会談では、潜水艦の領海侵犯事件の時と同じように、中国側にサクッとあしらわれてしまった。スマート町村さんは、老獪な中国外交戦術に飲み込まれてしまった感がある。ちょっと荷が重かったか。形を残そうと唯一頑張ったのが、テレビ撮影があるうちに、中国側にデモの暴力行為は許されず謝罪要求を伝えたことであったが、これも「日本国民に謝罪が必要なことは何もしていない、デモの原因は日本にある」という逆切れ状態の答えが返ってきただけであった。


ただ、中国指導部においても、暴徒化するデモについて「ただならぬ危機感」を抱き初めていることは確実で、日中関係改善への見えないくらいに「細い道」を探すことになるでしょう。


日本としても、先日の外相会談では成果を挙げることが出来なかったので、ジャカルタでは何かの前進を求めることになるでしょう。今は個別の事柄に拘るよりも、双方の心理的改善が目的となるでしょう。その為には、ガッチリ握手とか共同宣言とか、何かアクションが欲しいところですね。役者ぶりもある程度必要になるかもしれません。小泉さんが果たしてどのくらいの演技能力を発揮できるか、注目してみます。


これで一気に収束には向かうとも思えませんけれども。日本の常任理事国入りへは、どうあっても反対の姿勢をとりたいのは間違いなく、ガス田問題についても譲歩はしたくないだろうし、日本にツッコミどころがある限り、あの手この手で嫌味な態度をとり続けるでしょうね。それが、アジアにおける中国の地位や立場を築き上げることに繋がるのですから。目の上のタンコブである、日本を亡き者とすることが、中国の利益になるでしょうからね。

外交は難局続きです。