竹崎最高裁長官が任期途中で退官するのだそうだ。
>http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014022601002088.html
日本の最高裁を頂点とする「司法」は、究極の官僚主義的腐敗組織である、ということを、存分に学ばせてもらった。
日本の多くの人たちが知らなかったはずだ。
こういう、上に行っている人間というのは、それなりの理由というものがあるのだよ。
キレイ事を言うような裁判官なんか、到底なれないのだ。
政治的にうまく立ち回れる、正義とは対極に位置する人間だからこそ、偉くなれるんだよ。
竹崎博允ばかりではないはずだ。
最高裁事務総局という、全国の裁判官たちの人事を左右できる場所、これを押さえている限り、まともな裁判官は絶対に偉くなれないんだ。
竹崎と一緒にいたであろう、山崎敏充最高裁事務総長(現東京高裁長官らしい)、彼らが東京第五検察審査会の、出鱈目のような腐敗司法を支援してきたというわけだ。
小沢を葬り去った、司法暴走だ。
検察と一蓮托生。
これを支える最高裁。
いずれ山崎敏充もアガリポストとして、最高裁判事か最高裁長官が待っているだろう、ということだろうな。
日本の司法は死んだんだよ。
竹崎の退官は、逃げの一手ということに過ぎないだろう。
ちょっと追記:
竹崎長官が事務総長時代にあった、もんじゅ裁判を覚えているか?
05年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/83c3acfcf023f6a7cbb894a48683763f
当時、最高裁判決に疑問を感じた人たちは多かったのではなないか。当方ですら、おかしいと思えたものだったからだ。
こういうのが、腐敗司法の典型例だ、と言っているのだよ。
行政側が勝つようになっていれば、最高裁は最強だ。誰にも糺すことなどできないのだからな。
こういうことのできる人間、高裁判決は潰しても「原子力ムラ」勢力のお先棒だか片棒だかを、ホイホイと自ら進んで担げる人間、そういうヤツらじゃないと最高裁までは辿りつけないんだよ。
志賀原発2号機の裁判もそうだ。
地裁では住民側勝訴という画期的判決が出された。差し止め訴訟に勝ったんだよ。
しかし、名古屋高裁ではひっくり返され、当然最高裁も門前払いだったはずだ。これも竹崎長官時代だった。政府に都合のいい判決を量産できなければ、竹崎のような立場にはなれない、ということさ。
だから、上に君臨するクズの支配下にあって、その手下となって法も正義も簡単に売り払える人間、そういうヤツらしか残ることがないのである。
そういうゴミ溜めの中から、次々と偉くなる人間が順繰りとエスカレーターに乗って上がってゆくわけだから、当然上にいるのはゴミ屑だらけということになるようなものだ。ゴミは部下にもゴミを望む、ということだな。まさしく類友。
竹崎長官は野田政権末期に、訪米したことがあった。
解散目前の10月末~11初旬だ。
ヤツらは、普通の通信施設であると情報漏れがあることを熟知していたので(まあ自分たちが盗聴したりメールチェックをしていたわけだから、当たり前だ)、直接面会して会話するということを「最高秘密保持」としていたわけである。
だから、竹崎は呼ばれたのだよ。
で、何を?
ということになるわけだ。
それは、日本の最高裁が総理大臣の解散権行使について、違憲と認定して無効としたりすることがあるかどうか、であったろう。
つまり、自民党復権の選挙の法的有効性などについて、事前に竹崎に確認をしていたものと思われる。竹崎は、大法廷になった際でも、多数派が確保できるかどうか、ということをあちらサイドに感触として伝えていたはず。
つまり、野田総理の解散は法的に有効、その後の選挙の有効性及び違憲性の判断について、選挙無効という判決にはしないようにすること、などが確認されたはずであろう、ということさ。
確認できたからこそ、野田政権と安倍自民の合作で「違法解散選挙」が実施されたわけだからな。
竹崎とは、多分そういう男なんだろうと思う。
多分アチラのエージェントとして、たいそう役立ってきたことであろう。
こういうことができる人間じゃないと、頂点には立てないわけ。
高潔にして聡明、公明正大なんていうまともな人間は、早々に排除されてしまって、地方の家裁か簡裁のドサ回りだけを延々と続けられてしまう、そういうシステムが最高裁及び最高裁事務総局の本性である。
これに迎合できる人間だけが、上に引き上げられてゆく。
そういう連中が日本の司法を支配し続けているのだよ。
唯一の対抗策は、国民審査で排除することだけである。
しかし、そういう形骸化した儀式には、何の効力も意味もないのである。
オレはバカだった。
ずっと幻想を信じ続けてきた。
しかし、全くの嘘っぱちで出来ており、司法界はほぼ腐敗の総本山でしかない、ということを、全国民はもっと知るべきである。
日本に正義など、どこにもない。
法だって?
笑わせるな。
クズどもに、そんな精神など宿るはずがない。
排除されてきた裁判官たち、そういう人たちがもっと表に出てこれるようにならなければ、日本の司法など腐敗したままである。
法曹の人々に、批判の精神はまだ残されているか?
諦めず戦える人たちは、果たして残っているだろうか?
竹崎の大罪は、何年経っても消すことはできない。
唯一できることは、彼らの戦術を学ぶことだけである。次の為に、腐敗の手口を研究し学ぶことくらいしかない。
学んだことが、例えば次の山崎敏充の時に活かすことができるものかどうか。
うちみたいなマイナーブログのできることなんて、まあ殆どないんだけどさ。世の中に、何の影響も持たないわけだし。ささやかな抵抗、それくらいではないですかな。
>http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014022601002088.html
日本の最高裁を頂点とする「司法」は、究極の官僚主義的腐敗組織である、ということを、存分に学ばせてもらった。
日本の多くの人たちが知らなかったはずだ。
こういう、上に行っている人間というのは、それなりの理由というものがあるのだよ。
キレイ事を言うような裁判官なんか、到底なれないのだ。
政治的にうまく立ち回れる、正義とは対極に位置する人間だからこそ、偉くなれるんだよ。
竹崎博允ばかりではないはずだ。
最高裁事務総局という、全国の裁判官たちの人事を左右できる場所、これを押さえている限り、まともな裁判官は絶対に偉くなれないんだ。
竹崎と一緒にいたであろう、山崎敏充最高裁事務総長(現東京高裁長官らしい)、彼らが東京第五検察審査会の、出鱈目のような腐敗司法を支援してきたというわけだ。
小沢を葬り去った、司法暴走だ。
検察と一蓮托生。
これを支える最高裁。
いずれ山崎敏充もアガリポストとして、最高裁判事か最高裁長官が待っているだろう、ということだろうな。
日本の司法は死んだんだよ。
竹崎の退官は、逃げの一手ということに過ぎないだろう。
ちょっと追記:
竹崎長官が事務総長時代にあった、もんじゅ裁判を覚えているか?
05年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/83c3acfcf023f6a7cbb894a48683763f
当時、最高裁判決に疑問を感じた人たちは多かったのではなないか。当方ですら、おかしいと思えたものだったからだ。
こういうのが、腐敗司法の典型例だ、と言っているのだよ。
行政側が勝つようになっていれば、最高裁は最強だ。誰にも糺すことなどできないのだからな。
こういうことのできる人間、高裁判決は潰しても「原子力ムラ」勢力のお先棒だか片棒だかを、ホイホイと自ら進んで担げる人間、そういうヤツらじゃないと最高裁までは辿りつけないんだよ。
志賀原発2号機の裁判もそうだ。
地裁では住民側勝訴という画期的判決が出された。差し止め訴訟に勝ったんだよ。
しかし、名古屋高裁ではひっくり返され、当然最高裁も門前払いだったはずだ。これも竹崎長官時代だった。政府に都合のいい判決を量産できなければ、竹崎のような立場にはなれない、ということさ。
だから、上に君臨するクズの支配下にあって、その手下となって法も正義も簡単に売り払える人間、そういうヤツらしか残ることがないのである。
そういうゴミ溜めの中から、次々と偉くなる人間が順繰りとエスカレーターに乗って上がってゆくわけだから、当然上にいるのはゴミ屑だらけということになるようなものだ。ゴミは部下にもゴミを望む、ということだな。まさしく類友。
竹崎長官は野田政権末期に、訪米したことがあった。
解散目前の10月末~11初旬だ。
ヤツらは、普通の通信施設であると情報漏れがあることを熟知していたので(まあ自分たちが盗聴したりメールチェックをしていたわけだから、当たり前だ)、直接面会して会話するということを「最高秘密保持」としていたわけである。
だから、竹崎は呼ばれたのだよ。
で、何を?
ということになるわけだ。
それは、日本の最高裁が総理大臣の解散権行使について、違憲と認定して無効としたりすることがあるかどうか、であったろう。
つまり、自民党復権の選挙の法的有効性などについて、事前に竹崎に確認をしていたものと思われる。竹崎は、大法廷になった際でも、多数派が確保できるかどうか、ということをあちらサイドに感触として伝えていたはず。
つまり、野田総理の解散は法的に有効、その後の選挙の有効性及び違憲性の判断について、選挙無効という判決にはしないようにすること、などが確認されたはずであろう、ということさ。
確認できたからこそ、野田政権と安倍自民の合作で「違法解散選挙」が実施されたわけだからな。
竹崎とは、多分そういう男なんだろうと思う。
多分アチラのエージェントとして、たいそう役立ってきたことであろう。
こういうことができる人間じゃないと、頂点には立てないわけ。
高潔にして聡明、公明正大なんていうまともな人間は、早々に排除されてしまって、地方の家裁か簡裁のドサ回りだけを延々と続けられてしまう、そういうシステムが最高裁及び最高裁事務総局の本性である。
これに迎合できる人間だけが、上に引き上げられてゆく。
そういう連中が日本の司法を支配し続けているのだよ。
唯一の対抗策は、国民審査で排除することだけである。
しかし、そういう形骸化した儀式には、何の効力も意味もないのである。
オレはバカだった。
ずっと幻想を信じ続けてきた。
しかし、全くの嘘っぱちで出来ており、司法界はほぼ腐敗の総本山でしかない、ということを、全国民はもっと知るべきである。
日本に正義など、どこにもない。
法だって?
笑わせるな。
クズどもに、そんな精神など宿るはずがない。
排除されてきた裁判官たち、そういう人たちがもっと表に出てこれるようにならなければ、日本の司法など腐敗したままである。
法曹の人々に、批判の精神はまだ残されているか?
諦めず戦える人たちは、果たして残っているだろうか?
竹崎の大罪は、何年経っても消すことはできない。
唯一できることは、彼らの戦術を学ぶことだけである。次の為に、腐敗の手口を研究し学ぶことくらいしかない。
学んだことが、例えば次の山崎敏充の時に活かすことができるものかどうか。
うちみたいなマイナーブログのできることなんて、まあ殆どないんだけどさ。世の中に、何の影響も持たないわけだし。ささやかな抵抗、それくらいではないですかな。