大変良い文献。
Yahooブログ - 学習院大学・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学)で紹介されていたので、発見。
>ESRIESRI Discussion Paper No207長寿国となった経済価値はどれだけか? 経済成長の成果の一試算
是非とも全文をお読み頂きたいと思います。
以前に素人の疑問のようなものがあったので、それに答えてくれたペーパーということになりました。まことに有難うございます。感謝申し上げる次第です。
(とは言うものの、別に私の疑問に答える為に書かれたものではありません。きちんと研究目的があってのことです。)
便益が大きく上回るという結果は、想像通りでした。
昔だと「命で払っていた」のですから、それはまあ便益が大きいだろう、と。
でも実際に「金額」として算出しないと、多くの政策担当者たちや医療には関係のない経済や政治学者連中を説得するのが困難ですからね。そういう面でも、学術的な検討というのが非常に大きい、ということは言えるのです。
医療におけるイノベーションとは、言ってみれば「人型ロボット」のようなものです。当初は全く歩けない。でも、ひとつ一つの基礎が飛躍的に向上してゆくことで、「ロボット」という全体の水準が大幅に改善されるということになるのです。ハードの進歩がなければ、2足歩行は極めて困難でした。コンピュータの一個一個の部品性能が格段に向上した、各センサー技術も飛躍的に向上した、計算処理能力が向上した、制御ソフトも向上した、というような、「どれが欠けても難しい」みたいなものでしょう。医療の進歩もこうした部分があって、『Asimo』が登場するまで苦難の連続だったように、何かを達成するまでには「各パーツ」の部分で困難を乗り越えねばならなかった、ということです。単純にガン治療の向上、みたいなことが言われるけれども、それは基礎研究からはじまって、ありとあらゆる関連分野の水準向上という貢献がなければ達成できないのですから。
侵襲度の小さな検査や治療技術がどんどん出されてきていて、こうした流れについても、やはり常にイノベーションに挑戦してきた結果なのです。それらを「マクロな視点」で成果として捉える―特に定量的に把握する―ということは大変難しく、多くの人々にとっては「どのような”価値”があるのか」というのが極めて判り難いのであろうと思います。
経済学者 「それは、いくらなんですか?」
医療学者 「判りません。けれど、医学的に有効なんです」
経済学者 「でも、便益が費用を上回らないと…」
医療学者 「便益って言われたって、患者さんが感謝するとかくらいしか…」
経済学者 「無駄に医療費につぎ込んでいるんじゃないですかね」
医療学者 「無駄って言われても、それで助かっている人が大勢いまして…」
こんな感じだったんです(笑)。
双方の言葉が通じない。医療従事者は「医学的に有効かどうか」ということには答えられるけれども、それがどういった経済学的意味合いのものなのかは、中々答えられないのです。経済学者自身が「便益とは何か」を見つけ出し定義して、費用便益計算を実行しない限りは、この問いには答えようがないのだ、ということです。そういう点でも、今回のペーパーは大変貴重なものとなりました。
そういえば、かつて社会保障改革の文献的考察の中で、削減についての経済学的エビデンスを出してくれ、とお願いしたら、確か諮問会議の下に分科会みたいなWGを作って、何かの分析を出していたような気がするが。確か見たんだけど、大した中身のない内容だったように思い(ごめんね、分析した経済学者の方)、記憶していない。取ってつけたような、ロジットモデルか何かの分析だったように思うが、定かではない。後で探してみます。
でも、結論ありき、で結果を出すことは不可能ではない、からね。結果だけを鵜呑みになんてできないから。
あの時のペーパーが他の専門家たちや学者たちにきちんと評価を受け、妥当性などについて検討されたという話を聞いたことはない。誰もそんな分析を「妥当だ、確からしい、正しそうだ」みたいには支持していないのかもしれない。一体、何の為の研究成果なのか、とは思う。
Yahooブログ - 学習院大学・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学)で紹介されていたので、発見。
>ESRIESRI Discussion Paper No207長寿国となった経済価値はどれだけか? 経済成長の成果の一試算
是非とも全文をお読み頂きたいと思います。
以前に素人の疑問のようなものがあったので、それに答えてくれたペーパーということになりました。まことに有難うございます。感謝申し上げる次第です。
(とは言うものの、別に私の疑問に答える為に書かれたものではありません。きちんと研究目的があってのことです。)
便益が大きく上回るという結果は、想像通りでした。
昔だと「命で払っていた」のですから、それはまあ便益が大きいだろう、と。
でも実際に「金額」として算出しないと、多くの政策担当者たちや医療には関係のない経済や政治学者連中を説得するのが困難ですからね。そういう面でも、学術的な検討というのが非常に大きい、ということは言えるのです。
医療におけるイノベーションとは、言ってみれば「人型ロボット」のようなものです。当初は全く歩けない。でも、ひとつ一つの基礎が飛躍的に向上してゆくことで、「ロボット」という全体の水準が大幅に改善されるということになるのです。ハードの進歩がなければ、2足歩行は極めて困難でした。コンピュータの一個一個の部品性能が格段に向上した、各センサー技術も飛躍的に向上した、計算処理能力が向上した、制御ソフトも向上した、というような、「どれが欠けても難しい」みたいなものでしょう。医療の進歩もこうした部分があって、『Asimo』が登場するまで苦難の連続だったように、何かを達成するまでには「各パーツ」の部分で困難を乗り越えねばならなかった、ということです。単純にガン治療の向上、みたいなことが言われるけれども、それは基礎研究からはじまって、ありとあらゆる関連分野の水準向上という貢献がなければ達成できないのですから。
侵襲度の小さな検査や治療技術がどんどん出されてきていて、こうした流れについても、やはり常にイノベーションに挑戦してきた結果なのです。それらを「マクロな視点」で成果として捉える―特に定量的に把握する―ということは大変難しく、多くの人々にとっては「どのような”価値”があるのか」というのが極めて判り難いのであろうと思います。
経済学者 「それは、いくらなんですか?」
医療学者 「判りません。けれど、医学的に有効なんです」
経済学者 「でも、便益が費用を上回らないと…」
医療学者 「便益って言われたって、患者さんが感謝するとかくらいしか…」
経済学者 「無駄に医療費につぎ込んでいるんじゃないですかね」
医療学者 「無駄って言われても、それで助かっている人が大勢いまして…」
こんな感じだったんです(笑)。
双方の言葉が通じない。医療従事者は「医学的に有効かどうか」ということには答えられるけれども、それがどういった経済学的意味合いのものなのかは、中々答えられないのです。経済学者自身が「便益とは何か」を見つけ出し定義して、費用便益計算を実行しない限りは、この問いには答えようがないのだ、ということです。そういう点でも、今回のペーパーは大変貴重なものとなりました。
そういえば、かつて社会保障改革の文献的考察の中で、削減についての経済学的エビデンスを出してくれ、とお願いしたら、確か諮問会議の下に分科会みたいなWGを作って、何かの分析を出していたような気がするが。確か見たんだけど、大した中身のない内容だったように思い(ごめんね、分析した経済学者の方)、記憶していない。取ってつけたような、ロジットモデルか何かの分析だったように思うが、定かではない。後で探してみます。
でも、結論ありき、で結果を出すことは不可能ではない、からね。結果だけを鵜呑みになんてできないから。
あの時のペーパーが他の専門家たちや学者たちにきちんと評価を受け、妥当性などについて検討されたという話を聞いたことはない。誰もそんな分析を「妥当だ、確からしい、正しそうだ」みたいには支持していないのかもしれない。一体、何の為の研究成果なのか、とは思う。