1834年、彼女は自分のサロンにやってきた6才年下の運命の人、フランツ・リストと出会う。
1844年、結局、恋人同士は別れることになる。リストは子供達を自分の母親に預けてしまい、母親のマリーには子供達に会うことを固く禁じた。
マリーはその後パリに定住するようになり、ダニエル・ステルンというペンネームで女流作家となる。彼女が初めて文学に手を染めたのは、リストが有名になっていた雑誌Gazette médicale という雑誌に手紙を書いたことからだった。人道的な側面の強いサンシモン主義に傾倒していた。
リストと別れた後は、恋人とは切り離せなかったロマン主義的傾向や宗教的音楽志向の影響から少しずつ脱皮してゆく。