西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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マリーダグ-夫人 断章

2014年04月02日 | サンド・ビオグラフィ
マリーダグ-夫人は、結婚していながら、作曲家のリストと恋に落ち、イタリアとスイスに愛の逃避行をしたことで、当時の人々にはよく知られていました。サンドはこの勇気ある情熱的な女性を尊敬していたのではないかと思われます。

マリー・ダグー夫人(1805-1876 筆名:ダニエル・ステルヌ)

母親はフランクフルトの裕福な銀行家の娘でプロテスタント、したがってドイツ人であり、フランス人の父親は貴族の家系で熱烈なヴォルテール主義者だった。マリーは、フランス(サンジェルマン通り、サクレ・クール寄宿舎)とドイツで教育を受け、成長した。

1827年、シャルル・ダグ-将軍と20才で結婚。当初、マイイ館の新居にサロンを開き、フォーブール・サン=ジェルマンの社交界の一員としてデビューした。パリ7区(左岸)のボーヌ通りだけではなく、彼女が手に入れた、もとコルベール所有のクロワスィ城Croissy でも、サロンを開いた。美しく才気があるだけでなく、彼女自身、書簡文学を書き、音楽にも造詣が深かったので、サロンには、詩人ヴィニ-、ハイネ、画家のアングル、音楽家ロッシーニ、メイヤビア-やショパンなどの非常に著名な文化人が集い、華やかなこのサロンは人々の羨むところであったといわれる。



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