日々雑感

読んだ本やネット記事の感想、頭に浮かんでは消える物事をつらつら綴りました(本棚7)。

「生きる力をさがす旅」by 波平 恵美子

2011-12-25 20:52:01 | エッセイ
 副題 ー子ども世界の文化人類学ー
 2001年、出窓社発行
 
 医療文化人類学という分野の研究者という肩書きに興味を覚え、子ども向けの本ですが拝読しました。
 内容は文化人類学の対象となる「家族」「人間関係」「コミュニケーション」「言語」「身体」「いのち」「文化」などをテーマに、数ページ単位のエッセイ風雑文で構成されている、いわば『文化人類学入門書』。
 
 特徴は、ひとつの事実を複数の視点から眺めていることです。自分にとって当たり前のことでも、他人にとってもそうとは限らない。これは「自分」を「自国」と置き換えても当てはまる、と述べています。
 結論を書かずにそれとなく「考えてみてくださいね」と読者に振っているところは、道徳の教科書っぽい(苦笑)。

 しかし、私が大人で民俗学に興味があるためでしょうか、当たり前のことが羅列されているだけで新鮮味を感じる話題がほとんどありませんでした。

メモ
 私自身の備忘録。

■ 「夜は人間以外のものの時間
 1970年代の九州の某山村で調査したときの話。
 当時70歳以上の人たちは、まだ山の神への信仰が篤く、人の誕生も死も山の神が司っていて、病気になるのも治るのも、何らかの形で山の神が関わっているという信仰を持っていました。人は、自然と対立し、自然を切り開き、人間にとって都合がよいように作り替えるというのではなく、人間もまた自然そのもののひとつの要素であり、人間は人間以外の要素と仲良く折り合って暮らしていくべきだと考えているようでした。
 「となりのトトロ」や「もののけ姫」を子どもも若者も大人も大好きなのは、これらのアニメーションは、人間が人間以外の存在と、地球という大きな空間も地域という小さな空間も分け合って一緒に住んでいることを思い出させてくれる作品であり、そのことを思い出すことに、皆が喜びを見いだしているということなのでしょう

■ 「言葉と文字との不思議な関係
 古い日本の書物の中で「語り部」(かたりべ)と記されている人々がいました。ほとんど奇蹟としか思われないほどの分量を記憶し、語ることのできる人々のことです。語り部は、自分の好みで記憶したのではなく、王や支配者が、その社会の歴史を記憶しておく必要があって、語り部を養成したと考えられており、現在でも世界各地に同じような職種の人たちが存在します。
 今から1300年ほど前にできあがったと考えられる「古事記」という本には、その初めのところにヒエダノアレという語り部の語った内容を、中国から取り入れた漢字を使って、オオノヤスマロという人が記録したこと、そしてそれが大変な苦労を伴うものであったことが記されています。
 古事記で使われた漢字は「表音文字」(当時の日本語の発音に合わせて当てはめる方法)としてであり、その後の「万葉集」でも同じ方法が採用されました。
 でも、その頃から漢字を表音文字だけではなく本来の表意文字としても使うように変えていきました。
 やがて、漢字の行書体、草書体をもっとデザイン化したひらがな文字と、漢字の文字の字画の一部を取ったカタカナ文字を表音文字として使うようになり、一方、漢字はそのまま表意文字として使うことが多くなりました。
 こうして現在の日本語に近いものが千年ほど前に出来上がったのです。

■ 「ラフカディオ・ハーン、小泉八雲からの贈り物
 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はイギリス人であり、アメリカの新聞社の日本特派員として明治23年(1890年)に来日しました。やがて英語教師として島根県の松江市へやってきて、そこで小泉節子と結婚し、小泉八雲を名乗るようになったのです。
 小泉八雲は、当時の松江の人々の暮らしぶりを細かく観察して、その暮らしの様子の背後にある人々の心の有り様を、松江の人々から聞き取って書き残しています。その多くは、当時の松江の人々にとっては余りにも当たり前なので、人々自身によっては決して書き残されることが無かった事柄で満ちています。
 当時の松江の人々の暮らしぶりは、今の日本人の生活の中にはほとんど残っていません。そして、その生活の細々した行為を支えている信仰や思想も、もはや日本人の中に見いだせません。
 これからの私たちの生活や現在の生き方を考える上で、小泉八雲の作品は、素晴らしい贈り物だと思われます。

■ 「学校の始まり
  明治5年(1872年)に「学制」と呼ばれる制度ができて、日本中の子ども達は学校へ少なくとも3年間通学し勉強することになりました。明治維新は、確かに士農工商の身分制度を廃止しましたが、政府が次々と新しい事業を始めたために、税金は江戸時代より高くなり、国民の大部分は貧しい生活を送ることになりました。その上さらに義務教育が始まったのです。現在と違い、学校の建築費も、先生の給料も全部親の負担でした。労働力として大切な子どもを学校に取られたうえさらにお金を出さなければならないことに、多くの親は強い反発を持ちましたが、政府の命令には逆らえなかったのです。
 でも、すぐに、親たちは気づきました。新しい時代には、文字が読めて欠けないと、きちんとした生活はできないし、情報はほとんど文字の形で流れてくるので、文字が読めないばかりに、大変な損をすることも起こるのだと。

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