扶桑社、2007年発行。
お正月の『 たけしの“教科書に載らない”日本人の謎…』番組で登場した竹田恒泰氏に興味を覚えて購入した本です。
内容は”皇室オタク”の辛酸なめ子さんがしょうもない質問を元皇室の竹田氏にぶつけるもの。
苦笑し呆れながらも丁寧に答え続ける竹田氏は立派です。
ほとんど流し読みできてしまう程度の事項なのですが、その中に「おや?」「フ~ン」という箇所もいくつかあり、ちょっと勉強になりました。
特に「天皇は祈る存在です」という文言には目からウロコが落ちました。
世界を見渡すと、王様は城という要塞に守られて命令し、時代が変われば入れ替わる立場ですが、天皇の住まいである御所は要塞ではないにもかかわらず存続しています。争って統べる立場とはちょっと異なる存在であることを改めて認識した次第です。
その昔、日本で発達した稲作文化の時代に自然を敬う信仰が発生して、それを代表して神に祈る存在として君臨したのが天皇であると受け止めました。その特殊性から歴史の中で途切れることなく1000年以上、日本のために祈り続け、現在に至っているのですね。
天皇制というと戦争責任というイメージもある私の世代ですが、少し誤解が解けたような気がしました。
それから「神道と仏教の違い」を論じるくだりでは、なかなか興味深いやり取りがあり、勉強になりました。
<メモ>
自分自身のための備忘録。
■ 「○○子」という名前に歴史あり
Q(なめ子):皇族になるには、名前は「○○子」のように「子」がついていた方がよいのでしょうか?
A(竹田氏):確かに内親王殿下、女王殿下、それから皇族に嫁がれる方、みなさん「子」がつくのは歴史的事実です。実は遡って調べたことがあるのですけれども、今の女性皇族は、全員お名前に「子」がつきますね。五十年前、百年前を調べても見事に全員「子」がつきまして、なんと千六百年ほど遡らないと「子」のつかない皇后・皇女がいらっしゃらないのです。「子」というのは、完全に藤原家の名前です。ですから蘇我氏の時代は少しは名前が違いますけれども、藤原氏の時代になると必ず「子」がつくようになり、今に至ります。
■ 天皇を携帯カメラで撮るのは御法度?
Q(なめ子):天皇陛下に携帯カメラを向けるのは失礼ですか?
A(竹田氏):そもそも皇族方のお姿をカメラに収めると云うこと自体は、戦前までは決してできなかったことなのです。天皇の写真や絵は、御真影や御尊影と云い、当時は天皇の絵を描くことすらはばかられていました。ですから天皇が崩御あそばすと、はじめて絵が描かれるのですよ。それら歴代天皇の御尊影は、江戸時代までは、京都の泉涌寺というお寺に保管されています。
■ 皇居・御所が平屋の理由
Q(なめ子):皇居というか御所は、代々平屋ですよね? どうして高いもの、お城的なものという発想がなかったのですか?
A(竹田氏):江戸城にしても、大阪城にしてもそうですけれども、あれは軍事要塞です。一番高いところに立って指揮をする。しかし天皇は軍隊を率いることはないわけです。ですからお住まいになる場所は、江戸城や大阪城のようにやぐらを組み、お堀を掘る必要がないのです。
ただし、今の皇居はもともと徳川の城なので、極めて軍事的な目的で作られています。ですから、京都御所の方を見ると、本来の天皇のお住まいというものがわかると思いますね。
ヨーロッパに目を向けますと、王様は軍事力や経済力などで保っているものだけれども、日本の皇室は軍事力ではなく国民によって守られている、だからお堀や城壁で守る必要はないということです。
■ 神道は宗教?
Q(なめ子):天皇家と神道の関係は?
A(竹田氏):そもそも神道は、仏教が入ってくるまでは名前がなかったものです。要するに唯一のものですから、名前をつけて区別する必要がなかったのですね。ところが仏教が入ってきたことにより、もともとあるものと外来の宗教と区別する必要が出てきて、それで「神道」と名付けました。
ただ、神道は他の欧米の一神教などとは違って、教祖・開祖・教典・教義・戒律などは一切ありません。神道は万物に目に見えない神が宿ると考え、そして先祖を大切にして敬うという信仰ですね。もともと縄文時代の原始日本人が持っていたアニミズム的信仰を、大和朝廷が大切に守りながら育て、現在に伝えられてきたのが神道です。そして天皇は、全日本人に代わって天照大御神を奉り、五穀豊穣、国民の幸せ、世界の平和などをひたすらお祈りになる存在でした。ですから、天皇の本質というのは「祈る存在」なわけです。
Q(なめ子):美智子様も「皇室は祈りでありたい」とおっしゃったことがありましたね。
A(竹田氏):ある意味では宗教であり、ある意味では宗教ではないと云うことになります。日本人は宗教心がない、日本ほど宗教を持たない国はないと云われますが、宗教の定義によって、それは全く代わってしまいます。実は日本人ほど大切に先祖を奉る、お墓を大切にする民族はそんなにありません。
また、食事の時の「いただきます」はあなたの命を「いただきます」という挨拶で、そんな表現の言葉は英語にはないわけですよ。これは大自然によって生かされているという気持ち、そして大自然に恐れを抱くというその気持ちであって、それこと本質的な宗教ではないか、ということなのですね。
それに仏教と神道とは、神仏分離までは、もともと共存する関係でした。今のスタイルになったのは明治以降です。
Q(なめ子):そういえば七福神には、様々なキャラの立つ神様が、アイドルグループみたいに混ざっていますね。
A(竹田氏):七福神は混ざっているどころか、純粋な日本の神様は恵比寿様だけで、あとは全員ヒンズー、仏教、道教など、外国の神様です。
Q(なめ子):お墓があるのがお寺で、鳥居があるのが神社というイメージがありますが・・・
A(竹田氏):神社の境内には穢れは御法度なのでお墓はないのですけれども、お寺には神式のお墓があるところもあります。
■ 神道と仏教の違いについて
Q(なめ子):天皇は京都のお寺にお墓があったりしますが、それとは別に陵墓を作られる場合や神社に奉られる場合もあり、頭が混乱します。もとはすべて神道と云うことでよろしいのでしょうか?
A(竹田氏):もともと日本には神道という伝統的な世界観があったわけですが、六世紀・飛鳥時代に仏教が中国から入ってきたわけですね。その後、聖徳太子が十七条憲法で仏法僧を敬うべきと説いて、大化の改新後に初めて宮中で仏事が行われることになり、そして八世紀・奈良時代になると聖武天皇が奈良の大仏を造るわけです。でもこの頃はまだ神道と仏教は全く別のものだったのです。この二つを融合させたのが空海の密教ですね。彼は真言密教の理論を使って、神道と仏教を融合させる新たな理論を構築しました。そして後に天照大御神を大日如来に見立てて、天皇を大日如来の生まれ変わりだと考え、神道と仏教を関連づけて合体させたのですよ。それが神仏習合です。
そしてしばらく神仏習合状態が続いたわけですけれども、それを分離するようになったのが明治維新の神仏分離ですね。明治以降の国家神道は、神道の歴史の中でも特別変わった時代で、異質なものですけれども、この時、政治的に仏教的なものを排除し、本来の神道の姿を回復しようとして廃仏毀釈まで行われています。
それで終戦後には神道指令というものが出されて、政教分離の名の下に、国家と宗教の間を断ち切ることで国家神道は終わりを告げ、元からあった神道の姿に戻ったわけです。
あらためて考えると、ぼくは神仏習合自体がちょっと無理のあるものだったと思っています。天照大御神と大日如来はやはり違う神様ですよ。両方の神様にとって失礼です。
■ 雅楽の響き
Q(なめ子):雅楽の笛などを吹くと、神様が降りてきそうなイメージがありますね。
A(竹田氏):ふつう、洋楽器だと和音を整えてキレイに聞かせるのですが、雅楽の場合、わざと不協和音をさせるのですね。それに雅楽は「雅に楽しむ」と書きますけれども、もともとは神楽です。「神を楽しませる」と書いて神楽。神社で奉納される、あの神楽です。ですから神社でお囃子をするときは、参拝客である我々のためにやっているのではなくて、我々が玉串料を包んで、それで神楽を奉納して、神様にご覧いただくという構図です。だから正面は観客ではなくて神殿ですよね。
■ 「古事記」と「日本書紀」に描かれた神々
宇宙が誕生したときから次々と神が現れ、イザナキとイザナミが国生みと神生みをするところから物語が始まる。このときに山の神、海の神をはじめとする八百万の神々が誕生した。イザナキが神生みの最後で生んだのが太陽神・アマテラスで、その後アマテラスの孫に当たるニニギノミコトが天孫降臨によって地上に移り住み、さらにそのひ孫に当たる神武天皇が初代天皇となった。
■ マッカーサーと昭和天皇
(竹田氏)終戦時、昭和天皇がマッカーサーとご会見遊ばした際に、マッカーサーは世界史の常識からして「天皇は命乞いをしに来る」と思っていたわけですよ。でも実際は違いました。昭和天皇は「戦争の責任はすべて自分にある。自分の命はどうなってもよいその代わり一億人の国民を飢えさせないでくれ」というようなことをおっしゃったのですね。これを聞いたマッカーサーは大きな衝撃を受けたのです。天皇が心の底から国民一人一人の幸せを願っていいらっしゃること、そして天皇は日本にとって必要不可欠な存在であることを悟ったわけです。そしてマッカーサーは日本を統治する政策をガラッと変えました。最初は皇室を亡くそうと思っていたのですから大変な転換ぶりです。
天皇のお姿を目にしたときに、世界のおおかたは納得した部分が多かったわけで、もうそれは理屈ではないのだと思います。なにしろ二千年間ずっと国民一人一人の幸せを祈り続けてきたその一族の長ですからね。
■ 皇室の存在意義と日本文化
(竹田氏)皇室はなんのために存在しているのかと云うことを考えると、とても損得勘定では答えは見えてきません。皇室が存在する最大の価値は「唯一変わらないもの」ではないでしょうか。
例えば中国の歴史は、王朝交代の歴史ですよね。ヨーロッパもしかり。前の王朝が倒れると、その文化は全部否定されて破壊されるわけです。それでも日本という国はおよそ二千年一つの王朝がつづいているから、この間ずっと積み上げた、世界で最も裾の広い豊かな文化を持っているわけです。
例えば「和歌」。
世界には数限りない種類の文学がありますけれども、その中の最高峰が和歌だと思うのです。五・七・五・七・七という決まったルールのまま、千何百年も積み上げられてきた文学の集大成であり、これほど洗練された文学というのは、恐らく世界中に存在しないと思います。一番古い和歌は「古事記」に入っていますけれども、これは千二百年前に書かれていて、他にも奈良時代の「万葉集」や平安時代の「古今和歌集」だって、その時代の読んだ人の気持ちが、現代人でも読めばわかるわけです。欧米で千数百年前の文献を読もうと思っても不可能です、当時英語はまだありませんから。
お正月の『 たけしの“教科書に載らない”日本人の謎…』番組で登場した竹田恒泰氏に興味を覚えて購入した本です。
内容は”皇室オタク”の辛酸なめ子さんがしょうもない質問を元皇室の竹田氏にぶつけるもの。
苦笑し呆れながらも丁寧に答え続ける竹田氏は立派です。
ほとんど流し読みできてしまう程度の事項なのですが、その中に「おや?」「フ~ン」という箇所もいくつかあり、ちょっと勉強になりました。
特に「天皇は祈る存在です」という文言には目からウロコが落ちました。
世界を見渡すと、王様は城という要塞に守られて命令し、時代が変われば入れ替わる立場ですが、天皇の住まいである御所は要塞ではないにもかかわらず存続しています。争って統べる立場とはちょっと異なる存在であることを改めて認識した次第です。
その昔、日本で発達した稲作文化の時代に自然を敬う信仰が発生して、それを代表して神に祈る存在として君臨したのが天皇であると受け止めました。その特殊性から歴史の中で途切れることなく1000年以上、日本のために祈り続け、現在に至っているのですね。
天皇制というと戦争責任というイメージもある私の世代ですが、少し誤解が解けたような気がしました。
それから「神道と仏教の違い」を論じるくだりでは、なかなか興味深いやり取りがあり、勉強になりました。
<メモ>
自分自身のための備忘録。
■ 「○○子」という名前に歴史あり
Q(なめ子):皇族になるには、名前は「○○子」のように「子」がついていた方がよいのでしょうか?
A(竹田氏):確かに内親王殿下、女王殿下、それから皇族に嫁がれる方、みなさん「子」がつくのは歴史的事実です。実は遡って調べたことがあるのですけれども、今の女性皇族は、全員お名前に「子」がつきますね。五十年前、百年前を調べても見事に全員「子」がつきまして、なんと千六百年ほど遡らないと「子」のつかない皇后・皇女がいらっしゃらないのです。「子」というのは、完全に藤原家の名前です。ですから蘇我氏の時代は少しは名前が違いますけれども、藤原氏の時代になると必ず「子」がつくようになり、今に至ります。
■ 天皇を携帯カメラで撮るのは御法度?
Q(なめ子):天皇陛下に携帯カメラを向けるのは失礼ですか?
A(竹田氏):そもそも皇族方のお姿をカメラに収めると云うこと自体は、戦前までは決してできなかったことなのです。天皇の写真や絵は、御真影や御尊影と云い、当時は天皇の絵を描くことすらはばかられていました。ですから天皇が崩御あそばすと、はじめて絵が描かれるのですよ。それら歴代天皇の御尊影は、江戸時代までは、京都の泉涌寺というお寺に保管されています。
■ 皇居・御所が平屋の理由
Q(なめ子):皇居というか御所は、代々平屋ですよね? どうして高いもの、お城的なものという発想がなかったのですか?
A(竹田氏):江戸城にしても、大阪城にしてもそうですけれども、あれは軍事要塞です。一番高いところに立って指揮をする。しかし天皇は軍隊を率いることはないわけです。ですからお住まいになる場所は、江戸城や大阪城のようにやぐらを組み、お堀を掘る必要がないのです。
ただし、今の皇居はもともと徳川の城なので、極めて軍事的な目的で作られています。ですから、京都御所の方を見ると、本来の天皇のお住まいというものがわかると思いますね。
ヨーロッパに目を向けますと、王様は軍事力や経済力などで保っているものだけれども、日本の皇室は軍事力ではなく国民によって守られている、だからお堀や城壁で守る必要はないということです。
■ 神道は宗教?
Q(なめ子):天皇家と神道の関係は?
A(竹田氏):そもそも神道は、仏教が入ってくるまでは名前がなかったものです。要するに唯一のものですから、名前をつけて区別する必要がなかったのですね。ところが仏教が入ってきたことにより、もともとあるものと外来の宗教と区別する必要が出てきて、それで「神道」と名付けました。
ただ、神道は他の欧米の一神教などとは違って、教祖・開祖・教典・教義・戒律などは一切ありません。神道は万物に目に見えない神が宿ると考え、そして先祖を大切にして敬うという信仰ですね。もともと縄文時代の原始日本人が持っていたアニミズム的信仰を、大和朝廷が大切に守りながら育て、現在に伝えられてきたのが神道です。そして天皇は、全日本人に代わって天照大御神を奉り、五穀豊穣、国民の幸せ、世界の平和などをひたすらお祈りになる存在でした。ですから、天皇の本質というのは「祈る存在」なわけです。
Q(なめ子):美智子様も「皇室は祈りでありたい」とおっしゃったことがありましたね。
A(竹田氏):ある意味では宗教であり、ある意味では宗教ではないと云うことになります。日本人は宗教心がない、日本ほど宗教を持たない国はないと云われますが、宗教の定義によって、それは全く代わってしまいます。実は日本人ほど大切に先祖を奉る、お墓を大切にする民族はそんなにありません。
また、食事の時の「いただきます」はあなたの命を「いただきます」という挨拶で、そんな表現の言葉は英語にはないわけですよ。これは大自然によって生かされているという気持ち、そして大自然に恐れを抱くというその気持ちであって、それこと本質的な宗教ではないか、ということなのですね。
それに仏教と神道とは、神仏分離までは、もともと共存する関係でした。今のスタイルになったのは明治以降です。
Q(なめ子):そういえば七福神には、様々なキャラの立つ神様が、アイドルグループみたいに混ざっていますね。
A(竹田氏):七福神は混ざっているどころか、純粋な日本の神様は恵比寿様だけで、あとは全員ヒンズー、仏教、道教など、外国の神様です。
Q(なめ子):お墓があるのがお寺で、鳥居があるのが神社というイメージがありますが・・・
A(竹田氏):神社の境内には穢れは御法度なのでお墓はないのですけれども、お寺には神式のお墓があるところもあります。
■ 神道と仏教の違いについて
Q(なめ子):天皇は京都のお寺にお墓があったりしますが、それとは別に陵墓を作られる場合や神社に奉られる場合もあり、頭が混乱します。もとはすべて神道と云うことでよろしいのでしょうか?
A(竹田氏):もともと日本には神道という伝統的な世界観があったわけですが、六世紀・飛鳥時代に仏教が中国から入ってきたわけですね。その後、聖徳太子が十七条憲法で仏法僧を敬うべきと説いて、大化の改新後に初めて宮中で仏事が行われることになり、そして八世紀・奈良時代になると聖武天皇が奈良の大仏を造るわけです。でもこの頃はまだ神道と仏教は全く別のものだったのです。この二つを融合させたのが空海の密教ですね。彼は真言密教の理論を使って、神道と仏教を融合させる新たな理論を構築しました。そして後に天照大御神を大日如来に見立てて、天皇を大日如来の生まれ変わりだと考え、神道と仏教を関連づけて合体させたのですよ。それが神仏習合です。
そしてしばらく神仏習合状態が続いたわけですけれども、それを分離するようになったのが明治維新の神仏分離ですね。明治以降の国家神道は、神道の歴史の中でも特別変わった時代で、異質なものですけれども、この時、政治的に仏教的なものを排除し、本来の神道の姿を回復しようとして廃仏毀釈まで行われています。
それで終戦後には神道指令というものが出されて、政教分離の名の下に、国家と宗教の間を断ち切ることで国家神道は終わりを告げ、元からあった神道の姿に戻ったわけです。
あらためて考えると、ぼくは神仏習合自体がちょっと無理のあるものだったと思っています。天照大御神と大日如来はやはり違う神様ですよ。両方の神様にとって失礼です。
■ 雅楽の響き
Q(なめ子):雅楽の笛などを吹くと、神様が降りてきそうなイメージがありますね。
A(竹田氏):ふつう、洋楽器だと和音を整えてキレイに聞かせるのですが、雅楽の場合、わざと不協和音をさせるのですね。それに雅楽は「雅に楽しむ」と書きますけれども、もともとは神楽です。「神を楽しませる」と書いて神楽。神社で奉納される、あの神楽です。ですから神社でお囃子をするときは、参拝客である我々のためにやっているのではなくて、我々が玉串料を包んで、それで神楽を奉納して、神様にご覧いただくという構図です。だから正面は観客ではなくて神殿ですよね。
■ 「古事記」と「日本書紀」に描かれた神々
宇宙が誕生したときから次々と神が現れ、イザナキとイザナミが国生みと神生みをするところから物語が始まる。このときに山の神、海の神をはじめとする八百万の神々が誕生した。イザナキが神生みの最後で生んだのが太陽神・アマテラスで、その後アマテラスの孫に当たるニニギノミコトが天孫降臨によって地上に移り住み、さらにそのひ孫に当たる神武天皇が初代天皇となった。
■ マッカーサーと昭和天皇
(竹田氏)終戦時、昭和天皇がマッカーサーとご会見遊ばした際に、マッカーサーは世界史の常識からして「天皇は命乞いをしに来る」と思っていたわけですよ。でも実際は違いました。昭和天皇は「戦争の責任はすべて自分にある。自分の命はどうなってもよいその代わり一億人の国民を飢えさせないでくれ」というようなことをおっしゃったのですね。これを聞いたマッカーサーは大きな衝撃を受けたのです。天皇が心の底から国民一人一人の幸せを願っていいらっしゃること、そして天皇は日本にとって必要不可欠な存在であることを悟ったわけです。そしてマッカーサーは日本を統治する政策をガラッと変えました。最初は皇室を亡くそうと思っていたのですから大変な転換ぶりです。
天皇のお姿を目にしたときに、世界のおおかたは納得した部分が多かったわけで、もうそれは理屈ではないのだと思います。なにしろ二千年間ずっと国民一人一人の幸せを祈り続けてきたその一族の長ですからね。
■ 皇室の存在意義と日本文化
(竹田氏)皇室はなんのために存在しているのかと云うことを考えると、とても損得勘定では答えは見えてきません。皇室が存在する最大の価値は「唯一変わらないもの」ではないでしょうか。
例えば中国の歴史は、王朝交代の歴史ですよね。ヨーロッパもしかり。前の王朝が倒れると、その文化は全部否定されて破壊されるわけです。それでも日本という国はおよそ二千年一つの王朝がつづいているから、この間ずっと積み上げた、世界で最も裾の広い豊かな文化を持っているわけです。
例えば「和歌」。
世界には数限りない種類の文学がありますけれども、その中の最高峰が和歌だと思うのです。五・七・五・七・七という決まったルールのまま、千何百年も積み上げられてきた文学の集大成であり、これほど洗練された文学というのは、恐らく世界中に存在しないと思います。一番古い和歌は「古事記」に入っていますけれども、これは千二百年前に書かれていて、他にも奈良時代の「万葉集」や平安時代の「古今和歌集」だって、その時代の読んだ人の気持ちが、現代人でも読めばわかるわけです。欧米で千数百年前の文献を読もうと思っても不可能です、当時英語はまだありませんから。